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日記「進捗ダメです! 怖い話、あとアフガニスタンのこと」

東京はそれほどでもないですが、大雨が続いてますね……。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。僕はなんか眠たいです。

進捗ダメです!

地味に本業が忙しかったり、この間の寒暖差や気圧やらでどうにもテンションがあがらず(なんかふだんより眠気が強めだ)、ダラダラと過ごす日々が続いてしまっている。前回の日記で予告した次回作(アラガイザル)をちょろちょろと書き続けているものの、推進力というか、爆発力が足りずにうまく離陸できていない感が強い。

前作の「人類救済学園」は見切り発車でほぼ毎日数千字単位で書けてたし、逆噴射小説ワークショップに提出した「ズンドコガイ」も1日で1万字以上を書けていた。なので、もたもたしている今の状況はなんともモヤモヤしてしまう。なんだろう、たしかに今までと文体を変えている部分はあるんだけど。

そもそも少しカッコつけすぎなのかもしれない、とも思う。うまく書こうとし過ぎているのかもしれない。あと、書こうとしている内容もやや難易度が高いのかもしれない。とはいえ、まずは書いていかねばなるまい。まずは進めなければ話にならない。整えるのは後でいい。とにかくやっていくのだ……。

怖い話を摂取したい!

さて、アラガイザルは「呪い」をテーマにしようとしているわけですが、それもあり、怖い話を摂取したいという渇望が強くある。小説でも映画でもマンガでもいい。めちゃくちゃ怖いコンテンツを摂取したい! 夜眠れなくなるようなやつがいいなあ。が、しかし。僕は何を摂取しても「怖い」と思わないのですよね…。

世の中には「コンピテンシー」というクソみたいな概念があって、以前その診断をたまたま受ける機会があったんですけど、結果、僕のストレス耐性能力はマックスに振り切れていることが判明したのであった。あー、やっぱりねという。たまに自分でも自分のことを「サイコパスでは?」と思う時がある。普通なら心折れる場面でもほとんど動揺しない……。

しかしそれでも、怖い話はけっこう好きだったりする。「怖い!」ってなることはないんだけど「きたきた!」みたいな、ゾクゾクする感覚が好きだ。実は絶叫マシンも好きで、怖い話のゾクゾク感は絶叫マシンに乗る感覚と近しいものがある……のかもしれない。あと山伏修行で崖を登ったり、崖にさかさまにぶら下げられたりする感覚も近しい気がする。要するに疑似的に生死の境いに触れたいのだろうな。って、やっぱり僕は危ない奴なのかもしれない……。

ということで、緩募です。めちゃくちゃ怖い話をご存知の方、是非教えていただけると嬉しいです! 念のためベンチマークとして書いておくと、有名なところだと「ヘレディタリー」は全然怖くなかったです。ゾクゾクもしなかったです。最後の方、全裸中年男性の登場にゲラゲラ笑いました。あと最近見たやつだとネフリ版の「呪怨:呪いの家」もゾクゾクしなかったなぁ……ただエンディングの曲は雰囲気あって好きでしたね。あ、だいぶ前に見たビデオ版の呪怨(一番最初のやつ)はゾクゾクした気がします。うろ覚えだけど。あとグロいのは別ジャンルなので今は気分的に求めてないです。ゾクゾク、ゾワゾワ来るようなやつがいいな(注文が多い!)。小説だと貴志祐介は好きです。怖くはないけど。

ちなみにTwitterで同様のことを呟いた結果、下記の推薦がありました(ありがとうございます!)。こいつらに関しては随時摂取していくつもりです。

アフガニスタンのこと

このアカウントではあまり時事について触れないようにしている。けど、黙っているとフラストレーションが溜まる一方なので、アフガニスタンについて少しだけ思うところを書いておきたい。

タリバーンが全土をほぼ掌握したということもあり、ここ数日、SNS等でアフガニスタンの話題を見かけることが増えてきた。たとえばこういった記事だ。

こういう記事を読んでいると複雑な気持ちになる。記事に書かれている現実は悲しく、やり切れない。怒りともどかしい気持ちが湧いてくる。でも一方で、「タリバーンによる女性抑圧」だとか「イスラーム原理主義が」といったステロタイプなネットのコメントを見ていると、「そうじゃない、そういうことじゃないんだよ」と叫びたくなる気持ちもまた湧いてくる。

