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mixiというコンテンツがありまして「1」

最初にmixiについてではありません。

noteに何を書こうか考えていたら、そういえばmixiというものが昔々流行っていたなと思って、HPを開いてみた。
IDとパスワードは思いのほかすぐにヒットして開くことができた。
遡って読んでみるとなかなかカオスな状況で笑いながら読むことができた。
当時、二十代前半はこんなことを思いながら過ごしていたんだなと過去を振り返るとなかなか面白い部分もあり、今と変わらない考えを当時もしていたことを実感した。

少し前のnoteでモチベーションを上げるにはを4回に渡って書かせていただきました。
その時日記を毎日つけると書かせていただきましたが、過去の自分と向き合うことができるのはとても大事なことです。

いま自分が直面している課題を過去の自分はもうすでに乗り越えてきたことがあるかもしれないからです。

今回のmixiの日記は全くそんな内容ではありませんが(というか、アホみたいなことばかり書いていた)面白かった日記ほぼそのまま(一部変更)載せようと思います。

2010年3月26日 04:05
タイトル「実存主義は絶望の哲学」

題名は特に何もないです。気まぐれです。
でもサルトルは人生で絶望したことはないらしいです。

まあこれも特に何もないです。

実存主義が絶望の哲学というなら、いま置かれている自分の現実は絶望の状態です。
なぜか!終電に乗ることができずに天王洲アイルから徒歩帰宅。
芝浦のプレスルームだったら裏、友達の家なのにとか思いながら寒空小雨の中のウォーキング。スニーカーで良かった。てかシューズくれ!!!いっぱいあるだろ!!とか思いつつ歩いてます。

〇〇〇〇○○こんなこと言ったら殺されますけど。。

さ~って帰るかと思った矢先、「私今月で辞めるのよね」って。
知ってますけどなにか。

結局断れない数人でバーに行くことに。

そして永遠。自慢の息子の話しをwww
確かにイケメンですよ!!だってハーフだもん!!とか思いながら中学受験合格の息子の話しとバンドマンになりたい息子の話し。

そして終電に乗り遅れる。

ふ~です。

まあ明日はなにもないしいいかと思いながら帰路につく。

そしてここからがウォーキングで帰りながら考えたこと。

某日記での言葉について。

言葉って確かに面白いな~って。
言葉の発展って人類そのものの進化だよな~と。

言葉がない頃の時代ってどうやって人に気持ちを伝えたんだろうって。
多分、あ~。とか、う~とか母音のイントネーションと表情だったのかな?

創造てのは不完全なものから生まれて
それは思いや、欲求不満が創造の源だと思う。
言葉も同じで、互いに通じ合いたい孤独を乗り越えたいという欲求が言葉を発展させてきたんだと思う。

言葉で面白い所は、抽象的で形のないものを伝えようとした時。
例えるならば愛とか好きとか思いとか。

犬とか猫とか携帯とか物質的な物なら、言葉を発した時にその物を想像して脳に入り理解する。それはその物が物質的なものだから。

でも言葉を発声した時、空気の振動によって相手の耳に入り脳へ行き着く。そして理解する。本当理解しているのか。

もし宇宙空間で生きることのできる生命体がいるのならニュータイプみたいに分かり合えるんだろな。

言葉は形式であってシンボルだし。発声した本当の意味なんて本人すら理解してないかもしれない。

でも人類はその形式を作って形のないものを伝えようとしたんだよな。

前にブログで『ここにはブログのURLがありました』(ちゃっかり)万華鏡の視覚を見に行った時に書いたんだけど。

物には実体がなく、実体がないのが物である。という「空」の概念が言葉ってことを書いたんだけど。そもそも形のない言葉をどうやって伝えるのかね~。

昔、人類は「嘘と自慢」によって発展と進化をしてきた!!と自分で答えをだしたんだけど。

その時に最初に考えたことも言葉だったな。まあ考えはまとまらないけどwww
つくづく言葉ってスゴいと思う。

そして言葉を形式にした人類も

好きな人にあのドキドキ感を伝えるときも
怒って行き場のない感情を伝えるときも
堪えきれない悲しみを涙に乗せて伝えるときも
何気ない一言も。

形のないシンボルで人に伝えることができるんだ。と思うと人間ってスゴいと思う。

今は
好きな子からメールが来て、すぐに返したいけど「あんまり早くてもキモイな」と思って、本文だけ打って送信ボタンを押さずに携帯を閉じる。あの感じをもう一度味わいたい。


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