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料理の身体感覚〜饅頭マントウづくり篇

無自覚の上達

興味が尽きなくて、ずっと饅頭(マントウ)類を作り続けています。日本語だと中華まんという言い方が一般的な、中華蒸しパン。
西洋のパンとは親戚のようなもので、酵母と小麦粉と水をよく捏ねて、発酵させて、火を通して作ります。

作り始めてもう数年になりますが、最近、とあることに気づいて、戸惑っています。理由がわからないのに、失敗が減ったのです。
(下の写真は、2年半ほど前のもの。見事な失敗!笑)

パンづくりの経験のある方ならイメージがつくと思いますが、発酵生地というのは、材料の配合のみならず、捏ね具合、発酵度合いなど出来上がりを左右する要素がいくつもあり、しかも、酵母菌の働きを利用するという性質上、作る人間の意図だけではコントロールしきれない面があります。
少しでも精度を上げられるよう、その時々のメモを残しながら、繰り返し実験し、経験と知識を蓄えつつ腕を磨くわけです。
それでも、前回と全く同じようにやっても、結果が違うのが常。目に見えない「力」を相手に、なかなか理解が及ばない、理解が及ばないから、再現性も上がらない…と、楽しくも苦しい日々です。少しずつ、何かを掴んではわずかに前進、といったところでしょうか。

ところが、ふと振り返ってみると、理解した感覚はないのにもかかわらず、イメージどおりに仕上がる確率が上がっているのです。このことに気づいたときは、軽い衝撃を受けました。

筋肉の発達ではない。環境への慣れでもない。

繰り返し作っていれば、上達するのは当たり前じゃないか、と思われるかもしれません。
毎日ボールを遠くへ投げる練習をしていれば、少しずつ距離は伸びる。
毎日歌を歌っていれば、だんだん上手になってくる。
寒い日も続けば、辛さは徐々に薄れてきます。
人間の体は、繰り返しに対して、確実に慣れ、適応するようにできているものです。
しかし、今回のそれは、こういった適応とは意味が違う気がします。
ボールは「遠くへ」投げるという明確な目標があるし、歌だって、目指すべきお手本やイメージがあります。身体は、同じ刺激を与えつづければ、それに対応して発達するものです。

一方で、饅頭マントウ生地というのは、酵母や化学反応という、いわば「別の仕組みが支配している何か」が相手です。
やみくもにに同じことを繰り返したって、うまくいくはずがない(はず)。人間は、温度や時間、水分量といった客観的な指標を駆使して、相手の動きに対応するほかありません。
「捏ねる」という動作ひとつとっても、必要なのは「適切な捏ね具合」であって、筋力が強いほどよい、といったものではありません。適度なところで手を止めねばなりませんから、やはり、まずは客観的な指標が必要(なはず)なのです。

なのに、そんな地道な努力を飛び越えて、私の饅頭マントウづくりは結果が安定するようになっている。もちろん、勉強して得た知識や、経験から学びとったことは確実に反映されてはいますが、その範疇を越えて、上達している感じがするのです。
これは、一体どうしたことでしょうか。
まるで、正解がわからないのに、正答率が上がっているような感覚
不思議でなりません。

頭が理解しない限り、伝えられないのに…

私が饅頭マントウを作り続けるのは、自分が作りたいという理由だけではなく、料理教室で、より美味しい作り方を、面白く楽しく生徒さんに伝えたいからなのです。勝手に上達してしまっては、大切なポイントを生徒さんに伝えることができません。

よく言われることに、「最初からできる人は、できない人にうまく教えることができない。なぜできないのかがわからないから/苦労して一つずつ克服していった人のほうが、うまく教えられる」というのがあります。
失敗を繰り返しながら、1つずつ学んでいるのにもかかわらず、それより早く上達してしまっている……この現象は、とても新鮮でおもしろいのですが、ちょっと困ってもいる。そんな感じです。

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