藤村聖子 Shoko Fujimura

俳優/脚本/1991年生まれ/兵庫県出身/お転婆な気にしいです。

藤村聖子 Shoko Fujimura

俳優/脚本/1991年生まれ/兵庫県出身/お転婆な気にしいです。

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親友が元親友になった日

その昔、家同士が近所で小学校入学直後からとても仲の良かった【アキちゃん(仮名)】という友人がいました。 アキちゃんとは成長と共に徐々に疎遠になり、別々の高校に進学したのをきっかけにそのまま一度も顔を合わせることなく大人になったのですが、つい最近、別の友人からアキちゃんが私の連絡先を知りたいと言っているのだが教えてもいいか、という連絡をもらいました。仲良しだった聖子ちゃんが今どんな風に過ごしているのか近況が知りたい、とのことで。 私は悩みました。 実はアキちゃんと疎遠になって

    • ちょっと暑すぎて何もできない

      とにかく暑い。 暑すぎて物事をうまく考えられない日々が続いているので、はっきり言って今日は書くことがありません。 書くことがない、を書く。そういう日です。 ソクラテスみたいなこと言ってすみません。 できないことを「できない」と言えるようになったのは、一体いつからだろうと考えます。 暑すぎて考えられませんが、確か今よりももっと若くてプライドが高かった頃はできなかったような記憶があります。 「できない」と言ってしまったら自分の底が知れると言いますか、平たく言うと「ダサい」

      • 今世はどうやら猫にはなれない

        結局のところ「好き」とか「嫌い」なんてのは相対的なものであると私は思っていて、たとえば最初からこの世に食べ物が一つしかなかったとしたら「好きな食べ物」や「嫌いな食べ物」が生まれることがないのと同じように、もしもこの世に自分しか存在しなかったのなら、自分のことを嫌いにならずに済むんだろうなあと考えることがよくあります。 人によっては、人と関わるたびに自分のことを好きになれるタイプの人もいるとは思うのですが、私はそういうタイプではないので、大抵の場合人と関わると自分のことが嫌に

        • 吊り革争奪戦

          ちょっと聞いてください。 この前満員電車で、しかも吊り革に掴まっていないと立っていられないタイプの満員電車で、自分が持っていた吊り革から一瞬手を離した隙に、近くに立っていた人にすかさずその吊り革を掴まれてしまったんです。 握力に限界がきて、ほんのちょっとだけ手をグーパーしたくて、それで手を離しただけのその一瞬の隙をつかれた形でした。 他の吊り革はもちろん空いておらず、私の満員電車の旅は途端にデスゲームと化し、揺れに耐えながら必死に考えました。考え込みました。 私の中で生

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        親友が元親友になった日

          無限「逆に」沼

          物事には常に二つ以上の側面があって、考え始めるといつだって何も決められないなあと思うわけです。 例えば、誰かの家にお呼ばれした際に「手土産は本当にいらないよ」と言われたとする。 とはいえ、まあ何かしら持って行こうかなと思うじゃないですか。 でも「逆に」手土産を持って行ったことで相手が気を遣ってしまって、こちらも何か出さなきゃ!と思ってしまう可能性がある。 そうなると本末転倒なので、やっぱり最初に言われた通り何も持って行かない方が良いのかもしれない。 いやでも「逆に」常識のな

          人生がつらいのはデフォルトだとして

          思春期真っ只中だった14歳のある日、仲が良かった友人から「死にたい」とメールをもらったことがありました。 「生きているのがつらい、死にたい」 当時の私は「生きていたらきっと良いことがあるよ」などという非常に当たり障りのない励まし文句で、彼女の希死念慮を受け止めた、というより受け流したような記憶があります。 人間のメンタルブレイクなるものに初めて直面して、動揺した私がどうにかこうにか絞り出しただけのその場しのぎの言葉が、彼女の心を軽くできたとは到底思えませんが、幸いにして

          人生がつらいのはデフォルトだとして

          家族よりも家族

          先日、親友に子どもが生まれました。 この歳になって「親友」などと言うのは照れくさい感じもありますが、彼女に関してはそれ以外にどうにも形容しようがないほど、誰がどう見たって紛れもなく「親友」であるため、私としてもこの呼び名を認めざるを得ない、という照れ隠し的なややこしいことわりを入れておきます。 彼女と出会ったのは15歳で、そこから随分と長い間お互いにただの女友達をやってきました。 その間にはたくさん喧嘩もしたし、何年か連絡を取らなかった期間もあったし、いまだに理解に苦しむ

          私の冷蔵庫

          18歳で上京したときに母が買ってくれた、自分の身長よりも小さな冷蔵庫を、私は14年間使っていました。 その冷蔵庫は、「1人より多くてもダメだし、少なくてもダメ」みたいな、まさに1人で暮らす人のためだけに作られたといった具合に、私の生活にもしっかりと馴染んでくれていました。 14年も使っていると、中板が割れてしまったり、なにが溢れたのかわからない汚れが固まったまま取れなくなってしまっていたりと、それなりに不具合もありましたが、冷蔵庫が果たすべき「冷やす」という点においては、

