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本を探して手にとるまでに。

梅の入ったお酒を手に、夜な夜な本を探している。

ビールに限らず350mlをのみほしたことなんてない。ただの一度だって。
8割くらいは排水溝へと流れる。流すために買うのだ。
今まで流した量で5人家族用のプールくらいはある。随分な家庭サービスではないだろうか。僕は一人暮らしだからもったいないくらいだ。

“悲しみはお茶の味をよくするものです。
だからきっと僕は悲しかったに違いありません”
安部公房『壁』

お酒をのみたくなるのは、のみたくなるからであって酔いたいわけではない。自分に同情しておいしそうに思えるのだろう。自分に同情するのは下劣な人間のすることだと、*永沢さん(*ノルウェーの森)は言っている。実にその通りで自分に酔っているのだ。やけ酒と言っては聞こえがいいが、やける前にだいたい流す派なので気分も冷める。だけど家庭は守られ、5人家族は円満になる、流す価値もある。

なんの本を探していたのかを思い出している。
言葉としては頭痛が痛いようなものであり、文脈的には手段が目的化していると言える。

“ドリルがほしくてドリルを買いに来るのではなく、欲しいのは「穴」である”


かの有名なマーケティング的概念を思い出し、本を手にとって流す日々。


nakabayashi

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