ちょっと暑すぎて何もできない
とにかく暑い。
暑すぎて物事をうまく考えられない日々が続いているので、はっきり言って今日は書くことがありません。
書くことがない、を書く。そういう日です。
ソクラテスみたいなこと言ってすみません。
できないことを「できない」と言えるようになったのは、一体いつからだろうと考えます。
暑すぎて考えられませんが、確か今よりももっと若くてプライドが高かった頃はできなかったような記憶があります。
「できない」と言ってしまったら自分の底が知れると言いますか、平たく言うと「ダサい」と思っていたわけです。
言おうが言うまいが底は確かにそこにあるし(韻踏んでみました)、底なし沼みたいな人間など存在しないのに、周りの人は自分よりももっと深いところに底があるような気がして、自分の底を必死に隠していたのだろうと思います。
とにかく水を濁らせて、底を見えなくしようとしていたのです。
今考えるとそっちの方が余程ダサいですよね。
いつからか「できない」と言えるようになってわかったことは、「できない」と言ったことで見つかる解決策がある、ということです。
そもそも‘‘「できない」と言う’’というのは、1人だったものが2人になったり3人になったりするということなんですよね。
世の中における大体のことは1人じゃできないことがほとんどなので、手を取り合う人は多ければ多い方がいいはずです。
とはいえ、私はかなり諦めの悪い人間なので、できないことを認めるのには勇気が必要なときもありますが、諦めないために「できない」と言ってみる、という術を学びました。
「できない」を認めることで、なんだかできないことがどんどん増えていくような気もしますが、「できない」と認めることが「できた」のだと捉えると、「できない」は全て「できた」に変わるという、とんでもない魔法に気が付きました。
言うまでもなく、おそらく私は天才なのでしょう。
こんな風に「できない」自分を楽観的に捉えられるようになったところを見ると、やはり大人になるというのは、最強に近づくということなのだなと常々思います。
なーんだ自分って思ったよりダメなやつじゃーんと気が付いても、そんなことは大したことではないと思えるようになった。
自分の弱さを知ることのできる人は、結果的に強い人であるという話なのだと思います。
だから私は、このところ暑さにやられて物事をうまく考えられない状態になってはいますが、それもまた別に大したことではない、そういう話でもあります。
できないからって、なんだ。
書けないからって、なんだ。
ていうか、十分に書けているではないか。
完璧に書けていると言っても過言ではないほどに書けている。
というわけで、「できない」と言ってみたらできました。
皆さまお付き合いいただきありがとうございました。
それにしても毎日暑いですね。
8月も後半ですが、なんというか残暑の執念を感じます。
過ぎてたまるか!といつまでもまとわりついてくる暑さが、早いところ諦めてくれることを期待します。
そうすればまた来年の夏が来るんだよ、と秋あたりが夏に教えてあげればいいのにな。
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