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キラキラせつない『aftersun/アフターサン』

12年ほど前、友達Mと音信不通になりました。
共通の友人もみんなMと連絡が取れなくなりました。
1年後、「ゴハンしよ」と突然連絡が来ました。
ふたりで新宿伊勢丹の近くで北京ダックを食べました。

「なにしてたの?」
「小説書いて公募に出したりしてた」

そういうことじゃなくって。
でも、ま、話したくないこともあるだろうよと、北京ダックを頬張りながら極めて一般的な会話を続けていました。

そうしたら、Mが言いました。

「実はさ、最近、NHKに個人攻撃されてるのよ」
「ん、どういう意味?」
「だからさー、福島よ。福島の原発。言われもない人たちが差別されんの、アタシ、耐えられなくってさ。NHKに投書したら、それからずっと個人攻撃よ」
「個人攻撃ってどうやってよ?」
「『7時のニュース』ってあるじゃない?あれで反論してくんの。ニュース読んでるふりして「お前は間違っている!」ってアタシにメッセージを送ってきてんのよー、ひどくない!?」

Mの話を聞きながら「あー、こういう精神疾患あったよなー」と思い出し、スマホでこっそり「被害妄想」「精神病」とググりました。

『統合失調症』

ああ、これだ。
昔は分裂症なんて呼ばれていた、これは『統合失調症』だ。

すぐに「統合失調症患者との会話の仕方」とググると「主張を全否定するのではなく落ち着いて疑問点を投げかけてみましょう」とありました。OK、グーグル!

「でも、NHKほどの大会社がいちいち個人攻撃なんてするの?」
「でしょ?アタシも最初は信じられなかったわよ」
「わざわざ『7時のニュース』じゃなくても、言いたいことあんなら直接言ってくればいいじゃん」
「だからそういうところがさ、あいつらの汚いところなのよ」

北京ダックそっちのけであれやこれやと試みましたが「最近じゃさ、小説を送った雑誌社までアタシの悪口を雑誌に書きまくってんのよ!」とMの怒りはエスカレートするばかり。収集がつかないままお開きとなりました。

さて、どうしたものか?

この時、Mが連絡をとってきたのは私だけのようでした。
共通の友人に相談しようと思いましたが、私は、新宿二丁目界隈の人たちの口の重さを信じていません。
「M、統合失調症らしいよ」
そんな噂の起点になりたくありません。
Mのご家族とも接点がないし、仕方ない、しばらく頻繁に連絡をとって様子を伺うことにしました。

それから数週間して、また少し、音信不通になりました。
心配していると連絡が来ました。

「ねえ、この間、アタシ、変なこと言ってたでしょ?」
「あら、気づいちゃった?」
「なんか変に感じて心療内科に行ったの。統合失調症だってさ、アタシ」
「自分で気づいて病院に行ったなんてスゴイじゃん。それができたなら、まだ良い方なんじゃないの?」

きっかけは東日本大震災と福島原発事故でした。
別に自分が現地で直接被害にあったわけでもないのに。
Mは口ぶりよりもずっと真面目で優しい人なのです。

それからMの闘病が始まりました。

調子が良い時は、ご飯に誘ってきたり、仕事に前向きだったり、そもそも人生に前向きだったり、恋をしたり、セックスをやりまくってみたり、とにかくテンションが高い(躁状態)。
だけど、不調に陥るや否や、すぐ、あからさまい闇落ちして死にたくなってしまうようです。

「もう無理。死にたい」
「えー、そんな寂しいこと言わないでよー」
「生きていたって意味ないよ」
「それを言っちゃったら私も同じだよ。そんなことよりこの間の子はどうしたの?」
「一応、また会おうってことになってるけど」
「年下だっけ?」
「そう」
「可愛いんでしょ?」
「うん、めちゃくちゃ」
「デカマラ?」
「まあまあかな」
「なら死ぬ前にもう一回くらい、そのチンコ咥えておくのもありじゃない?」

私は、若いころから躁うつ病などの友人が身近にいたので、この手の人たちとのやりとりは慣れている方だと思います。
どんな時も落ち着いて、深刻になり過ぎず、相手の負担にならないよう、GAYなりのユーモアなんかも活かしながら、ささやかに前向きな会話することを心がけます。

Mにも「真文はさ、 何を言っても驚いたり大袈裟に反応しないから話しやすくて助かるのよ」なんて言われたりもしました。

そんな私でも、Mに対してイラっとくる時はあります。

たとえば、約束の場所へ電車で向かっている最中にドタキャンされたり。
たとえば、「真文はいいよね」と激しく僻まれたり。
たとえば、昨日まで調子が悪そうだったので心配して連絡をすると「え?全然平気だけど? そんなこと心配してんの?アタシはこれから発展場でセークスよ!」なんて言われてみたり。

