【書評】 Catch and Kill


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今日の英単語・フレーズ
Jaded すりきれたような感じの状態。(良くも悪くも)同じことを経験しすぎて、無感動な状態。
intimate 直訳だと親密な、だけど、ここではどちらかというと個人的な、というような感じ。親密な人にしか共有しない、という意味で個人的なのかもしれない。
NDA Non Disclosure Agreement 秘密保持契約、という訳らしいです。私は投資の仕事をしているのでNDAって毎日のように使うのですが、世間一般にとってはNDAはこのHarvey Weinsteinの出来事を通して広く知られるようになった言葉らしいです。
settlement  和解金。
open secret  公然の秘密。
collaborator 協力者、って日本語でいうと堅い印象の言葉ですが、英語のコラボレートってもうちょっと緩くてお互いのクリエイティビティを高めるために一緒に頑張っちゃうような関係の印象です。
vice versa その反対の。文中にさらっといれて使います。

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Catch and Kill 
Ronan Farrow 2019

#metoo の運動がどのように広まっていったか、私はよく覚えていない。Wikipediaで調べてみると、元々のハッシュタグ自体は2006年に作られたものだったらしいけれど、広く知られるようになったのは2017年のHarvey Weinstein騒動の中、Alyssa Milanoという女優がTwitter上で呼び掛けたことがきっかけだったらしい。

#metoo は、多分簡単に言い過ぎてるけど、一言でいうならハラスメントの被害者(多くの場合は女性)が体験談を共有することを通して、問題提起する運動。

その頃私はちょうど悪名高いロンドンの投資銀行業界でアナリストとして働いていて、女性差別、セクハラ発言、男性至上主義は日常茶飯事。妻子持ちでコカイン常習者の上司にホテルに行かないかお酒の席で誘われたこともあったし、あからさまな差別を受けて泣いている女友達を会議室で抱きしめたことも何度もあった。酔っぱらった男性の同期に「女性には投資銀行業務は無理」と言われてEast Londonの道端で怒鳴り合いの喧嘩をしたこともあった。#metoo のハッシュタグと共にシェアされる女性のストーリーを見ても驚くことができないくらい、女性差別やハラスメントは身近な存在だったし、慣れてしまっていたのか疲れていたのか、実際に#metoo がピークだった頃は、それをとても廃れた気持ちで見ていた。(I was jaded.)

そんな環境にいたからか、私にとってこの問題は、1日20時間労働が普通だった投資銀行を抜け出した今となっては、友達と会うと毎回のように必ず議論になるトピックだ。男性、女性に関わらずみんないろいろな意見を持っているけど、何かが変わらなければいけないという意識は広く共有されているように思う。この問題を扱うたくさんの記事や文献、podcast、TVドラマ、ドキュメンタリーが日常に溢れているし、議論をして多少意見が違っても友情がこじれることはあまりない。

対して日本では、こうした問題が深く語られることが少ないと思う。私の周りには類が友を呼ぶのか癖と我の強い個性的な女友達が多いけれど、そんな一部を除いては、こういう深刻でintimateな話を唾を飛ばして討論するのが憚られてしまうような雰囲気がある。

本質は何なのだろうか、と考えて意見を戦わせるような場所が日常的にあまりないからなのかもしれないし、差別やこうした問題を自分のものとして認識したことのある人が多くないからなのかもしれない。私が21才の時に“当たり前”として受け止めていた不当な扱いを当たり前じゃないと気づけたのは単なる幸運で、日本社会のほとんどの人はそれが普通の仕方がないことなんだと思って我慢して生きているからなのかもしれない。もしくは、みんな意見を持っているけど、なんとなく個人の意見が言いにくい世の中なのかもしれない。

結果として、#metoo の問題にしてもBLMの問題にしても、問題提起されている現象がどうして問題提起されるに至ったかが語られたり理解されたりすることなく、TVやインターネットの情報を鵜呑みにして、「あー鬱陶しいフェミニストがごちゃごちゃ言ってる」とか、「大阪なおみがなんかパフォーマンスやってるよ」とかいう全くもって的外れな結論に至ってしまう人が多い気がする。

前置きが長くなってしまったけれど、この本は、#metoo という多分2000年代の先進国の状況を表す最も象徴的な出来事の一つに入るであろう社会現象を起こすきっかけとなった、Harvey Weinsteinのスクープが日の光を見るまでの物語。最初に報道したジャーナリストのRonan Farrow本人が書いた本なので、よく作り込まれたフィクションを読むような感覚で読み進められる。事実は小説よりも奇なりを軽々と地でいく一冊。

Harvey WeinsteinはHollywoodでは元々はとても権力・影響力のあるプロデューサーで、多くの良い映画を世に送り出した人。それと同時に、その立場を利用して女優や映画業界でのキャリアを志望するたくさんの若い女性に対して長年の間sexual harrassment、レイプを含む性暴力を行い、被害者を深く傷つけ、トラウマを与え、夢を踏みにじってきた人でもある。

被害者が彼のことを訴えようとするものなら、「今度作ろうとしてる映画の主役なんか君にぴったりじゃないか」と惑わされ、「みんなこのくらいやってる」となだめられ、「俺が悪かった。君のこと大好きなんだ。見捨てないでくれ。」と懇願され、「俺に逆らえばHollywoodでの将来はない!」と脅され、それでもダメなら最終的にはNDAと幾ばくかのsettlementで弁護士を通して口封じをされる。

ジャーナリストがこれについて書こうとすれば、社内幹部からの抵抗、Harveyやその関係者によって雇われたprivate investigatorからの嫌がらせは当たり前。マイナーなメディア媒体を使って無名のジャーナリストが小さなストーリーをなんとか書くことはあっても、大きなメディアで報道されることは2017年まで一度もなかった。彼はこうして、長年の間Hollywoodでの絶対的な立場を使って若い女性を傷つけ続けたし、彼の行いはHollywoodでの誰もが知っているopen secretとして彼の影響力とともに守られ続けた。

本を読み進めていくうちに、一体どのようにしてこの事実が報道されることとなったのか、数々の障壁とそれを乗り越えた著者の強さに心から感銘を覚える。著者と、著者と共に正義を求めたたくさんのcollaboratorの信念と勇気があったから、報道へと結びついたことは火を見るよりも明らかである。著者には著者自身の複雑なバックグラウンドと葛藤があり、そういったところも非常に読み応えがある。

この本が問題提起するのは、単なる男性が女性に対して行う(and vice versa -  もしくは女性が男性に対して行う)セクハラ行為そのものにとどまらない。本質的に問題とされているのは、権力を持つ人がその立場を使って他人の意志に反する行為を強要すること。その権力を使ってそういった行為が許される組織、環境を作ること。その組織を使って、加害者が守られる仕組みを(ほぼ)合法的に社会の中で作り上げてしまうこと。そして、その結果として生み出される負の連鎖と繰り返される歴史なのではないかと思う。

Harvey Weinstein問題をこうして言い換えた時、この問題は女性の受けるセクハラにとどまらない。Catch and Killが根本的に問いかけているのは、世の中の誰もが被害者になり得る、立場と権力の乱用の問題なのではないかと思う。

日本語版はまだ出ていないけれど、文章自体も本職がジャーナリストなだけあってとても読みやすい英語で書かれているので、男女を問わず日本中の英語を勉強する人に是非読んで欲しい本。この本を読んだ後で尚、#metoo を「フェミニストがごちゃごちゃ言っている」と片付ける人がいたとしたら、その人は救いようのないアホだと思う。


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