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新聞は大東亜戦争開戦をどう伝えたか

昭和16年12月9日の朝日新聞夕刊は、前日に西太平洋、グアム、フィリピン、マレー半島で戦端が開かれた大東亜戦争の特報記事で埋め尽くさた。

【大本営陸海軍部発表】『(十二月八日午前六時)帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり』

【大本営陸海軍部発表=八日午後一時】一、帝国海軍は本八日未明ハワイ方面の米国艦隊並びに航空兵力に対し決死的大空襲を敢行せり二、帝国海軍は本八日未明上海において英砲艦「ペトレル」を撃沈せり、米砲艦「ウエイキ」は同時刻我に降伏せり三、帝国海軍は本八日未明新嘉波を爆撃し大なる戦果を収めたり四、帝国海軍は本八日早朝「ダバオ」「ウェーク」「グアム」の敵軍事施設を爆撃せり

12月8未明にはじまった大東亜戦争の、開戦劈頭の戦況を伝えるニュース。それらとともに、『宣戦の大詔渙発さる』との大見出しで、昭和天皇の詔書(米英に対する宣戦布告の詔勅)が全文、掲載された。

「朕ここに米国および英国に対し、宣戦布告す」からはじまり、日本が開戦に踏み切った理由、大日本帝国の戦いを妨害してきた米英勢力の理不尽に対する義憤の念、そして東亜の安定を確保するには陸海軍あげて取り組まねばならないとする決意がつづられ、国民に対しては「一億一心ひとつにして国家の総力をあげて戦う目的達成のために、誤算がなきよう気を付けよ」と、これからはじまる戦いで一層の奮起と団結を呼びかけた。

この中で、昭和天皇の強い意志によって入った一文がある。それは、「今や不幸にして米英両国と戦端を開くに至る誠に已むを得ざるものあり 豈朕か志ならむや」(今や不幸にして米英両国と争いを始めるに至る。まことに已むを得ざるものがあるが、決して朕がめあしたものではないのである。)

常に平和を愛され、戦争を回避したかった昭和天皇の大御心が、この一文に込められている。

『帝国の対米英宣戦』と題する社説では、「宣戦の大詔ここに渙発され、一億向かうところは厳として定まったのである」にはじまり、日本の立場を理解せず東亜の安定化を執拗に妨害してきたアメリカを痛烈に批判、「アメリカをはじめとする敵性勢力を一掃しないことには帝国の存立をまっとうすることはできない」と述べ、不幸にも戦争が起きた原因はすべて米国側にあるとの論調を展開する。

「いま宣戦の大詔を拝し、恐懼感激に堪えざるとともに、超然として満身の血を震えるを禁じ得ない」「宣戦とともに、刻々と勝報を聞く。まことに快心の極みである」「いまや皇国の興廃を決するのとき、一億国民が一切を国家の難に捧ぐべき日は来たのである」など、ほとばしる激情をそのまま言葉に刻み付けたような文章が並ぶ。戦争は始まったばかりで、勝負はこれからだというのに、もう日本が勝ったかのような雰囲気すら伝わる。

ハワイ空襲やフィリピン、グアム、マレーにおける戦況、および米国ホワイトハウスの反応は、現地の特派員が外電を飛ばして伝えている。

【ワシントン特電七日発】『七日ホワイトハウスでは、日本軍がハワイ諸島とマニラに対し空襲を開始した旨報告した』

【ニューヨーク特電七日発至急報】『七日ホワイトハウスはハワイ諸島のオアフ島と真珠湾に対し日本軍による攻撃が開始されたと発表。さらに数分後、マニラに対しても空襲が行われたとの追加発表を行ったが、この日本軍の攻撃はオアフ島にある全陸海軍の軍事基地に対して行われたものであるとわれる』

【ホノルル特電七日発至急報】『未確認情報によれば、外国軍艦が七日真珠湾沖合に現れ真珠湾の防御施設に対し砲撃を開始したと。現地AP特派員は、その模様を次のごとく報じている。“記者がサンフランシスコに記事を送ろうと電話の受話器を手にしていると突如轟々たる砲声が聞こえてきた。記者は日本軍飛行機が五機編隊でホノルル上空に現れるのを見た。米国の高射砲はたちまち物凄い砲撃を開始し、ホノルルの上空は米戦闘機で覆われるに至った”』

【ブエノスアイレス特電七日発】『七日ワシントンよりのアブアス通信によれば、日本軍の真珠湾空襲に際して米国戦艦二隻が撃沈されたが爆弾はオアフ島の陸軍飛行場にも投下され三百五十人以上の死者を出したといわれる』ハワイ空襲の特報以外にも、各地での戦況を伝える一報が大きな見出しとともに掲載。“比島、グアム島を空襲”“シンガポールも攻撃”“マレー半島に奇襲上陸”“香港攻撃を開始す”マレー半島コタバルへの奇襲上陸作戦は、真珠湾攻撃より約一時間早く決行された。

日米開戦を受けた国民の反応しはどうだったか。朝日新聞記事の見出しを拾ってみよう。

『米英膺懲世紀の決戦! 必勝不敗の発表 陸海軍報道部沸く』。まるでスポーツの試合記事かと疑わんばかりの見出しで、そこには陸海軍報道部が伝える勝報の連続に、陸海軍の報道部内が歓喜に包まれた状況が克明につづられている。

その隣の記事の見出し『大内山に祈る赤子 感激の瞳に鉄石の気迫』。皇居に向かって遥拝する国民の姿が激写された写真が一枚。長い不景気による閉そく感と、統制経済による困窮で希望を失っていた国民に、日本陸海軍の快進撃は胸のすく“吉報”であったことが分かる。

活気づくは軍部や国民だけではない。株式市場も、“国威発揚相場”となって株の爆売れが進み、さまざまな株の取引きが活況を呈したと報じている。

とくに開戦劈頭の舞台となった南方の関連株、または輸送船舶の株は軒並み跳ね上がり、先行き期待感もあって買い注文が殺到したとのこと。戦地から舞い込む勝報に、元気のなかった国民の多くは息を吹き返し、その騒ぎぶりはまるでお祭りを楽しんでいるかのようにすら映る。

日本は米英との戦争を「聖戦」と位置付け、それは避けて通れない「正義の戦い」との覚悟で挑んだ。その思いは軍部だけではない。国民や新聞も同じであった。国民の多くが陸海軍の決断を歓迎し、喝采を送った。

日本が踏み出した戦争への道が、やがてすべてを飲み込む暗くて深い墓穴だったとは、このとき多くの日本人は気付いていなかった。


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