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逃げ水 #9 | 円卓の設計士

トイレのデザインを隅々までチェックして席に戻ると、先輩はすでにビール飲み干していた。

「お、どうやった?」
「はい、あのカンパリの照明いいっすね。吊ってる高さも絶妙というか、光源が直接見えないようにしつつ、透過してくる赤い光が顔に当たるところとか。」
「わかってるやん。あれいっこで雰囲気が変わるもんな。あとはあれやな、酔ってても自分の顔が赤いかどうか、照明の光でわからんようになるから、お酒の売れ行きに貢献できてるんちゃうか。お小遣いもらわな。」
片山さんはそう軽口をいいながらガハハと豪快に笑った。

その後は学生時代の話を聞いたり、社長のデザインの面白いところはどんなところだろうかという話や、付き合っている彼女の自慢話をされたりして、楽しい時間を過ごした。

初めて食べたトリッパは、内臓と聞いて想像していた食感より柔らかく、蜂の巣のような形状の細かいひだにトマトソースがよく絡み、とてもおいしかった。

翌日の土曜日の朝は、慣れないワインを暴飲したせいで頭が痛かった。
どのアルコールでも二日酔いはするが、頭が痛くなるのはなぜかワインだけだ。

午後になって出社すると珍しく誰もいない。
時間の大半を本棚にある書籍を読むことに費やし、暗くなってからようやく作業に着手した。

結局日曜日の朝日をオフィスで拝んで帰宅し床についた。
目が覚めた時に太陽を感じられなかった時、なぜあんなに気分が沈むのだろうか。何か大切な思い出を道端に落っことしてしまって、車に轢かれ、雨に打たれ、塵となって無に帰してしまったような焦燥感に駆られる。

週はじめの月曜日の朝は、各々が担当している案件の進捗を共有し、簡単なスケジュール確認などを行う週次ミーティングで始まる。

自分の番となり、ネイルサロンの打ち合わせで商業ビルの内装監理室に赴くことを述べた。
社長は「おう、頼んだで」と一言。その後に続くアドバイスを待ってみたが、特に口元が動くそぶりがなかったので、次の担当者が話し始めた。

前情報が乏しい会議に一人で臨んで大丈夫なのか、一抹の不安を覚えながら席に戻り、会議に必要な資料を印刷した。


打合せ場所に指定されたのは、現場付近にある雑居ビルに設けられた、引っ越ししようと思い立ったなら明日にでも綺麗さっぱりすっからかんにできるような、いかにも仮設的なオフィスだった。

目を見て話してくれないタイプの受付の女性に訪問先を告げると、しばらくして電話でやりとりして名前だけ知っていた担当者がやってきた。

名前と電話で聞いていた声から顔の造形を想像していたが、それとは全く印象の違う人だった。
この想像は自分の中で結構遊びに近い感覚で、これまで何度もやってきたが、想像通りの人に出会えたことはない。僕の理想の人はいったいどこにいるのだろう。


挨拶も早々に会議室へ案内される。
会議室には仮設空間にはおよそ似つかわしくない、重厚な楕円形のテーブルが鎮座していた。
竣工当時から存在するテーブルが、床に根を生やしてしまい移動することができなくなり、テナントが変わってもいつもそこにあるような佇まいだった。

高級なバーズアイのメープルの板を深い赤茶に染色し、そこに当選した途端に公約をなかったことにする政治家の面の皮ほどの厚さのニスが塗られている。

厚いニスで保護されている板は、その質感や手触りの一切を表に出せないので、そもそもこの板が本物なのかどうかも判断できない。

せっかくの高級食材を、鍋も振ったことのない小学生に調理させるくらい、もったいないことをしていると思うのだが、なぜかこのような仕上げの高級家具はいまだに店先で良く売れているようだ。

そんなテーブルの周りを、背格好も年齢も着ている服も居酒屋で頼むメニューも同じようなおじさんが囲んでいる。
皆が座っている椅子は安っぽいオフィスチェアで、高級なテーブルとのコントラストがその均一性をいっそう際立たせていた。

僕は皆が一番注目しやすい、円卓を囲む騎士たちに檄を飛ばすアーサー王が座るような位置に案内された。

アーサー王は皆から尊敬され、発せられる言葉の一字一句を漏らすまいと耳を傾ける騎士に囲まれているが、僕が座った場合は、複数の石化光線を浴びせられる処刑席に様変わりする。

開口いちばんから声がうわずった。
通り一辺倒の自己紹介を早々に済ませ、相手側の仕切り役の人からの次に話すべきことを促されるのを待った。

平面図とスケッチパースを配り、内容を説明する。

テナント設計説明会に参加した時に配られた、分厚い内装設計指針書に書いてある細かな決まり事に注意しながら設計を進めたつもりだったが、いくつかの部分で指針に抵触しているところがあったようた。
それらを指摘され、改善方法などについて議論をした。

この辺りでようやくまともに話ができるくらいに落ち着いていたのだが、次に、そう遠くなく始まる工事の内容に話が移った。

やばい。再び体が硬直していく。

この日までの時間全部をデザイン作業に全振りしていたので、指針書の後半に書かれていた工事に関わるところは全く読んでいなかったからだ。


「えー、A工事については、この内容だと特に対応する必要はなさそうですので、」
「B工事とC工事の区分についての確認とすり合わせをしますか、」

何だ?ABC、の工事?

ポポンポンポンポポンポーン♪

ジャクソン5の曲が頭の中で再生される。可愛らしい笑顔で踊りながら歌う陽気な曲。自分の今の心境と180°違う雰囲気が少しは気持ちを落ち着けてくれるかと思ったが、焦る気持ちを助長するだけだった。


僕が社会人になってから決意したことのひとつに、「わからないことはわからないままにしない」ということがある。

知ったかぶりをした後でどんどん引っ込みがつかなくなって、結局恥ずかしい思いをしたことが過去に何度もあったからだ。

だから思い切って、円卓の騎士たちにABC工事とはいったいどういう意味なのかを聞いた。

「そんなんも知らんのかいな。」
「上司に事前に聞いて理解しておけよ。」

そんな声が微笑んだ顔の、深くなったほうれい線の奥から聞こえてきたように感じたが、もう恥を晒したあとのことなので気にすることなく根掘り葉掘り聞くことができた。

どうやらおじさんたちは、若手のデザイナーがこういった会議に何も知らずに送り込まれて来ることに慣れているようだった。

大学でこんなことを学ぶ機会はないし、小さなアトリエ系デザイン事務所の所長が手取り足取り教えてくれることも、他の事務所の実際はわからないが、大体どこもないんだろうなと勝手に得心した。

ようやく針のむしろの円卓から解放される時間になった。
心労はなはだしい。

太ももの裏に大量にかいた汗が作ったズボンのシミを、おしっこを漏らしたかと勘ぐられないように、人との位置関係をABCの曲に合わせて踊るように変えつつ、エレベーターホールまで急いだ。

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