見出し画像

メダカの「たつ」のこと

3月の終わりに、わが家にメダカを迎えた。

水をきれいにしてくれるヌマエビとヒメタニシ、水草たちでアクアリウムをつくって、そこにヒメダカが6匹が仲間になった。

アクアリウムが好きなパートナーが言い出したことで、私は哺乳類以外とのはじめての暮らしにドギマギしながらも、ふたり暮らしの部屋がにぎやかになって嬉しかった。


4月半ば、ヒメダカが卵をつけて泳いでいた。

パートナーが以前飼っていた時は卵から孵化させたことはなかったそうで、コロナの自粛生活でずっと在宅なこともあり、その日から卵を孵化させて、稚魚を育てることが楽しみになった。

数週間で80匹以上の稚魚が元気に生まれ、ビオトープが流行っていることもあって、あっという間に、わが家から巣立って行った。

一緒に暮らすために残った15匹を子メダカ用の小さな水槽に移したある日、ご飯を食べに水面に登ってくることのできない子メダカを見つけた。

よく見ると、尾っぽが曲がっていて、うまく泳げていない。

ネットを調べると、先天的に背骨やお腹の袋に奇形がある子が数パーセント生まれるそうで、そんなには長く生きられないらしい。

このまま仲間と一緒に暮らして天寿を待つことと、ひとり別の住まいで少しでも長く私たちと一緒に暮らすこと。どちらがいいのか悩んだが、ごはんを食べるために必死に水面に登ろうとする姿を見て、小さな器に移すことにした。

浅く水をはって、ごはんをあげると、得意そうに立ち泳ぎで元気に食べはじめた。その姿を見て「たつ」と名前をつけた。

たつは毎日ごはんをあげるとき、「まってたよ」とばかりに元気に立ち泳ぎを見せてくれた。


それから2週間たった今日、「たつ」は星になった。


里親にお渡しするときに、特に元気な子を選んでいたわけではない。たまたま、本当に偶然、たつは天寿をまっとうするまで、私たちと一緒にいてくれた。

私は、この自粛期間、自分が「コラボレーター」を名乗る意味をずっと考えていた。幼い頃の違和感から、多様性の理解やダイバーシティにずっと興味があり、福祉と大好きな舞台やアートの世界をつなぎたい。自分ができること、やるべきことはなんなのか、本当にそれができるのか、今まで何をしてきたのか、コロナで世界の価値観が変わるかもしれないときに何ができるのか、、、

まとまらない頭と、何もできていない自分に焦り、動けなくなっていた。

そんなときに「たつ」がいて、勝手にいろんなことを重ねた。

「たつ」は、ただ一生懸命ここで自分のために生きていただけで、「たつ」から学んだとか、元気をもらったとかは、私のエゴでしかない。エゴや罪悪感、これも全部が幼いころ感じた違和感で、そんな自分に苛立つ。

しかし、「たつ」がいた日々は、今、ここで、あたり前の日常をつむいでいる実感を私に与えてくれた。

東京への再転職、パートナーとの新しい生活、すべてが不確かで不安しかなかった日々が、確実にここにあるものになっているよ、と、ただ一緒に生きて伝えてくれた。

「たつ」はアボカドの鉢植えに埋葬した。このアボカドも種から半年以上一緒に暮らして、やっと芽を出したものだ。

この木が大きくなるころ、世界がどうなっているか全くわからない。
どんな世界になっていたとしても、私は「あたり前」がたくさんできている場所をつくっていたい。

まとまらなくていい。

すぐに結果がでなくてもいい。

あたり前をあたり前にすることが、私の生きている力なんだと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?