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宮部みゆき『蒲生邸事件』を読んで。“過去を裁く”ことの危うさ

宮部みゆきさんの作品に、『蒲生邸事件』というSF推理小説があります。

この小説の設定はかなり変わっていて、まず「226事件」という歴史的事件を題材に扱っていること、主人公がタイムトリップの能力を持つ男性と昭和初期に「時間旅行」すること、タイムトリップした先のお屋敷で不可思議な事件に遭遇することなど、歴史とSF、ミステリーの各要素をふんだんに盛り込んだぜいたくなストーリー設定になっています。

この小説を読んで面白かったのはもちろん、「自分が日頃考えていることを代弁してくれた」と個人的に思うことがあって、作者にとても共感したというか、何だかうれしい気持ちになりました。

宮部みゆきさんが代弁してくれた私の心情とはどんなものだったかというと、作中に次のような趣旨のセリフが出てきます。

「歴史の答えをすべて知っている現代人が、何が答えかわからず手探りで生きている今の時代(昭和初期)の人たちを、どうして軽々しく批判できようか。自分はそんな卑怯な人間にはなりたくない」

これは、現代(平成6年くらい)から昭和初期に飛ばされる十代の浪人生(主人公)に対して、時間旅行能力者の男性が言い放つセリフです。

もちろん正確な文言ではありませんが、このような趣旨だったと記憶しています。そして、このセリフは、作品の重大なテーマであると同時に、作者の歴史観だったのではないか、と自分の中で解釈しています。

日本はかつて大国アメリカに戦争をふっかけるという大ばくちをやり、無残にも敗れてしまいました。そして一度は国を滅ぼしてしまいました。

日本が焼け野原まで突っ走るきっかけとなった歴史的事件の一つに、小説の題材である226事件が含まれます。主人公は平和な世の中しか知らない現代人、まさかまさかのタイムトリップで過去に連れて行かれ、そこで出くわす人々はみな「これから起こる悲惨な戦争に巻き込まれる人たち」です。

頭から足のつま先まで、平和教育を全身に浴びた現代人からみれば、「かわいそうな人たち」であり、「愚かな人たち」、そして「間違いを犯す人たち」です。主人公も最初はそのような目で昭和初期の生活人や軍人たちと接対します。

が、時間旅行能力者の男性や、住み込みで働くことになる先の蒲生邸の人たちとの交流を通して、「歴史を見る目」が少しずつ変容していき、それまでの自分の見方や現代人の歴史観に疑問を持つようになります。先述のセリフの文言を借りれば、「後出しジャンケンを平気でして恥じないような、そんな卑怯な人間にはなりたくない」という考えが主人公の中で芽生えていくのです。

私自身も、日本が起こした過去の戦争に対する、現代人の「上から批評」に、強い違和感を覚えてきました。

平和を愛すればこそ、先の大戦への反省が深いからこその反応とはいえ、そんな単純に言っていいものか、といった疑問を持ってきました。

開戦を決断した時の権力者や、敗戦をもたらした現場の指揮官、無謀な作戦を強行して大量の犠牲を生んだ作戦参謀らに対しては、特に批判が厳しくなります。罵倒する人もいます。心底から軽蔑するという人もいるでしょう。そうなる気持ちもわからなくありません。

けどどうしても、「それは全部後出しジャンケンだろう」と言いたくなります。

何が正解で何が間違いか、当時の人にはわからない。その決断や判断、選択をすることの重さは、当時の人にしかわからないのも事実。

よく考えれば当たり前のことで、判断や選択の間違い、どうすればいいかわからず頭を抱えて先送りにしている政治や社会の課題は、今の日本にもたくさんある。悲惨な戦争はしていなくても、国のリーダーが信じられないような大きなミスもしているわけで、度を超した被害があってもなかなか表面化しにくい。

今の時代は、「戦争をしない」決断をするのはとても簡単です。そこに迷いも苦しみもなく、ほとんど考える必要もない。「戦争は悪」「戦争は悲惨」「戦争は間違っている」という答えがはっきりしている以上、よほどのことがない限りその選択肢はあり得ません。

しかし、昔はそうではありませんでした。「戦争」という選択肢は、けっこうリアルな範囲で存在していました。この厳然たる事実を直視しなければ、正当な歴史評価もできないでしょう。

今の時代を生きる私たちが苦労もなく簡単に平和の道を選べるのも、そうした重く辛い歴史あってこそだと言えるのです。

かくいう私も、昔は当時の指導者や責任者をこっぴどく批判していた時期がありました。

真珠湾攻撃を主導した海軍の山本五十六元帥、インパール作戦を指揮した牟田口廉也中将、レイテ決戦で米軍艦隊を一網打尽にする絶好の機会を逸した栗田艦隊……「どうして」「なぜ」の疑問や怒り、悔しさが消えず、感情的な批判が入り交じることもありました。

けれど、調べれば調べるほど、たくさんの資料にあたって情報量が増えれば増えるほど、そう単純ではない事情もわかってきます。所詮はやはり後出しジャンケンなんです。ただ間違いの表面をなぞるような批判ではなく、なぜあのとき間違ったのか、間違える背景には何があったのか、それを防ぐにはどのような方法が考えられたか。そこまで掘り下げていかないと、本当の意味での反省、本当の意味での歴史の評価はできないと思います。

話が脱線しましたが、そんな『蒲生邸事件』、「過去裁く」ことの危うさと歴史との真摯な向き合い方を教えてくれる異色のSFミステリー、昭和史に興味のある方にもおすすめです。











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