すべては病気による精神状態の波のせいだとは解ってはいても、つい、イラッとしてしまう。
そんな時は、一度、撤退します。
怒っても仕方がない。あれこれ考えるとこちらもストレスが溜まる一方。だからしばらく連絡を断ち、時間を置きます。
しばらくすれば私も「まあ、自殺より発展場の方が良いに決まって」という通常運転な気持ちになれます。
そうしたら、また、いつも通り接すればいい。

今年の春先にイラッとすることがありました。
これまでで一番大きな「イラッ!!!」でした。
多くの友達が彼を想ってしたことを嘲笑うように踏み躙ったのが理由で、私は、Mと連絡を断ちました。
いつもより長めに断ちました。
なのにあっちからも音沙汰がないので、心配になって連絡しました。
だけど、既読になりませんでした。
何度送っても未読。
電話にも出ず、今日に至ります。




映画『aftersun/アフターサン』は、現在31歳の女性が、お父さんとふたりで過ごした夏休みを回想する物語です。


父30歳、娘11歳。
両親の離婚で離れて暮らしている父と、トルコの海辺のリゾートで数日を過ごします。

泳いだり、寝転んだり、ビリヤードしたり、ビデオカメラを撮ったり、日焼け止めを塗ってもらったり、太極拳の護身術を教えてもらったり、兄妹に間違えらたり、仲の良い親子の微笑ましい光景です。

だけど、あまり多くを説明しない映画なのですが、観ているうちに、このお父さん、どうやら精神面に問題を抱えていることが解ってきます。
そんなお父さんの不安定さを、娘もなんとなく感じています。
だけどふたりとも、滅多にないふたりきりの時間を、精一杯に楽しもうとします。

父「旅行は楽しかった?」
娘「うん、人生で一番。もっとここにいたいくらい」
父「そっか…」
娘「もっといることはできないの?」
父「それは…」
娘「だよね。一生ここにいることなんてできないものね」

そして、おそらくこの女性にとって、このバカンスがお父さんと過ごした最後の時間だったのでしょう。
亡くなったのか、行方不明なのか、遠くへ行ってしまったのか、施設に入っているのか、説明が一切ないのでわかりませんが、多分、自殺。
そういう衝動がお父さんの中にあることがわかるシーンがあります。



Mも、今までに何度か自殺未遂らしきことをしました。

「昨晩、バファリンを80錠飲んだけど、朝、目覚めちゃったよ」
「昨日首を吊ったけど、もやい結びにしなかったから解けちゃった」
「いま、ビルの屋上にいるんだ」

そんな連絡が来たこともあります。

だけど、これまでMは死にたい衝動に駆られても、一発で死んでしまうような方法は選ばずに来ました。
それって本能レベルでは「死にたくない」という強い気持ちを持っているのというでは?と私は推測します。
だからある意味、この人は簡単に死なないという不思議な安心感があるのですが、だけど10回に1回くらい、自殺めいたものがうっかり自殺として本当に成立してしまいそうで… いつもそれが心配なのです。

私、人の命は丸ごと全部その人のものだと思っています。
だから心から死を望んでいる人に「死ぬ気になればなんでもできる!」「生きている限りいいことあるよ!」なんて軽々しく言うつもりはありません。
だけど「本当は死にたくない」と思っている人が、うっかり死んでしまうのは、極力、避けたい。

Mが、今、どんな状況なのか?
入院をしているのか、死んだのか、スマホを無くしただけなのか。でも、それなら、新しいスマホから連絡が来るはずだしなー。

もしくは、私のことを嫌って無視をしているとか。

ああ、そうだ。それがいい。それが一番いい。
私のことなんて嫌っていていいから、どこかで私の悪口でも言いながら、ワシワシと元気よく生きていてほしい。
そう心から願うばかりです。

『aftersun/アフターサン』は、太陽の眩しさ、汗ばむような湿度感、水の透明感、夜の海の闇の深さなど、彩度高めの映像が詩的に美しく、父親の愛情や不安定さ、娘の喜びや切なさが、まさにアフターサンのごとく、陽に焼けて少し敏感になった素肌に触れられているみたいにヒリヒリと伝わってくる良い作品でした。
説明のない、淡々とした映画なので、退屈に感じる人もいるでしょうけど、私は、結構、泣けました。

『ウーマン・トーキング 私たちの選択』とかコレとか、近頃、良作を立て続けに観ることができて幸せです。

みなさんも、ぜひ。

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