藤村聖子 Shoko Fujimura

俳優/脚本/1991年生まれ/兵庫県出身/お転婆な気にしいです。

藤村聖子 Shoko Fujimura

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親友が元親友になった日

その昔、家同士が近所で小学校入学直後からとても仲の良かった【アキちゃん(仮名)】という友人がいました。 アキちゃんとは成長と共に徐々に疎遠になり、別々の高校に進学したのをきっかけにそのまま一度も顔を合わせることなく大人になったのですが、つい最近、別の友人からアキちゃんが私の連絡先を知りたいと言っているのだが教えてもいいか、という連絡をもらいました。仲良しだった聖子ちゃんが今どんな風に過ごしているのか近況が知りたい、とのことで。 私は悩みました。 実はアキちゃんと疎遠になって

    • 私のデリカシーよ、どこへ

      人と関わるたびに後から振り返っては反省をする、ということを繰り返す日々を送っています。大袈裟でもなんでもなく、毎日のように私は「あんなこと言うんじゃなかった」と思っているのです。 何を言ったらダメで、何を言ってOKなのかは咄嗟に判断できないのに、人の感情の変化には異常なまでに敏感に気がついてしまう私は、「あれ、今この人一瞬だけ私に対して攻撃的になったぞ」などと感じてから初めて、自分の発言に問題があったことに気がつくのです。なんとかならんのか。 先日もありました。 しばらく

      • できるだけ強そうに

        私は外を1人で歩くとき、基本的には怖い顔をしています。 怖い顔をしているし、できるだけ胸を張っているし、超早歩きだし、可能な限り底の厚い靴を履いています。 意識的にそうしているというよりは、ほとんど無意識のうちにこれらのことをずっとやってきたのですが、この前地下鉄に1人で揺られながら突然ハッとしたのです。 ああ私のこれは、私なりの【威嚇】だったのだ、と。 10代の頃から細々と芸能活動を続けてきた私は、13歳で初めて1人で新幹線に乗って東京駅に降り立ちました。 そこから

        • 諦めの悪い私が手に入れた6点

          2010年1月、高校3年生の冬。 私は大学進学のために、センター試験を受験しました。 その年の試験問題では、漢文で本文とは別に長めの漢詩が出たり、予告なく英語の問題形式が変わったり、多くの受験生が試験を受けながら「なんだこれ…」と思ったであろう年だったのですが、私が一番覚えているのは数学IAの試験問題でした。 忘れもしないその年の数学IAは、終わってみれば平均点が40点台という難しさで、元々数学が得意ではなかった私も、もちろん苦戦しました。 特に、同級生が口を揃えて難し

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        親友が元親友になった日

          割り勘に対するひとりよがりな誇り

          私、割り勘が得意なんですよね。 割り勘が得意っていうのは単に計算が得意なわけではなく、なんなら計算は不得意なのですが、計算機を使って、1人いくら払ったりもらったりすればいいかをスムーズに算出することができる、という意味で、得意なのです。 たとえば、大人数で旅行なり遊びなりに出かけて、それぞれが別々の何かを立て替えている、みたいな場合。 まずその旅行で全員が支払った金額を一度合計して、参加人数で割る。 そうすると、その旅行において1人いくら払えばいいかが算出される。 あと

          割り勘に対するひとりよがりな誇り

          喜劇にしたい

          女友達の良いところは、それぞれの身に起きた不幸を持ち寄ってゲラゲラ笑えるところだと私は思っていて、その一見デリカシーがなさそうに見える‘‘雑さ’’に私自身何度も救われてきました。 私の周りにはドラマティックなことばかりが起き続ける女が多く、もちろん例外なく私もそうなのですが、彼女たちは一様に自分の身に起きたことを、流暢に、おもしろおかしく話すんですよね。 これって一体なんなのだろう、と日頃から思っていて。 「話すことで心が軽くなるから」というのはもちろんあると思うのですが

          イライラしても良いことない

          考えてみればここ1ヶ月ぐらいイライラすることが多くて、イライラしていないときでさえ、身体が「いつでもイライラできますんで」みたいな状態であることをなんとなく自覚していました。 イライラしやすいときというのは、大抵身体の調子がすぐれないときで、睡眠不足や栄養不足、ホルモンバランスの乱れや疲れが溜まっていることがほとんどなのですが、ここ最近はそのどれもが自分に当てはまっているように思えました。 そんな中、私は元々胃痛持ちではあるのですが、イライラも相まっていつもの薬を飲んでも

          イライラしても良いことない

          気が合うなんてのはただの勘違い

          学生時代から仲の良かった友人でも、大人になるにつれてだんだんと「あれ、もしかしたら気が合わないのかも?」と思うことって割とあるじゃないですか。 成長と共にお互いの環境が変わって次第に話が合わなくなることももちろんあるとは思うのですが、考えてみれば「学校」という特殊な環境下で、30〜40人が1クラスに集められ「はい、友だち作って〜!」みたいな空気の中でなんだか無理やりに作った友人と、偶然気が合う確率って一体どのくらい?って話なんですよね。 というかそもそも、他人同士の気が合

