見出し画像

アルトルイスト

世界の経営者たちが本気で変わり始めた

このところ連日のように開かれる、某県知事のオンライン勉強会。今日は末吉竹二郎さんからのご提言。末吉さんといえば、金融界の舞台で国際的に長年活躍されてきて、国連などの国際組織にもつながりが深く、近年はダイベストメント(地球に優しくない企業への投資を引き上げるアクション)など新しい金融のトレンドから今後の社会のあり方に関して積極的な提言・活動をされている方だ。エシカル協会の末吉里花さんのお父さんでもある。親子揃って地球に優しい。

世界的な大企業が続々と、自社利益中心、株主中心主義から方針転換し、社員中心、社会中心、地球中心主義へと舵を切っている現状を紹介された。金融界も「責任銀行原則(Principles for Responsible Banking)」を打ち出し、SDGsやパリ協定に沿わない企業には投資をしないという方針を明確にしているという。先日、ダボス会議の運営側の友人からも「今までも企業は”地球のため”と言ってきたけれど、今年のダボスでは世界の経営者たちが本気で変わり始めたのを感じた」と言っていたので、いよいよ本気で社会が転換してきたのだと思う。

人類、総宗教者化

宗教やNPOといった非営利組織の中にいると、しばしば「私たちは金儲けのビジネスとは違う」という言葉を耳にすることがある。でも実際は、企業はもはや金儲けを目的としていない。少なくとも、これまでよりも脱・金儲けにシフトしている。「自己責任」「生産性」を振りかざす最近の日本政府が「社会の会社化」を目指しているうちに、会社の方がどんどん社会のことをやるようになってきている。企業のトップの人格が急に向上したわけではなく、社会環境や地球環境の悪化をこのまま放置していては企業活動そのものが持たなくなるという危機感の現れだろう。変わるとなれば、変わり身の早いのが、企業だ。スポーツ選手がプレーするためにピッチを必要とするように、自分たちが企業活動を維持するために必要なピッチである社会や地球のメンテナンスに本気で取り組むようになったということだ。これまでは行政に任せていた領域を自前で面倒見なければならないほどに、企業活動が肥大化したことの帰結でもある。

資本主義というピッチの上で、できるだけ多くの富を得たプレイヤーが勝ちという世界から、地球というピッチの上で、できるだけ脱落者を出さずに皆で長くゲームを続けることを楽しむ世界へと、ゲームのルールが変わったのだ。サッカーから蹴鞠に変わったようなもの。と言ったらかえって分かりにくいだろうか。

利他といえば、かつては宗教者の専売特許だった。しかし今は、利他こそ、ビジネス含めてあらゆるリーダーにとって最も重要な資質となった。「世のため、人のため、ご先祖様の恩に報いるため」という宗教のメッセージは、「for sustainablity, well-being and spirituality」に置き換えられてあらゆるリーダーが語るものとなった。世の流れを読むのに長けたビジネスリーダーほど、「あんたは宗教者か」というほどに利他的リーダーシップへと転向し始めている。これは一過性の短期トレンドではなくて、今回のコロナにも見られるように、今後世界的に起きてくる様々な危機を前提とした長期的なトレンドだと思う。

人類、総宗教者化。

未来からやって来た人

そんな時代に、あえて「宗教者」として生きるとは、どういうことになるだろう。「世のため、人のため、ご先祖様の恩に報いるため」なんて若い人に語りかけても、「当たり前だよね」と返されるのがオチだ。語るだけなら誰でもできるし、すでにもうみんな語り始めている。ならば、行動するしかない。「世のため、人のため、ご先祖様の恩に報いるため」に行動し、それを本気でやりきる他に、仕事はないと思う。

利他、と漢字で書くとどうしても仏教的な定義に走りたくなるので、あえてユニバーサルな文脈で話をするために、英語で言ってみよう。利他は英語で、altruism(アルトルイズム)という。利他者は、altruist(アルトルイスト)だ。今や、アルトルイストは宗教者の中だけでなく、あらゆるところに増殖している(かえって宗教者の中に見つけるのが難しかもしれないとか、余計なことは考えないでおく)。世代的には若い人の中での増殖率が高いようだ。これから彼ら彼女らがこの地球で生きなければならない年月の長さを考えれば、当然のことかもしれない。人類全体が、行きつ戻りつしつつも、大きな方向としてはアルトルイスト化していく未来へと進んでいる。

「宗教者」の仕事は、これまでは「みんな、アルトルイストを目指しましょうね」と未来の方向性を示すことだったかもしれないが、すでに世の中の方向性が完全にそちらへと定まった今、残された仕事は唯一、未来からやって来た人として生きることだ。利他の実践のフォーキャスティング的思考からバックキャスティング的思考への転換、なんて言ってみれば今っぽい響きにもなる(言ってみたかっただけ)。

お坊さんや、宗教者の方へ

10年後、20年後、30年後、人類のアルトルイスト化が急速に進んだ未来から、その入り口に立っている現在へとタイムスリップした人のように、考え、語り、行動すること。そんな風に「未来から来た人」として自分を捉えてみると、宗教者とかお坊さんとか、そういう肩書き的なものはもはやどうでも良い感じがしてくる。自分がアルトルイストである、ということも、ことさら言い募るほどのものではない。だって、みんなそうなんだから。ただの人、でいい。

いや、自分のことを「ただの人」と呼べることは、幸せかもしれない。だって、今僕ら一人一人が世界の舵取りを間違えば、30年後、人類のアルトルイスト化以前に、人類が住めない地球になっているかもしれない。人類の数が激減して希少動物となってしまえば、「ただの人」なんて勿体無くて言えないだろう。

お坊さんや、宗教者の方へ。

僕らが指し示してきた「世のため、人のため、ご先祖様の恩に報いるため」の方向性は、間違っていなかった。
僕らがどれだけ貢献できたかはわからなくとも、とにかく世はアルトルイズムに向かい始めた。
方向性を指し示す仕事は、ここで終わり。
どうもお疲れ様でした。

これからは、世が向かい始めた先に待っているはずの未来から来た人として、生きよう。
宗教者であるとかないとか、何の宗教かとか、関係ない。
宗教、という言葉にこだわること自体、そろそろやめたほうがいいのかも。
アルトルイストが連帯して、for sustainablity, well-being and spirituality、を実現する。

若い人たちほど、アルトルイスティックな人が多いのを感じる。
未来に近い人だから、当然だ。今の人類の行動の影響を一番強く受ける人たちだから。
僕も年々、歳をとっていくけれど、歳をとっても「未来から来た老人」のような、未来に近い人たちの邪魔をしない生き方をしたいなと思う。

口だけで済まさない。まずは自分からだな。

ここから先は

0字

当マガジンは「松本紹圭の方丈庵」マガジン内のコンテンツの一部を配信してお届けしてきましたが、7/31をもって停止させていただくことになりま…

このnoteマガジンは、僧侶 松本紹圭が開くお寺のような場所。私たちはいかにしてよりよき祖先になれるか。ここ方丈庵をベースキャンプに、ひじ…

"Spiritual but not religious"な感覚の人が増えています。Post-religion時代、人と社会と宗教のこれからを一緒に考えてみませんか? 活動へのご賛同、応援、ご参加いただけると、とても嬉しいです!