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自己顕示欲と自意識過剰の狭間から抜け出すためには? (自己紹介エッセイ)

自己顕示欲と自意識過剰という一見相反するように思える感情の狭間でこの文章を書いている。

(厨二病か…?)

「自意識過剰な理系東大生」だなんてブランディング的に大々的に掲げたり、文章として自分の幼稚な考えを書き残すのなんて恥ずかしくてたまらない。

だが、これも僕の自己顕示欲(僕のことをわかってほしいという気持ち)と自意識過剰の混ざり合ったマーブルな世界から抜け出し、理想的な生活を送るためにやらなくちゃいけないことだ。

大学生になって、ある程度自分がこれまで関わってこなかった外の世界と関わることが多くなって、自分の感じたことや人間として弱いところを外に晒していかないと強くなれないと思うことが増えた。

僕は、ずっと「自分なんかが、、、」と思ってこれまで生きてきたので、やりたいことがあっても誰かと協力してやるのではなく、自分一人でひっそりと取り組むことが多かった。夢なんていうと大袈裟だが、自分のやりたいことを発信することなんて恥ずかしくてできなかった。

でも、自分一人でやるのと、最初から自分の考えに共感してくれる、力を持った人又は組織と一緒にやるのとでは全然できることの規模感も違うし、それを実現するのにかかる時間も違う。当たり前のことだがそんなことを色々な人と関わる中で、はっきりと認識できた。

で、そういうことを実現できている人というのは、自分がやりたいことや目標としていることを(恥ずかしげもなく)はっきりと「これがやりたい!誰か一緒にやろう!」と言える人なのだ。

ただ、これからも僕がそういうことができるようになるのは難しい気がする(突然僕がものすごい自信を手にすることがない限り)。だって、上を見れば絶対に自分よりもすごい人がいるから。そういう人がいるのが分かりきっているのに、
「自分はこれを実現したいです!」
なんて僕に言えるわけがない。
「こいつ俺よりできねえくせに、舐めたこと言ってんじゃねえよ」
と思われてしまうリスクがあるから。

簡単に言って仕舞えば、周りの人に「実現できる技量もないくせにでしゃばんな」と思われたくないということだ。
もちろん、これまで「宣言することで頑張らなければいけないという状況に自分を追い込むんだ」みたいなことを言っている本とか人はたくさん見てきたし、その通りだと思う。宣言することで、自分を確実にもっと頑張らなければいけない状態に追い込むことができて、その結果実現できる確率も確実に上がると思う。

そういう、「宣言することができる自分」になるために、まずはここで「自意識過剰な理系東大生」だなんてブランディング的に大々的に掲げたり、文章として自分の幼稚な考えを書き残していこうと思う。


さて、アンパンマンの歌ではないが、僕はずっと自分が「なんのために生まれたのか」考えている。詳しいことは、下の記事に書いたのだが、

これまで僕は「自分が生きている意義」を見つけるためにいろいろなこと(もちろん協力者がいなくても自分一人でやれること)をやってきた。

というのも、インスタの広告や、YouTube、本屋の自己啓発コーナーには、さも
「私は生きる意味を見つけて、今ものすごく楽しいです!」
「月に〇〇円稼いで、悠々自適な生活を送っています!」
「これをすれば誰でも楽して楽しくお金を稼げます!」
みたいな大成功した風の社長の情報がたくさん転がっている。

そういうのは大抵、「ブログを書こう!」とか「SNSの運用をしよう!」とか、いわゆる副業的な、忙しい本業をしながら一人でできるものなのであるのだが(そういう人たちをターゲットにした商売であるから)、正直僕は、そういう「自分が世界に存在している意味を見つけた」みたいな人が羨ましくてしょうがなかった。

だから、僕もそういうことをやってみた(やってみたというよりは始めてみた止まりではある)。しかし、正直全然、自分が楽しくそれをずっとやり続けている姿は思い浮かばなかった。

別に自分は、例えばそういう他人に役立つ情報を毎日集めて発信することに喜びは感じないんだなあと思った。

「好き」「得意」「世間が必要としている」「稼げる」「継続できる」これら5つを満たしていることこそ、いわゆる「生きがい」になるということを考えてから、そもそも"そういうこと"は、自分の好きなことでもないし、得意なことでもないし、継続できることでもないから自分の「生きる意味を探す旅」とは全く関係のないことなんだと思うようになった。

そういうことを認識するようになると、広告で見かけるそういう人たちに対して、もちろん羨ましいけど、「自分とは関係ない世界で生きる人」としてみる(ことができる)ようになった(大多数の人にとっての大谷翔平と同じ)。

そういう経験をしてからは、何かやってみようとする時は、まずはとりあえずやってみてそれが自分の好きなことなのか?得意なことなのか?ずっと継続できる可能性のあることなのか?と自問するようにしている。

ちなみに、こういう随筆的な文章を書くことは、比較的好きなことでもあるし、得意なことでもあるし、常に考えているから継続できる可能性の高いことでもある。と、現時点では思っている。

本来、何かを他の人に見てもらいたいと意識的に発信する者は、あるペルソナにとって"価値"のあるものを提供していなければならない。
"価値"がなければ熱烈なファンがいない限り誰も興味を持たないし、素通りしてしまうだろうから。

そういう点で、僕はほとんど"価値"のない"自己満"的な内容をエッセイとして発信することになる。今のところ世間に全く必要とされてもいないし、稼げることでもない、ただの「自己満」である。(ファンもいない僕の考え方が誰かにとって"価値"を持つわけがない)

"自己満"を、"価値"そして"生きがい"に少しでも変えていくための第一歩としても、恥ずかしいが厨二病的な自分自身を晒していかなくちゃならないのではないかと今は考えている。


そんなこんなで、僕がこのNoteに自分が日常で感じたことや考えたことを残していこうと思っている理由を長々と書いてきたが、この文章で少しは僕の人となりをわかってくれたのではないだろうか。

というわけで、これからこのNoteでは日々僕が考えたことを発信していこうと思っているので、どうぞよろしくお願いします。


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