【身勝手人生相談】承認の忘れ物
どうもShoSeiです。
ウイスキーはストレートが好きなのに、ブラックコーヒーは飲めない男です。(笑)
今回はいつもの堅苦しいやつではなく、TwitterのDMやnoteのコメントなどにきた質問や相談に勝手に答えていきたいと思います。
いつもの堅苦しいやつ↓
これを読むと少し小顔になります。
いつも、スキやフォローやコメント感謝です!
尚、ブログのコメント欄やプロフィールから飛べるTwitterのDMにて質問や相談は受け付けています。
Twitterはその為だけに開設したのです…。(笑)
答えるかどうかは気分次第ですし、勝手に答えるので参考になるかどうかは知りません。
ただ、僕の考えは述べさせて貰います。
(匿名で質問や相談内容を掲載させて貰います。一応確認は毎回しているのですが、掲載OKな前提で質問や相談をお願いします!)
本日答える質問はこちらです。
ShoSeiさんこんにちは^⚪︎^♫
私はいつも、もらったプレゼントのことや、 人にしてもらったことを忘れたくなくて日記として書いています。
それがしあわせで楽しいのですが、それも承認欲求だったり、 承認欲求しかないように見えていたりするのでしょうか。。?
私は客観性に乏しくて、どう見られているか考えてもいつもピンとこないので、
この記事を読んで、プレゼントの記録ってどう見えるのかな? って気になりました🤭
おしえてもらえたら嬉しいです♫
(Googleフォトで画像を文字起こししているので、多少原文と異なる可能性があります。)
まずは質問ありがとうございます。
とりあえず、「凄いな…。」と思いました。
多分、こんなにマメな事が出来ているなら営業職とか凄い向いてそうですね。
僕には絶対これは出来ないし、これが出来るというのは紛れもなく才能だと思います。
その上で、質問である「どう見られているか」ですが
知らないです。
まだ、怒らないでくださいね。(笑)
どう見られているかは見る人によって変わるので、「○○だ!」とは断言出来ません。
ただ世間一般でいえば、貴方がやっているプレゼント記録は多くの人から素晴らしいと思われるでしょう。
そして、ここからは完全に僕の考えを述べます。
見るも見ないも自由ですし、見た上で参考にするかしないかも自由です。
このプレゼント記録というの根底には、いくつかの思惑が潜んでいる可能性があります。
・ただ単に感謝している
・人からしてもらったことを可視化したい
・お返しを忘れたくない
思い当たる節はあるでしょうか?
僕の意見としては、2つ目と3つ目はどちらも劣等感からくる思惑だと思います。
(良い悪いじゃないよ。)
「人からして貰ったことことを可視化したい」に関しては、「自分が他者からこれだけのことをして貰える人間なんだ」というのを目に見える形にして安心したいかのように思えます。
仮に、誰からもプレゼントを貰えなくなった時に落ち込まずにいられるでしょうか?
感謝のみであれば、何も無くても現状維持なので落ち込むことはありません。
僕は何となく、落ち込みそうだなと思ってしまいます。
それは「人からプレゼントされる自分」を愛しているように見えるからです。
別にプレゼントなんて貰えなくったって生きてるだけで偉いですよ。
次に「お返しを忘れたくない」は、「返し忘れて人に嫌われたくない」という側面はないでしょうか?
これはいい事だと思いますが、僕としては「そんなに気にする必要あるかな?」と思います。
勿論、僕は女社会を知らないです。
なので、相手の性格や立場によってはお返しをした方が絶対に良い人はいるんだと思います。
ですが、人は必ずしもお返しが欲しくてプレゼントをしている訳では無いです。
「あげたんだからお返ししなさいよ!」的な人とは、そもそも距離を置いた方がいいと思いますし。
もしお返しをするのが負担になっているのであれば、全ての人にお返しをする必要はないです。
負担でないのであれば「結局はお返しも自己満足の一環」という自覚を持って、楽しくお返し選びが出来るといいですね。
それらも踏まえて、1番気になったことがあります。
自分で自分にしたプレゼントとかしてあげたことは書いてますか?
例えば「カフェで食事をした」は「美味しい食べ物や飲み物と快適な空間」を自分にプレゼントしていることになります。
もし書いていないとしたら、書くようにした方がいいんじゃないでしょうか?
「花が綺麗だった」、「美味しいものを食べた」、「化粧品を買った」、「マッサージを受けた」、「今日も生きてる」
などなど、自分がした自分へのプレゼントは考えてみれば沢山あります。
先程も言いましたが書くことがなくなった時、きっと貴方は落ち込みます。
でもそれは「人からして貰ったことのみ」を書いている構造に問題があって、有限なものにのみ承認を求めちゃってます。
つまり、いつかは終わりの来る承認です。
SNS上の関係であればボタンひとつで関わりを絶てるし、意外と人の縁って脆いし、極論相手はいつ死ぬか分からない。
なら、終わりの来ないものにも承認を求めればいい。
死んだら承認欲求なんてものは無くなりますから、自分で承認し続ける限り無限です。
僕は承認欲求を否定してはいません、人間として当然湧いてくる欲求です。
僕が言いたいのは他者のみに承認を求めずに、自分や目に見えないものに承認を求めてみては?
ということです。
それでもプレゼント記録が続いたのなら、そこに残っているのは感謝のみではないでしょうか。
長々と話しましたが、結論としては
負担になっているならやめていいが、やめることが負担になる状態なら自分がしたプレゼントも記録してみては?
ということでした。
毎度の如く、偉そうにごめんなさい。
繰り返しになりますが、別に人からプレゼント貰わなくたって貴方は誰かをぶん殴ってる訳じゃないから偉いんですよ。
そして、そのマメさは色々なことに活かせると思います!
また僕でよければ勝手にご利用ください。
ありがとうございました!
美味しいお酒飲ませてもらいます!