          気が合うなんてのはただの勘違い

          腹いせ

          服を買い過ぎました。 罪悪感に苛まれながら、それを誤魔化すように今このnoteを書き始めたところです。 服をたくさん買って、ただただ「ストレス発散になったな」と思えるほどお金に余裕がある人生ではないので、こういうことをすると基本的には途轍もないサイズの「後悔」が押し寄せてくるのですが、それでも定期的にやってしまうのが私の良くないところです。 数年前にも、目まぐるしい日々の中である日突然「Nintendo Switch」を買ったことがあります。しかも有機ELのやつ。有機EL

          先端と私の関係

          私には昔から先端恐怖症的なところがあって、先の尖った物や刃物、角を見ると恐怖心でゾワゾワし、慌てて目を逸らしてしまうんです。 ただ「先端恐怖症的なところ」と書いたのには理由があって、つまり「先端恐怖症」ではないと思っているからなんですが、私の仮想先端恐怖症はどうやらちょっとばかり気まぐれなんですよね。 基本は先端が怖いのですが、気にならない時は全く気にならない。 ほら、めちゃくちゃ虫が嫌いなのに、キャンプとかに行くと気が大きくなって途端に虫を退治できるようになったりしませ

          あいつは性格が悪いらしい

          「あの人は一見無愛想で怖いけど、話すと実はいい人だから」 事前にそう聞かされていた人と仕事で関わる機会があって、結果的にその人は私にとってただただ無愛想で怖い人だった、ということが最近ありました。 そして私はそれにがっかりしてしまったというか、ちょっとだけ悲しい気持ちになってしまったのです。 私はきっと「この人は実はいい人なんだ」と、勝手にその人に期待して、ハードルを上げてしまっていたのだろうと思います。 考えてみたら「実はいい人」というのは、「いい人じゃなさそうなのに

          あいつは性格が悪いらしい

          これは完璧に恋愛の話

          極端な2択を出してくる人って、怖いですよね。 例えば、【自分を大切にすること】と【相手を大切にすること】のどちらか1つだけを選ぶという考え方は、おそらく健全ではないだろうと私は思っていて。 というか、どちらか一方を大切にすることによってもう一方が傷つく可能性があるなら、それは「大切にする」という方法自体を間違えている可能性があって、本来は【自分を大切にすることが結果的に相手を大切にすることにつながる】みたいに連続しているはずなんですよね。 というか、共存ですよ、共存。

          これは完璧に恋愛の話

          沈黙を破りがち

          本当はなんでもいい。なんだっていい。 でもこのままじゃいつまで経っても何も決まらないから、何か意見を言わなくてはと頑張って意見を言った結果、誰よりも【我の強い人】になってしまうことがよくあります。 皆さんはないですか? 大抵の場合、誰かが意見を出したら他の人も言いやすい空気になるので、ファーストペンギンである私の仕事はそこで終わりのはずです。 でもそういう時に限って優しいと優しくないの間みたいな人が現れて、状況を打破するために搾り出しただけの私の意見を一生懸命尊重しようと

          安納芋と小豆のアイス最中

          先日友人とご飯を食べました。 デザートのタイミングになって、メニューを見ていた私の目に飛び込んできたのは、他でもない「安納芋と小豆のアイス最中」でした。 名前からしてとても美味しそう。 でも一つだけどうしても気になることがある。 これは、「安納芋」と「小豆のアイス」の最中なのか。 「安納芋と小豆のアイス」の最中なのか。 はたまた「安納芋」と「小豆」と「バニラアイス最中」なのか、一体どれなのだろう。 メニューに写真は載っていないし、どんな様子で運ばれてくるのかもわからない

          安納芋と小豆のアイス最中

          ちょっと暑すぎて何もできない

          とにかく暑い。 暑すぎて物事をうまく考えられない日々が続いているので、はっきり言って今日は書くことがありません。 書くことがない、を書く。そういう日です。 ソクラテスみたいなこと言ってすみません。 できないことを「できない」と言えるようになったのは、一体いつからだろうと考えます。 暑すぎて考えられませんが、確か今よりももっと若くてプライドが高かった頃はできなかったような記憶があります。 「できない」と言ってしまったら自分の底が知れると言いますか、平たく言うと「ダサい」

          ちょっと暑すぎて何もできない

          今世はどうやら猫にはなれない

          結局のところ「好き」とか「嫌い」なんてのは相対的なものであると私は思っていて、たとえば最初からこの世に食べ物が一つしかなかったとしたら「好きな食べ物」や「嫌いな食べ物」が生まれることがないのと同じように、もしもこの世に自分しか存在しなかったのなら、自分のことを嫌いにならずに済むんだろうなあと考えることがよくあります。 人によっては、人と関わるたびに自分のことを好きになれるタイプの人もいるとは思うのですが、私はそういうタイプではないので、大抵の場合人と関わると自分のことが嫌に

          今世はどうやら猫にはなれない