短歌妄想|たくさんのおんなのひとがいるなかで
三十一文字の詩から思い浮かべた情景についての雑記。
出逢いについて詠っているのになぜか、雑踏に紛れて見つけられなくなるふたりの最後を想像してしまう。
愛するひとの背中を見送りながら、思い出へと語りかけるような静けさが、この歌にはある。
ストレートに澄んでいる。
平仮名だけで構成されることで、子どものような純粋さを思わせるんだろう。
ガタンガタン。
時おり通り過ぎる電車の音。
わたしたちはさっきまで駅の近くの喫茶店で話をしていて、最後にいつものように歩こうかと彼が提案をした。日曜の午後三時過ぎの人通りは、賑やかな川の流れのようだ。ふたりで歩くといつも、川を遡るつがいの鮭を想像してしまう。
数秒後には忘れる顔たちが、表情を変えながら、百、千と流れていく。逆流しているのは、きっとわたしたちだけだ。わたしたちは、ふたりでいれば特別だから。
楽しかったな、と彼が言った。ほんとに、とわたしが言った。
白のタートルネックにグレージュのチェスターコートを織るっていう、わたしの好きな無難なコーディネートの彼と、ベージュのハイネックニットにチャコールグレーのロングコートを織った、わたし好みの無難なわたし。
別れの予感がいつからか漂うようになって、ここ半年は曖味な空気感だったのに、いざ別れ話を終えてしまうと元の心地良さが戻ってきたように思えるから不思議だ。終わりなのに、はじまりみたい。年が明ける直前の澄みきった空気だ。
じゃあな、と彼が言った。元気でね、とわたしは返した。
一度だけ小さく手を振って、彼は少しだけ緩やかになった人混みを遡っていく。ひとりになったわたしは、もう川を上れない。このまま流れに身を任せてしまえば、すぐに周りと同化して見えなくなってしまうような無個性なやつだから、せめてあなたが雑踏の一部になるまでは、人の流れを塞き止めながら見送ろうと思ったんだ。
心からのありがとうって、背中にしかかけられないかもって思った。
こんなわたしによくぞ気づいて、愛してくれて、ほんとうにありがとう。
結局、無難なチェスターコートは、いつまでもいつまでも、いつまでも目で追うことができた。
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