          投票行って乾杯

          白状すると、20代前半の私は選挙というものにあまり興味がありませんでした。 政治のことはよくわからないし、きっと私には関係ないし、私1人が投票に行ったところで何も変わらないとぼんやりと思っていたからです。 それは確固たる意思を持って投票に行かないことを選択していたわけではなく、ただなんとなく、気が付いたらいつも終わっている、ぐらいのことでした。 毎日を生きるのに精一杯で余裕がなくて、「選挙に行こう」という言葉を目にしても、全然ピンと来なかったんです。 そんな私が、政治につ

          知らんぷりしたっていいじゃない

          突然ですが、私注射がすごく苦手なんです。 まああまり得意な人はいないとも思うのですが、私の場合は毎回年甲斐もなく「痛い」と口に出しながら苦々しい顔をして、看護師さんに「痛いねえ、もうちょっとだからね」と、子どもの患者さんに対していつも言っているであろうセリフを言わせてしまうぐらい苦手なんです。 加えて厄介なのは【腕に針を刺される瞬間から抜かれる瞬間までを、全てこの目で凝視しないと気が済まない】という点でした。 それは子どもの頃からのクセで、注射を怖がってどんなに泣いてい

          知らんぷりしたっていいじゃない

          涙は時に暴力的

          数年前、友人が自分の身に起きたつらいことを努めて明るく、けれども一生懸命に話すのを数名で聞いていたとき、その中にいた別の友人が、突然誰よりも悲しそうに「つらかったよね」と言って泣き始めました。 ちょっと待て、と私は思ったわけです。 その涙、今じゃないんじゃなかろうか。 少なくとも当事者が泣いていないこのタイミングで、ひっそりとではなく大層悲しそうに泣くなんて、もはや暴力的じゃないか。 身に起こった出来事を話している友人の様子から、なるべく【つらい話】として話したくないだ

          貧乏にはお金がかかる

          小学生の頃、地元にコストコができました。 どんなお店であるかを含め、その存在を知った日から、お金がない人が絶対に訪れることのできない場所の一つに入るだろうなと私は思っていました。 だってコストコは、ある程度お金はあるけどできることならお得に暮らしたい、という人が行く場所であって、【今月の生活費がまじでギリギリ】みたいな人が訪れる場所では到底ないと思っていたから。 同じような話で、大学生の頃に友人が「彼氏がお金ないって言うくせに、定期を1ヶ月分しか買わないんだよね。本当に

          貧乏にはお金がかかる

          結婚したい、とは結局こういうことだったのか

          私です。お祝い贈り女です(卑屈)。 仲のいい友人も、それほど仲のよくない友人も、考え得る【友人】と名のつく人物はもう大体が結婚して、ぼちぼち何人目かのお子を産み始めました。 「あいつが結婚したらいよいよだな」などと密かに設定した“最後の砦”みたいなヤツも(失礼)、すでに2〜3人は誰かの妻となりました。 が、別に何も終わらなかったので、概ね勘違いだったなと胸を撫で下ろしています。 数年前にも、私はもはや友人たちにとってお祝いを贈るためだけに存在しているのではないかと勝手に

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          「引っ越しのご挨拶」に失敗しました

          この前、隣家に新しく引っ越して来られた方がご挨拶に来てくれたんです。 当たり前なんですが、引っ越しの挨拶って突然来るじゃないですか。 そのときも、完全に油断してソファの一部と化していたまさにそのタイミングでインターホンが鳴ったんです。モニターを覗くと、男女のカップルが写っていました。 「絶対に出られない」 そう思いました。 今私は人と言うよりもはやソファだし、髪もボサボサで、服…?みたいな服を着ている。 居留守でいけるか?瞬時に考えを巡らせました。 でも、私はそのとき

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          野球選手がみんな年下になっても

          テレビでインタビューに答える甲子園球児たちがいよいよ全員年下であることを認識したあの瞬間、結構な衝撃じゃありませんでした? 私今でも驚きますもん、え〜全員一回り以上年下なの〜?って。(いい加減慣れろ) 当たり前ではありますが、年々スポーツ選手がみんな年下になっていきます。 私は野球が好きでよく観ているのですが(大の阪神タイガースファン)、プロ野球に関しても結構な割合で自分よりも年下の選手によってチームが構成されるようになってきました。 未だ何者でもない自分のことを思うと、

          野球選手がみんな年下になっても

          やったことないけど多分できる

          私、昔から足がめちゃくちゃ遅いんです。 高校生のとき50メートル走のタイムが遅すぎて、友人から「え、50メートルの間になにしてたん?道草食いすぎやろ」と言われたことがあります。(関西人って面白いこと言いますよね) 足が遅いだけじゃなくて基本的に運動はあまり得意ではなく、部活にも入ってはいませんでした。人数が足りなくて試合に出られないからと、誰彼構わず部員の勧誘をしていたはずのソフトボール部の顧問の先生に、「お前だけはいらん。カマキリが立って走ってるみたいな走り方しよって」

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