「9坪の家」から「9坪の宿」へ

今からちょうど20年前。1999年に、9坪の家をつくった。38歳の時だった。

二人の娘、9歳のスミレと、7歳のアオイが育つ家という意味をこめて、「スミレアオイハウス」という名前をつけた。

1999年に日本人とすまい「柱展」という展覧会で再現された軸組は、1952年に増沢恂さんが自邸として建てた「最小限住居」の骨格だ。

その柱と梁を使って、小泉誠さんがリデザインしてくれた。9坪の建坪に、3坪の吹き抜け、15坪の延べ床、約50平米。

とてもちいさな空間に、どうやって、家族4人で暮らせばいいのか。試行錯誤を経て、できた空間は、とても快適だった。

南面の畑に面して広がる大きなガラスの開口部が、外と中をつなぎ、閉塞感を感じない。障子を締めれば、閉じた空間として、プライバシーも守れる。

床暖の入った、吹き抜けのダイニング。コンパクトなキッチンと、4畳ほどのちいさな和室。ちいさなお風呂とトイレと洗面。

2階は、仕事と勉強の場として、デスクが並んだ。東側には、大きな収納スペースもある。

こどもが中学生になるタイミングで、2階に1坪の個室を二つつくる。これがまた、快適なスペース。

この家は、できて10年間は、多くのメディアに取り上げられ、注目をあびる。ぼくとかみさんの両方が本を書いた。

国民的住宅と言った人さえいた。定期的なオープンハウスには、多くの人が訪れ、ぼくたち家族も、積極的に、この家に人を招いた。

2002年には、この家をベースにして、「9坪ハウス」プロジェクトが生まれ、たくさんの建築家やデザイナーが参加して、様々な9坪ハウスが、全国に建てられた。

ぼく自身、この家で、人生が変わった。本を書き、取材する側からされる側に変わった。2004年には、20年間のサラリーマン人生を卒業し、42歳で独立した。

予想がつかない展開だったのが、2015年に、突然、かみさんの百合がくも膜下出血で亡くなったこと。この家の管理人を失ったことで、この家の役割は、大きく揺らいだ。

残された家族3人は、ショックのあまり、すぐに行動に移すことはできなかった。傷んだ家を仮に補修する程度がせいぜいだった。

動きはじめたのは、昨年2018年。なんとかこの家を残さないかと試行錯誤を繰り返す中で、「宿」という選択肢があがった。

亡くなる直前まで百合が編集を手がけた「日常を旅する」という中央線の三鷹・立川間のお店やスポットを紹介した本。この本に載っているような地域の魅力を泊まった人に伝えたいと考えた。

コンパクトな家に泊まり、地域の日常を旅する宿。そんなイメージが固まったきた。

20年の時間を経て、「9坪の家」がみんなの家になる。泊まることができる「9坪の家」。

この家をシェアするメンバーを募集しています。ぜひ、この家に泊まって、東京の西側エリアを楽しんでみてください。

https://motion-gallery.net/projects/sahouse


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つくし文具店 店主

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