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「OLD ROOKIEs」 第1話 -卒業-

「お世話になりました」

余韻を残すことも知らず、見慣れた小さな会議室はその声を一瞬で吸い込んだ。向かいに座る事業部長の表情ははっきりとしない。

「わかった。頑張れよ」

事業部長はそれ以上話すこともないといった様子だ。人生の転機とは、もっとドラマチックなシーンが繰り広げられるものかと思っていたが、本人以外にとってはどうやら大した出来事でもないらしい。引き止められるでもなく、何かを勧められるでもなく、微妙なやりとりを以って森の退職願はあっさりと受理された。
リクルート所属のマラソン選手・有森裕子の銅メダル獲得で社内が熱くなったアトランタオリンピックも幕を閉じ、秋の気配が感じられる1996年の晩夏のことだった。

森雅弘(もり・まさひろ)、33才。株式会社リクルートに入社して8年半。「情報が人間を熱くする」という熱のこもったCMのキャッチコピーに魅了され、直感的に入社を決めた。入社後は情報ネットワーク事業部にて新規事業に携わり、まだインターネット自体が存在しなかった時代からインターネットビジネスができあがっていく激動の時代を過ごしてきた。しかし、立ち上げから力を注いできた事業の完全撤退の決定が下され、森は退職を決断したのだった。

もう、ここには自分の居場所はないんだな。

少しは引き止めの言葉ややりとりがあると想像していたが、実に味気のないラストシーンだった。しかし、森の中には「まぁ、そうだよな」と事の顛末を受け入れている自分もいる。いつか、自分が会社を辞めることは前々から予想していたのだ。

もともと実家は自営業。生まれ故郷の石川県加賀市は昭和の高度経済成長期に繊維産業で栄えた城下町で、実家も繊維関連の自営業をしていた。糸を仕入れ、加工し、販売するという下請け製造業だったこともあり、子どもの頃から経営の厳しい局面を幾度となく見てきたが、どんな時も家の裏の工場で糸と向き合う父の背中を眺めながら、“いつか”は自分も何か商売を始めるのだろうと思いながら育った。

だから、今回の退職はある意味で必然的だった。しかし、入念な準備をしてから辞めたわけではない。これといった起業アイデアがあるわけでもなく、ぼんやりと思い描いていた“いつか”が今なのだと確信できる材料は何もなかった。

でも、不思議と森はなんとかなる気がしていた。

さて、どうしようか。

ひとまずは、前職の縁でリクルートの元上司が経営する出版・広告会社にお世話になることになった。出版事業や企業の宣伝広告・販売促進を支援する会社だ。

自社メディアの編集や広告販売に勤しんでいたある日、株式会社ワークスコーポレーションという会社へ出向くことになった。ワークスコーポレーションは『DTPWORLD』というデジタル専門誌を発行する会社で、森はクライアントの広告掲載の案件がきっかけで訪問した。ここもまた、リクルート出身者が立ち上げたと聞いていた会社だった。

「ご無沙汰しています、森雅弘です。リクルートの時、しばらく隣の部署にいました。覚えていらっしゃいますか?」

「おぉ、久しぶり!元気か?」

本当に覚えていたかは定かではないが、ワークスコーポレーションの社長・主森武(とのもり・たけし)は、昔と変わらず人懐っこい笑顔と関西弁で迎えてくれた。頭の回転が非常に速く、それでいて人情深い人物だ。

広告の打ち合わせが一通り終わると、世間話になった。

「で、森くん。ホンマは何をやりたいんや?」

「社長になって、成功したいです」

まるで小学生のようなセリフだった。でも、森は本当にそう思っていた。

「なるほどね。実は、うちの別会社にフューチャーワークスという会社がある。『DTPWORLD』のレップで、まだ、社員もゼロなんやけど、この会社で社長をやってみるか?」

思いもよらない提案だった。レップとは、いわば広告代理店のこと。主森は、『DTPWORLD』の雑誌広告の売上をさらに伸ばし、会社を成功させたいと考えていたのだ。

「やってみたいです」

森は、二つ返事でオファーを受けた。真っ白なキャンパスのような会社を任せてもらい、自由に絵を描いて成功したいと思った。

2人の思惑は少し違っていたが、賽は投げられたのだ。こうして森は、昔からなりたいと思っていた「社長」という肩書きを意外な展開で手に入れた。リクルート退社からまだ1年と経たない、1997年夏のことだった。

つづく。
第2話 -挑戦- https://note.mu/showcase/n/n2b1a8afc07fc

株式会社ショーケースの「これまで」と「これから」を描くノンフィクション小説『OLD ROOKIEs』は、毎週1話ずつ公開中! 

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