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ポートランド滞在記録8【サスティナビリティとは何かについて暮らしを通じて感じたこと】

どうも!

今日は、このポートランドの滞在を通じてずっと言葉になっていなかったようなサスティナビリティに関する意識感覚を言葉にしていきたいと思います。

色々な体験をまとめていくような記事になるはず。
他のnoteを読んでみてさらに理解が深まるかもしれないので一応貼り付けておきます。

さてサスティナビリティ(=持続可能性)ということについてなのですが
「持続可能な取り組みなんて一つもない。」というのが僕の考え方であり、スタンスです。

しかし、持続可能なことを取り組んでいこうという意識や次の世代も幸せに生きられるように私たちの生き方を見つめ直していこうという動機はとても大切なものであり、それは受け継がれていける可能性があるものだと思っています。

その結果、未来にとって希望になる取り組みや社会の前提を大きくアップデートできるような取り組みが生まれると思っていますし、
人が暮らしていくだけで環境を壊したり資源を枯渇させるスタイルから、人がより生態系を豊かにしたり循環するスタイルが生まれ、働き方や暮らし方がアップデートされたり、消費のあり方が環境に配慮した形に変化していくことは起こっていくのはとてもポジティブなことであり、大切なことだと思っています。

ポートランドに暮らしていると
上記に抱いたような未来に対してビジョナリーに情熱的な動機、意識に満ち溢れている取り組みに出会うことがたくさんあります。
そして生活の選択肢として、気軽に手の届く範囲に溢れているように感じます。

・生産者と消費者の壁を溶かし、コミュニティになっていくような取り組みやファーマーズマーケットの取り組み
・使わなくなったものを循環させるようなリビルディングセンターやリサイクルセンターの取り組みやDIYなどの技術を伝える教育機会
・オーガニック野菜など環境に配慮した日用品。
・ゴミを極力出さないような廃棄物システム
・クラフトやアート、PODなど小さな商いを支える経済システム

日常生活の暮らしの中に「情熱的な動機」によって作り出された選択肢が織り込まれているという状況があるのです。
そして、そういった取り組みに市民活動で参画したり寄付で貢献したりある一定の資金が回っているということも暮らしのなかで感じるのです。

近くのスーパーマーケットにあるコミュニティボード。いろいろな情報を拾える

少し話は脱線しますが、この寄付ということに対してはチップ文化が影響している気がします。アメリカのチップという文化に対して、最初にアメリカを訪れたときに驚いたという記録を書きました。

サービスの対価としてのチップなわけです。

このチップ文化、実際に払っていると気持ちよく払いたいと思う瞬間があることに気づきましたし、本当に良い体験をした時にはそこに仕組みがあれば支払いたいと思うのです。一方で仕組みがなければ払わないのです。
アメリカの寄付文化が発展してきた背景には、このチップ文化が大きく影響しているのではないかと思っていますし、ファーマーズマーケットでも寄付を募るように声をかけられるようなタイミングがあります。その時に、やっぱり良い体験をしていれば払いたいと思うのです。

そのような感じで、寄付についても選択できる。
それと同じように自然環境に優しく、未来に意味のあるプロダクトを選択できるのです。

一方で、ポートランドに住む人たちはすごく自然体でそういうことをやっている感じがします。(一般化してしまっているのですが、つまり僕が出会っている人)
自然体でやっているというか、頑張ってないということの方が正確な表現なでしょうか。そして、細かいところまではあまり気にしていなさそうです。

ゴミあんま出さない家だよという看板。

日本だと100%自分の生活で実践をしていないと、自分は環境を大事にしている人間だと言えない、経済的に難しいタイミングでもどんな時でも一貫してないといけないような、そんな前提?気雰囲気があると個人的に思います。また、そういうことは環境意識が高かったり、社会問題意識の高い人が頑張っていることという雰囲気がありますが実際に意識が高くないとアクセスできない状況があるのだと思います。

ポートランドに住んでいる普通の人たちは非常にラフです。
「まぁ僕もめちゃめちゃ大事だと思っているし、取り組んでいるよ!」と言いながら冷凍ピザをチンして頬張っている。でも、洗剤はオーガニック。そんな感じです。笑
自然は大好きな人が多く、そういう環境を求めて移住している人もいます。そいうい意味で自然を愛している人も多いです。
めちゃめちゃ厳格にそういうことに取り組んでいる人ももちろんいます。
つまり、グラデーションを許容されている状況かなと思います。

この状況がいいか悪いかは置いておいて、自分自身がそういうことを大事にしている存在であるという表明がラフにできることはとても素敵だと思います。

そして、その意識や動機づけの機会は町として溢れているので、結果的に周辺環境の力でそういうことが生活に織り込まれていっていそうです。

その点では行政やNPOだけでなく、企業の力や経済の力で実現していることも多いと思います。

一方、日本はそういうことに消費が向かなかったり、文化がないこともありボランティアの力でそういうことをスタートせざるを得ない状況があります。この辺りはニワトリと卵だと思いますが、なんとかしていきたいですね。

と長々と書いてきたわけですがもう少し。
サスティナビリティでいけている町は想像以上に人間らしくもあり、常にそういう人間の愚かさも肯定しながらさまざまに取り組まれている。そんな勝手な印象です。
個人的に学ぶべきは、
「ないなら作り出そう&まぁなんでもやってみようという精神性」
「いいことはいいと賞賛し参画するスタンス」
「いい意味での適当さ」
です。
どれをとってみてもいい部分だけではないと思いますが、そういう人々の営みの方向性(動機)が時代の影響もありサスティナビリティの方向だったのだと個人的には思います。これもまたローコンテキストコミュニケーションが影響しているのでしょうか。

あくまで個人の体感値なので、正確性もなければエビデンスもありません。
ポートランドは夢の国でもないし、私たちと同じ時間軸に立つ一つの実態。
そういう意味で、日本と同じような課題にも悩まされているし、全てがうまくいっているわけでもないようです。

ポートランドに初めてきた時に感じたのことですが、そんなにサスティナブルなのかな?というのが第一印象。
でも、確かに生活してみるとそこには多様な選択肢があって背景があって、人々の積み上げてきた選択肢があって。確かにすごかった。

アメリカという圧倒的な消費社会の上にあって、(郊外に少しでれば、その雰囲気を感じることができます。)多様な人種が入り混じる現実に立ち当たっていてそういう社会環境の中でポートランドが存続し続けられていること自体がすでにすごいことなんだなと思いました。

スティーブ・ジョブズも通っていたリード大学もポートランドにあります。
変人が結局未来作る、でも変人だからほとんど失敗する。笑
でも、その変人を許容できる社会が新しい結果を生み出すんだろう。

リード大学の参画中の一枚。

それでは!

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