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ぶらっくラー麵しょうや~26歳で創業~爆速経営キロク(SYOYA=age21~26)

出戻りラーメン修行の日々

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出戻りにも関わらず新福菜館は、相変わらず温かく迎えてくれ、僕は本格的にラーメン修行にはいります。当時はエネルギーに満ち溢れていてWワークも余裕ででき、独立志向の人が多く働くカフェでもバイトをしてました。
当時9時~17時は新福菜館、19時~26時まではカフェ、と結構はハードスケジュール(笑)気づけば90連勤という、ちょっとわけわからない働き方をしてました。
新福菜館はとにかく「味」を勉強しようと。あともう一本自分の軸足になる経験を欲していて、もう一店、味と同様に「接客」で一定の評価を得ていた「塩元師」(すごく有名なラーメン屋さんです!)でも働いていました。自分にない経験をこの時期詰め込みまくって、1つでもラーメンの世界を知りたかった。
何もないから、夢中になれた、そんな時期でした。

新福菜館で出戻りしwワークしてた頃の僕


塩元帥は味はもちろん接客のノウハウも沢山教えてくれた環境


海外への急な飛び立ちage 25-age26

そんな無我夢中でラーメン修行に明け暮れる毎日でしたが、
僕にはもう一つ、並行でやりたいことがありました。

~海外で生活して働いてみたい~

若者にありがちな夢ではありましたが、ラーメンの道で創業を目指すにも
自分のこの奥底に眠る夢・渇望にフタをしてしまうといつか後悔するかもしれない。一度思い切り自分の気持ちに素直になって、飛び込んでみよう!と
思い立ち、頑張って貯めた200万を握りしめて(開業資金用でしたが…笑)僕は友人の知人がオーストラリアでレストランをやってるご縁を聞きつけ、ちょうど人が足りていなくて困っているとのこと!これをまたとない奇跡だと捉え、オーストラリアに飛び立つことに決めました。

オーストラリア上陸!英語話せません!笑

語学力皆無!オーストラリアンサバイバル

age 25-age26

25歳の夏、そんなこんなで僕はオーストラリアへ飛び立ちました。
※オーストラリア上陸までに話せた英語は「ハイ!」「センキュー!」のみ。一夜漬けでもなく、オーストラリア行きの飛行機の中で、トラベル英単語集を握りしめて頑張って最低限でも覚えようとしましたが、飛行機の中ではガン寝し、降り立った空港で「トイレどこ?」でさえ聞けない状態でした笑

オーストラリアの地へ上陸!!!

とりあえず片道切符で飛び込んだものの、僕が最初に向かったのは、知人紹介の焼き鳥屋さん。オーナーと従業員の計2人で営業しているお店でした。空港で「トイレはどこでしょうか?」が聞けない僕でしたが、厨房ではなくまさかの「ホール担当やって」という無茶ぶり!
流石にボディランゲージで注文をとるわけにいかず、ようやくお尻に火がついが僕は、その日から、語学勉強を猛烈にやりました。(いや、やっとけよ…!)


サブウェイ行って複雑オーダーができる位の語学力を身につけた僕は、オーストラリアにせっかくいるこの期間に、接客以外の別の経験したい!と思いたち、なぜか農園に行き着きます。

ズッキーニ農園、トマト農園、レモン農園、ピーマン農園

人手が足りていない農園では、若い男、というだけで採用してくれました笑

朝5時にファームで集合し、ありとあらゆる農作物を、ひたすらもぎる、収穫する、それで8ドルとかもらえました。色々な農作物を試すうちに、上からなってる農作物のが圧倒的に楽!だと気づき、最終地点はレモン笑

このカゴ満タンで100ドルです。


レモンファームでは「規定サイズ以外のレモンはとるな」とお達しがあったのですが、いい加減な僕は「これ位いいっしょ!」精神でほぼ規格前のサイズのレモンをもぎとり、ある日オーナーから「You are Fired! 」(お前はクビだ)と通達を受けました。

サブウェイで複雑オーダーができるまで語学力が進化していた僕でしたが、

「Fire=火?」「お前はホット!」…褒められている!?

と若干舞い上がって喜びましたが、すごい怖い顔をしているオーナーから
「クビ」という意味を次第に感じ取り、「ワンモアチャンス!」と叫びましたが撃沈したというのもいい思い出です…笑

金欠の罠!日本強制ステイとなった僕age 25-age26

そんなこんなで、あっという間の1年が経ちました。
2年目のビザとれて、2年目もこの地にいようと思っていましたが、友達の結婚式で一時帰国する機会があり、日本に帰りました。

僕は、カツカツの自転車操業で生き延びていたので、まさかのオーストラリアへの戻る渡航費用がない!ということに日本に帰国後気づく始末…。

さすがにこれは親かな?と思い、両親に金貸してとせびりましたが、即答。

「バカいえ、ダメだろ」

ということで、僕はオーストラリアへの帰還がかなわず、強制的に日本ステイが決定しました笑

いつしかあれだけ無我夢中になっていたラーメンのことを忘れ、金がない僕は日雇いバイトや、その日暮らしの毎日で、しばし自分を見つめ直す期間に入ります。


帰国後やる事なくてバス釣りしてました。

「本気でやりたいことを探せ」ある人の一言age26


気づけば、結局昼飯は毎日ラーメンを食べていました。
ぐうたら引っ越しのバイトや、日雇いのバイトなんかをしてた僕を見るに見かねたのか、叔母さんがある時、分厚い紙袋を渡してこう言いました。

「翔也、あんたそんなフラフラしてないで。一旦この10万円をあげる。
好きなところ行ってきな。なんかやること見つけるまで、帰ってきたらダメだ。あんたの本気になれること見つけてこい」

気づいたら、毎日食べてたラーメン。
俺はやっぱりこれだ。
これしかないんだろうな。

ラーメンが好きで好きで
色々自分がやりたかったこと挑戦してきたけど
経験は全部無駄じゃなくて、むしろこれまでの経験を総動員した上で

自分の「ラーメン」を極めてみたい

「おばちゃん、みつかった。」

これが、僕が「SYOYA」の開業を心に決めた瞬間でした。

所持金10万円~ぶらっくラー麵しょうや創業! age26


広島に帰ると、ちょうどよい福山市駅家町に物件が空いてて、所持金10万円の僕は
まともな仕事についていた兄貴を保証人になってもらい、200万円借りることができました。

全てDIYで手作りのお店からスタート!

初めての物件取得した時
潰れたラーメン屋跡地


できる作業はすべて自分たちでやりました


いよいよ開業!ラーメン通だとおごっていた自分に足りなかったもの、現在のSHOYAへの軌跡>>続き

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