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【身勝手人生相談】防衛に攻撃性は必要不可欠
どうもShoSeiです。
今回は気が向いたので、久々に身勝手人生相談をやっていきたいと思います。
「なんだそれ?」と思ってくれた人は、詳細の書いてあるこの記事を読んでみてね。
僕自身が励まして欲しいだけの人とかは苦手なので、相談とかしてこないで下さい。
てことで、相談内容を見ていきましょ。
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【相談内容】
TwitterのDMから相談してくれました。これを簡単にまとめてみると、
自分の身(特に心や精神)を守る為なら、その対象に攻撃をしていいのだろうか。また、その必要はあるのだろうか。
ということになってくるでしょう。確かに「うるせぇ」という言葉は一般的には良くないものとされているが、そんくらい言わないと黙らない奴もいる。子供は怒らないと言うことは聞かないけど、やっぱり怒るのは情けない。
僕の思う「健全な攻撃性」について、実際のエピソードなども交えながら回答していこうと思う。
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【身勝手な回答】
それっぽい雰囲気を出す為に、結論からいく。
“健全な攻撃性”とは、すなわち“防衛力”であり、「ハリネズミ」である。🦔
ハリネズミは自分を守る為に丸くなるとトゲトゲしちゃう訳で、よく考えると、相手が触れてこない限りそのトゲは意味を持たない。(背中についてるからハリネズミの意思で攻撃は出来ないと思う。動物に詳しくないのでよく分からないが。)
つまり、「防衛力を上げる為の攻撃性」と言える。別に自分から攻撃する必要はないし、相手が攻めてきたら勝手に自分のトゲにビビってくれればいい訳だ。
よくある例を挙げれば、「ボクシングを習う」などだ。ボクシングで鍛えたパンチを相手に食らわす必要なくて、ただ「ボクシングを習っている」という事実のみで、充分いじめや嫌がらせの牽制になるだろう。
僕の知り合いに物凄く筋トレをしている人がいるのだが、その人は「理不尽に怒られても、最悪の場合ボコボコに出来るからイライラせずにいられる。」と言っていた。(笑)
メンタルだけのことを考えるのであれば、使う使わないに関わらず武器を1つ持っておくといいのだろう。「なんかあったらコイツでどうにかすればいいや」的な発想だ。
これがすなわち、「攻撃性」と言える。無理して相手に対して反撃する必要は無いが、「いつでも反撃できる」という心構えと、相手にそれを感じさせる技術は身につけておいていいかもしれない。
「健全な攻撃性は何か?」という問いにはもう答えたのだが、せっかくだし「それの必要性」についても話させて貰う。
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やっぱり雰囲気を出したいから、結論からいく。
攻撃性は、限りなく必要になってしまった。なぜなら自覚の有無は別として、多くの人が攻撃性を持っているから。
例えば、アメリカとかの銃社会では「銃への対抗力」として銃を持っているひともいる。しかしそれでは銃の連鎖は終わらない。誰も攻撃をしてこないのであれば防衛の為の攻撃性は必要ないのだけれど、それはあまりに綺麗事すぎる。
結局人は独りだから、自分を守るのは最終的に自分しかいない。あゝ無情。
だから必要なんだけど、危険性として1つ頭に入れておかなければならないと思うことがある。
その攻撃性を、自分の本質としてはいけないということだ。あくまでそれは武器であって、自分自身ではない。
ハリネズミでいうと、「常に丸まってトゲトゲしている状態」になってはいけないということだ。武器は自分の身に危険が生じた時のみ「飛び道具」的な扱いで自分を守って欲しい。
それを本質にしてしまうと、時に大切な人も傷つけてしまう。人間に抗体はないので、くれぐれも毒を纏わないでくれれば幸いだ。
別に舐められたくないとか僕が思ったことはないけれど、あまりに舐められると実害を受けたりするのは想像がつく。今は「弱さ」すら武器にできる時代なので、新たに武器を作り上げるよりも今あるものを探した方がいいかもしれない。
それでいうと、仮に僕が嫌がらせを受けたとしたら「面白おかしくブログに書いたろ。(笑)」と思っているので、それも一種の攻撃性なのかもしれない。
わざわざ、辛い思いをする必要もないからね。
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最後に宣伝を失礼。
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・Twitterも始めたのでよろしく
今日も生きてて偉い!
美味しいお酒飲ませてもらいます!