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一周回って「生活」を

檀家のお寺離れ?

メディアの取材で「檀家のお寺離れが進んでいるようですが」と投げかけられることがあるけど、そんなときはだいたい「いえ、檀家のお寺離れ以前に、人口減少と過疎化の結果です」と答える。

確かに、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、なんていうところまで菩提寺に対して心底うんざりしている人ならば、「うちは檀家を抜けます」っていう突っ込んだアクションを取ることもあるかもしれない。でも現実のところ、ほとんどの檀家にとって菩提寺と関わる機会なんか、墓参りや法事や葬儀などたまにしかない。だから、少しくらい菩提寺に疑問があっても、わざわざ労を執って離檀のアクションに至ることは少ない。自分の人生にとってそれほど重要でなく、他への選択に労力やストレスのかかるものをわざわざ切り替えるほど、現代人は暇じゃない。

お寺で言えば、法衣店との付き合いに似ているだろうか。とりあえず今の関係で必要は間に合っているし、他社へ取引を切り替えたところで法衣の品質にそこまで違いがありそうに思えないし、狭い世界だから他社に切り替えるのもなんとなく角が立つ。たまに「他社でもっといいところがあるかも知れない」と思うことがあっても、たいていそのまま現状維持となる。

お寺の檀家離れ

もしお寺に関して「○○の○○離れ」があるとしたら、それは「お寺の檀家離れ」であると、山梨のお坊さんグループ、坊主道代表の近藤玄純さんは言う。お寺の方が、変化する檀家から離れてしまっているという。その通りだと思う。確かに、お寺の中で話をしていると、「檀家」という言葉に込められたイメージが、絶滅しかけた人間、あるいはもはや存在しない人間のことを指しているとしか思えない時がある。

僕は、もっと言えば「お寺の生活離れ」ではないかと思う。かつてお寺は村の人々の生活の中心にあったと言われる。それはしばしばノスタルジックに語られるフレーズだし、僕も昔のお寺がどんなだったか実際に知るわけではないから、それが本当かどうかはわからない。

でも、自分の40年の人生を振り返ってみても、北海道で育った子供の頃、近所にあった祖父が住職をしていたお寺は、少なくとも今よりは人々の生活の中にあったように思う。墓参りや法事や葬式だけでなく、檀家さんのお宅へ住職が伺う毎月の月参りも多かったし、季節の行事も賑やかだった。幼稚園や保育園がお寺の横にあって、境内で遊ぶ子供も多かった。自分が生まれるより前まで歴史を遡れば、お寺の境内で開拓者たちの子供の教育がなされていたりとか(それが後に小学校になるケースも多かった)、もっと生活への密着度は高かったのだろうと想像はつく。

今は、それら人々の生活に密着したあらゆる機能において専門化・細分化が進み、行政やNPOや教育機関などが担うようになっている。残ったのは、法事、葬儀、墓参り。墓参りはそれでも、盆暮れ彼岸という年に数回の接点があるけど、その墓参りすら、最近は永代供養化が進んで一回限りで終了する。

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このnoteマガジンは、僧侶 松本紹圭が開くお寺のような場所。私たちはいかにしてよりよき祖先になれるか。ここ方丈庵をベースキャンプに、ひじ…

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