明かされるしゅげんじゃ真実

明かされるしゅげんじゃ真実

唐突ですが。明日から3日間ほど、しゅげんじゃはネットの海から姿を消します。なぜなら──。

さて、ここでクイズです。

問い。
「しゅげんじゃ」はなぜ「しゅげんじゃ」なのか。アカウント名の由来をお答えください。

チ、チ、チ、チ……ポーン。
タイムアップです! では答えです!!

答え。
山伏、つまり修験者だから。

「ん。なに言ってんだ、こいつ」

そう思ったかもしれませんね。特に関東に住んでいる人は、山伏なんて見る機会はないですよね。僕もそうでした。山伏は時代劇に出てくる悪役ぐらいのイメージでした。

しかーし。実は明治維新以前、全国には17万人もの山伏が存在したんです。当時の日本の総人口は現在の約四分の一程度。つまり現在の人口比率で単純に四倍すると68万人。たとえば現在の警察の総数が28万ということを考えると、凄い人数です。つまり、日本の文化風土の基底には実は山伏の文化があったということがわかります。

では、それだけいた山伏はどこに消えたのか。実は明治政府による「神仏分離令」「修験道廃止令」、そしてその後吹き荒れた廃仏毀釈の動きによって全国から姿を消していったのです。

「廃仏毀釈と修験道って関係あるの?」と思った人もいるかもしれません。関係があります。修験道の特色、それはシンクレティズムにあります。

長い歴史の中で原初的な山岳信仰と仏教、神道、陰陽道、道教などなどが混じりあい、修験道は徐々に成立していきました。純化とは無縁、どこかいかがわしさすらある。それが特色と言ってもいいでしょう。

そしてそのような文化の形態は、近代国家成立のテコとして国家神道を造り出そうとしていた人々にとっては邪魔なものだったわけです。だから厳しく弾圧され、結果、山伏は全国からその姿を消したのでした。

明治維新を境に、現在の僕たちが思っている以上に、日本の文化には大きな断絶が生まれました。それは上掲書などに詳しく書かれています。そしてそのようにして造り出された国家神道の求心力が何を招いたのかは、僕たちの歴史が教えてくれます。

おっと、蘊蓄が長くなりました。要するにそんなこともあり、僕は山伏に興味があるわけです。で。そんなこんなで明日から3日間ほど、修行に参加してきます。その間は山にいるので当然のようにネットができません! (ちなみに今回のは比較的楽なやつで、マジなやつは1週間以上、山に入ります)

ちなみに念のため書いておくと、僕は職業山伏というわけではありません(そういうガチな人も存在します)。年に2回程度、修行に参加するだけのカジュアル山伏です。趣味のひとつとして山伏やっているわけです。割りと軽率に「楽しそう」と思ったことには手を出す人間なので。

修行の様子はこんな感じです。めちゃくちゃ楽しそうじゃないですか? かなりの非日常を体験できますよ。ただ、普段から運動してない人には厳しいと思います。たとえば明日からの修行は1日で約24km、高低差は最大1,300メートルぐらいの行程。それでもさっき書いた通り、この行は楽な方です。なので正直、そこまではしんどくはないんですが、運動習慣のない人だと無理だろうと思います。

というわけで。しゅげんじゃはしばらく消息を絶ちますが滑落でもしない限り生きているので。どうかご安心ください! たぶん今年は雨の中の行になるだろうなぁ……。

【おしまい】

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