たとえばアフガニスタンでは今、3人に1人が「急性食料不安」の危機に陥っている。「急性食料不安」とはどういうことかというと、「十分な食料を摂取できないことで、その人の生命や生活が差し迫った危険にさらされている状態」のことだ。つまり、飢餓の一歩手前だ。

アフガニスタンの何百万もの家族は、すでに生きるのに苦労しています。現在、3年間で2度目の干ばつに直面しています。小麦一袋の値段が4年間の平均よりも30%も高くなっています。仕事もほとんどありません

ラニーニャ現象の影響などからアフガニスタンで人口の3分の1が急性食料不安 | World Food Programme

そしてアフガニスタンの成人識字率は43%。アフガニスタンで暮らす成人の半分以上が読み書きをできない状態にある。これは、世界でも最低の水準だ。

つまり首都で学び、職を得て、自ら情報発信もできる上掲記事の女性たちは「特権的」という言い方は正しくないかもしれないけれど、少なくとも、都市部で知識と人権感覚を得た女性だからこそ見える世界を伝えている、ということは知っておく必要がある。

タリバーンは「イスラーム原理主義」とよく言われる。それは間違いではないけれど、たとえば同様に「イスラーム原理主義」と言われるアルカイダやイスラム国などとは、かなり違うという点は重要だ。

アルカイダやイスラム国が世界各国のイスラミストの集合体であり、ガチの原理主義者、自分たちは「聖戦士だ」という傲慢さをもった人々の集まりだったのに対し、タリバーンのほとんどはアフガニスタンで生まれ、アフガニスタンで育った(もしくはその血縁であり、パキスタンなどで育てられた)、土着の、言ってしまえば幕末の尊皇攘夷の志士みたいなものなのだ。ただ日本の尊王攘夷と異なる点は、先にも書いた通り上層部を除き構成員の識字率が低く、そしてアフガニスタンの(正確にはパシュトゥンの)古くからの伝統や因習を基盤にしているという点にある。

彼らの文化や女性への姿勢はイスラームに基づくだけではない。彼らの母体となったパシュトゥン人の生活様式や伝統、因習の方がより影響が強いと言われている。そしてそれは都市部以外のアフガニスタン……3人に1人が「急性食料不安」に襲われ、半数が教育を受けることのできないアフガニスタン、そこに生きる人びと、その生活様式に近いものでもある(だからこそタリバーンは各地の有力者とネゴり、短期間でここまで勢力を伸ばすこともできる。共通のルール、価値観に基づく交渉ができるからだ)。

タリバーンは2001年、バーミヤン石仏の破壊で国際的な非難を浴びた。野蛮で、狂信的で、破壊的で、文化と女性の抑圧者。一般的にはそういうイメージが強い。ではそのイメージが培われた2001年当時、アフガニスタンはどのような状況にあったのだろう。

 私はヘラートの町の外れで二万人もの男女や子供が飢えで死んでいくのを目の当たりにした。彼らはもはや歩く気力もなく、皆が地面に倒れて、ただ死を待つだけだった。この大量死の原因は、アフガニスタンの最近の旱魃である。同じ日に、国連の難民高等弁務官である日本人女性もこの二万人のもとを訪れ、世界は彼らの為に手を尽くすと約束した。三ヵ月後、この女性がアフガニスタンで餓死に直面している人々の数は百万人だと言うのを私は聞いた。
 ついに私は、仏像は、誰が破壊したのでもないという結論に達した。仏像は、恥辱の為に崩れ落ちたのだ。アフガニスタンの虐げられた人々に対し世界がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないと知って砕けたのだ。

モフセン・マフマルバフ. アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ, p26

タリバーンにしてみれば想像を絶する飢餓状況のなかで、それは「大仏建立」のようなものだったのだろう。古代日本で飢餓や疫病の蔓延のなか大仏を建立し祈念したように。彼らは彼らの信仰にもとづき、偶像を破壊することによって民心を浄化できると考えたのだ。

