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ポートランド滞在記録3 【ポートランド流、パブリックセンスを紐解く(前編)】
こんにちは!
先週末には歩いて20分くらいのところにあるファーマーズマーケットに行っていました。
僕ら家族が住んでいる、SEエリアSellwoodのファーマーズマーケットです。
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道路が通行止めになり、プチ歩行者天国のようになっています。
小さな露店が20店舗ほど並んでいるのですが、地元のオーガニック農家さんや小さな個人経営の方々が出店しています。
結構、地元方々中心に来られているようで、普通に賑わっていました。
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こういうファーマーズマーケットは至る所で行っており、非常に多くなものだとポートランド州立大学の敷地内で行われている毎週土曜日に行われるファーマーズマーケットが有名らしいのです。実は我が家も二週間前に訪れていたのでした。
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え?やばくない、この規模を毎週。。というのが所感です。笑
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ポートランドは食にこだわったお店がたくさんあります。
ファーマーズマーケットはその筆頭。
オーガニック食品を扱う出店者の数もすごく多かったです。
この点については別の機会にまた詳しくまとめていきたいと思います。
やはり驚くべきはこの公共空間の設計のされ方と使われ方です。
気づけば大学の敷地。そもそも敷地の設計方法が非常に町の空間に溶け込んでおり、公共空間として大学の敷地が存在しているのも面白いのです。
ポートランド州立大学内で行われるマルシェも当たり前のように敷地内で毎週開催されています。
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また、ポートランド州立大学でのファーマーズマーケットの運営は非営利団体 Portland Farmers Marketという団体がしており、非常に非営利組織の存在感があることも面白い。公共空間の使われ方もだけど市民活動、市民運動も盛んなエリアです。
個人的にはアメリカは寄付文化があることで非営利セクターが活躍しやすいのだとわかっていても、実際に町の中の主要な活動が非営利セクターを中心に様々な市民活動と結びついて行われているのを現場で見ると本当に勇気をもらえますね。ここでできていることはきっと日本でも実現できることなのだと。
紹介したSellwood、ポートランド州立大学の取り組みの背景には、公共(Public)の捉え方に関して明らかな日本との違いがあるように思います。
ポートランドでは「公共(Public)な空間というのは、自分たちの生活の一部である。」という雰囲気がビンビン伝わってくる感覚があり、それに基づいた使われ方をしている気がします。
日本だと、道路や公共場所というのはみんなのもので迷惑をかけることは良くないからね。ちゃんと推しはかりなさいね、的な雰囲気があるような気がします。
4年ほど前にイタリアに行った際にも道などが社交の場になっていることを感じたがそれに非常に近い感覚。
一方でこの公共への感覚と日本特有の敷地に境目のない縁側のような感覚は何か近しいものがあるのではないかと思うが、何か違いもあるような気がする。(現代の日本では縁側の感覚っていうのはちょっと失われつつあるけどとても大事な概念だよね)
土地への感覚はとてもその国が持つ人間観につながるような気がするのでこの辺りは色々な国で見ていきたいと思います。
ファーマズマーケットだけでなく、普通に散歩をしていても美しい町がポートランド。(と言ってみる)
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けど、ここ道だ。
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つまり公共空間になっている。
郊外にある家の近くを歩くとガーデンは整備され、一人一人のユニークな表現の場になっている、と同時にその表現により町並みとしてはある一定の統一感があるから面白い。
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さらに歩いていると、普通に道端にバスケットゴールが。
ストリートバスケできる。笑
が、日本だと絶対に苦情が来そう。笑
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一応、福岡とか仙台くらいの規模の都市と同レベルの都市ですが。笑
自分でDIYして休憩できるスペースを自分の道の前に作っている人も。
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お店の道の使い方も、ガーデンや町の至る所にある道の使われ方も非常に、「私」という感覚の拡張したスペースに感じます。
公共スペースというのはリビングと同じような感覚で、そのお部屋、使いやすくしたり、掃除するの当たり前じゃない?的な感覚で公共スペースを使っている感じがする。
と、体感値的なことも含めて紹介してきましたがここまでの生活意識、市民意識はどこから生まれてきたのか、その点について、実際にポートランド出身の住んでいる方からお話を聞くことができました。非常に面白かったので、その話は後半に書いていきたいと思います!
後半へ続くのです。
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