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口述筆記のライブ感をギャンブルの疾走感とからめて〜ドストエフスキー 『賭博者』

最近はドストエフスキーをつづけて読んでいる。

ロシア文学は登場人物の名前がおぼえにくくて(長いし)苦手なんだけれども、本作品はそのへんをいくぶんか気遣ってくれているようで、、いや、気の所為だろう。

ギャンブル(ルーレット)という、ライブ感あふれ、疾走感と共ににつむがれるストーリー展開のおかげもあるけれど

冒頭(1/3くらいまでか)の読みにくさ(名前のおぼえにくさとは別に、そうしたものはある)をなんとかクリアできれば、あとはストーリーの奔流に身を任せていけばいい。

その読みにくさは、状況説明がほとんどなされていないことからくるものと、登場人物が複数の国のひとたちからくるものなんだけれど(ロシア、フランス、イギリス等)

慣れてくると、そのおかげで読みやすくなってくるところもあったり。

とはいえ、そもそも「読みやすさ」っていうのは読者の一方的な作者に対する願い、要求にすぎず

ナボコフなんかはそのへんは逆に「これが読み取れなければ、ついてこれなければ、どうぞおかえりください」というスタンスなことを思えば

十二分に親切かもしれない。

他の作品(『死の家の記録』)なんかでもいえることだけれど、本作はとくにドストエフスキーの私的、自伝的要素の濃いもの。

それは「業」にまつわる。

たとえば、恋愛、病(やまい)。

病については

・癲癇(てんかん)の発作
・喫煙(ヘヴィースモーキング)
・ギャンブル

の三つを持っていて、本作はそのギャンブル癖に、自身の恋愛における体験をからめて作品へと昇華させている。

短期間で書き上げたことによる(勢いなんかのメリットはあるけれど)粗さ、雑さも目立つけれど

そのおかげで生み出せた作風、作品という意味で、本作は彼の(一般に知られる)五大長編とはまた別の代表作のひとつになっている。

本作が生まれた経緯としては、ドストエフスキーが出版社との契約上、期日までに(それもシビアでタイトな)中編小説を提出しないと、多大な経済的損失を被るっていうのがあって

一ヶ月弱(26日だったか)という短期間でここまでのものを作り上げることができた。

いわゆる「ピンチはチャンス」をものにした。

それを可能にしたのが、ドストエフスキーはじめての口述筆記のパートナーとなったアンナ・スニートキナ(速記者)。

彼女は後(のち)にドストエフスキーの二番目の妻になる。

アンナはドストエフスキーの結婚生活において、一番幸せな時期をともにすることができたパートナーだったようで(最初の結婚があり、その次に成就しなかった恋を経て)

彼女が著した『回想のドストエフスキー』は、とても価値あるものとして評価されている。

本作(光文社古典新訳文庫のシリーズも含めて)への批判がAmazonのレビューに散見される(少なくないという意味で)けれど

翻訳であるかぎり、100%そうしたものを避けられるわけもなく(翻訳に文句があるなら原文だけ読んでればいいじゃない、的な)

そういった諸々も含めて味わうものではないのかな。


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