そしてその年、911を経てアフガニスタン戦争が起きる。百万人が飢えて死にゆく状況のなかで、アメリカを中心とした多国籍軍は911を引き起こしたアルカイダの首領ビンラディンをアフガニスタン内に匿っていること、またタリバーンの圧政下、石仏破壊に代表される文化弾圧と女性の権利抑圧が進んでいることを訴え、それらを大義名分としてアフガニスタンに侵攻した。飢餓状況など顧みられることはなかった。先に書いた通り、アルカイダとタリバーンはその基盤も成立過程も構成員も異なり、また当時、両者の関係性は緊張をはらんだものだった。だから交渉の余地もあったにも関わらず、アメリカは問答無用だった。日本もまた、その侵攻を支持した。

それから20年経った今、アフガニスタンは三重の意味で見捨てられている、と感じさせる。

ひとつ。長年の戦乱により荒廃した国土、飢餓や貧困、満足な教育が受けられない状況。それらは顧みられることはなく、ニュースで話題になるのはイスラームの暴力、人権抑圧といったステロタイプばかりだ。そもそも生きるか死ぬかの状況にあって、生存権が脅かされ、識字率が低く、西洋的な人権感覚について語る土俵がなく、それ以前の生き死にがかかった状況にあるという事実は、都合よく無視されてしまう。

ふたつ。上掲記事の女性に代表される、多国籍軍侵攻後に人権感覚を身に着けた人びとは、大義名分が空文化した今、あっさりと見捨てられてしまった。彼女たちの悲劇は「遠い世界の許しがたいニュース」として、遠い世界の食うに困らぬ僕らによって消費されていくのだ。

みっつ。アフガニスタンは地球上でも最も地球温暖化の影響を受けやすい地域のひとつでもある。長年続く干ばつは戦乱による荒廃の影響も大きいが、同時に地球温暖化による影響も強い。

日本でもここ数年、記録的な災害が続いている。毎年のように「観測史上最大」だとか「経験したことのない大雨」だとか、猛暑が続く夏だとか、そういった異常気象を体験しているにもかかわらず、僕たちはそれを受け流し、目を向けようとはしない。たとえば最近であればワクチンのデマのようなものは卑近でわかりやすく、科学的な態度を示しやすい。しかし地球環境のようにスケールがでかくなると、途端に僕らの想像力は及ばなくなり、科学者たちの警句も届かなくなる。多くの人にとって、それはまだ他人事なのだ。

でもアフガニスタンはどうだろう。地球温暖化の影響もあって、実際に食うや食わずやの状況に何百万という人びとが陥ってしまっている。でも彼らはその原因が他の国々の経済活動の結果であるなどと、気づくことすらできないだろう。そしてそれによって生まれた飢餓や貧困がさらなる暴力を生み出す土壌にもなり得る。そして生み出された暴力を見て、僕たちは「やっぱり危険な連中じゃないか」とイメージを強化する。

実際のところ、この状況を改善するためには腐敗していない、きちんと機能する統一された政体が必要だ。でもアメリカが中心になって成立させた旧アフガン政権は、腐敗と無能の極みにあった。そして一部、都市部では人権意識に目覚めた女性たちを育んだという功績はあったにせよ、国土を覆う貧困や食糧難の状況を真摯に改善しようとはしなかった。そんな体たらくだったから、あっさりとタリバーンは全土を掌握するに到ったのだ。

もう一度繰り返すと、この状況を改善するには腐敗をしていない、きちんと機能する統一された政体が必要だ。でもそれは、国際社会の支援のもとでないと成立し得ない(存続が難しい)状況でもある。そして、地球環境の問題に至っては、全世界的な取り組みがなければ機能しないのだ。

と、長々と書いたけど。

これは「結論はこうだ!」という話ではない。これを読んだ個人に反省を促したり、罪悪感を抱かせるような話でもない。ただ、アフガニスタンのニュースを見て眉をしかめる時、少しでもこういった背景にも想いを馳せてほしい、と思う。そしてもしかしたらその状況は、僕たちの生活と地続きなのかもしれない、ということも……。

と、まあ、日記のはずが、なんかストレートなオピニオンっぽい何かを書いてしまったぞ。こんな文章より小説を、小説をこそ頑張ろう。よし。

【おしまい】

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