「毒親」についての見解
どうもShoSeiです。
分かる人には分かりますが、ポケモンで1番好きな技は「どくどく」です。性格の悪さが伺えるかと思います。(笑)
今回は「毒親」について。
「親ガチャ」という言葉と共に、更に認知を広めた「毒親」という言葉。一般的に親ガチャでハズレとされるのが毒親という訳だ。
(親ガチャについて以前触れた記事はこちら。)
本当はもっと前に毒親について書きたかったのだが、いかんせん情報不足だった。
知り合いの話を聞いたりnoteの記事を読んだりしていく中で考えがある程度まとまったので、本日投稿してみる。
いつも通り、勝手に生きる人の勝手な戯言を勝手に楽しんでもらえれば幸いだ。
今回に関しては、繊細な議題なだけに読まない方がいい人もいる。本当に変わり者の人だけ読んで欲しい。
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まず大きな結論として、毒親とは「エゴの押し付け具合」によって定義されると思う。
「出来ればこうなって欲しい」と願うのは親として当然であるのだろうが、かといって「こうしろ!」と強制すれば毒親扱いされるだろう。
しかし、これは“教育”と“エゴ”の境目を明確にしなければならない。でなければ「くちゃくちゃ音をたてるな!」と注意しただけで毒親扱いになってしまう。
ここの境目に関して今回はあまり深堀りするつもりは無いので、簡単に「人として=教育」・「子供として=エゴ」だとしておこう。
別に人としてピアノなんて弾けなくたっていい。ピアノの存在とメリットを教えることと、本人がやりたいという意思があった場合に最善を尽くすのが人を育てる者として出来ることだろう。
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僕が着目したのは「こうなって欲しくない」についてだ。
こういう考え方をする人の大半は「自分みたいになって欲しくない」と思っているが、残念ながらそれはエゴだ。
僕は別に善悪の話はしていない。しかしこの考え方は自分のリベンジを子供でしているに過ぎない。
例えば、「自分は毒親に育てられてこうなったから、私はそんな育て方は絶対にしない。この子に私みたいな人間にはなって欲しくない。」これがエゴそのものだ。
別に思うのは勝手だが、それを押し付けられた子供はどうなる。「母の期待に答えなきゃ」と思うだろう。
母の期待に答える為に母の期待に答えるような人間にはならないでおこうと思うだろう。
自分の受けた毒を避けた結果、違う毒を与えてしまう。
多くの人は、これを認めないだろう。親子関係とはそれだけ複雑なものだと思う。
子供にとって1番辛いのは、親に薬だと言われながら毒を飲まされ続けることだ。
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ここまで読んでいる人がどれだけいるのか分からないが、本題はここからだ。何故こんな事が起こるのか。
それは解毒が済んでいないまま、子育てをするからだ。
それ自体は悪いことでは無いが、もし毒親になりたくないのであれば自覚が必要だと思う。自覚こそが解毒の第一歩だからだ。
そしてこれを発展させると1つの仮説に至れる。
毒親としての成立は、親が毒を有していると同時に子供が抗体を有していないことで初めて成り立つ。
つまり、自分の親を毒親と言っているのは「自分の抗体の無さ」を同時に証明している。僕個人としてはある程度の年齢になる頃には「親を諦めた方がいい」と思う。
変えられるならそれに対して努力をすればいいが、残念ながら育ての親は変えられない。
前回の親ガチャの記事でも書いたが、親によって「人生の攻略難易度」はまるで違ってくる。ここに綺麗事は存在せず、人生の理不尽さを詰め込んだような結論だ。
しかし、だからこそ諦めた方がいい。
仮に自分の全てが遺伝子で決まるとしても、自分は自分だ。いつまでも親に毒される必要は無いし、いつからか自分自身でアナフィラキシーショックを起こしているかもしれない。
解毒できない毒なのであれば、解毒を諦めてその体で工夫するしかない。
理不尽だなんてことは、生まれてから10年以内に理解しているはずだ。身長も違えば足の速さも違う。
僕たちが理不尽に抗う方法は、努力か諦めるかしかない。
努力の勝率は低いが、諦めたならば勝率は限りなく100%に近い。
僕もきっと何かの毒におかされてる。
毒をもって毒を制してみるのも、また一興だ。
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今日もありがとう。
さすがに空気の読めないと言われる僕でも、今回の記事を読んだ人の中に不快に思う人がいるだろうことは想像出来る。
それは素直に申し訳ないと思うけれど、どうしても言わずにはいられなかった。
僕が勝手に、毒親に育てられた友人に肩入れしているのかもしれない。
これも毒だな。(笑)
また次の記事で会いましょう!
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