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あいつは性格が悪いらしい

「あの人は一見無愛想で怖いけど、話すと実はいい人だから」

事前にそう聞かされていた人と仕事で関わる機会があって、結果的にその人は私にとってただただ無愛想で怖い人だった、ということが最近ありました。
そして私はそれにがっかりしてしまったというか、ちょっとだけ悲しい気持ちになってしまったのです。

私はきっと「この人は実はいい人なんだ」と、勝手にその人に期待して、ハードルを上げてしまっていたのだろうと思います。

考えてみたら「実はいい人」というのは、「いい人じゃなさそうなのに」という前提の下に成り立っているわけで、私自身その人に対して、他の人と関わっている様子を見る限り「キツい言い方をする人だなあ」という印象ぐらいは元々持ってはいました。
それなのに、人からちょっと話を聞いたぐらいで自分の中の印象を覆し、その人のことを手放しで「実はいい人なんだ」と勝手に認定して、勝手にがっかりしまうなんて、私はなかなかに酷なことをしたもんだ、と思いました。

でもそれで言うと、その人が本当に「いい人」なのか、はたまた「いい人じゃない」のかは、結局のところ誰にもわからないだろうと思うのです。
私に「あの人は実はいい人だから」と教えてくれた人も、その人の体験だけしか知らないわけで、「実はいい人(仮)」の他の人に対する対応を全て知っているわけではないのだから。

関係性や状況によって対応が変わるのは当たり前だし、誰かにとっては「いい人」でも、また別の誰かにとっては「いい人じゃない」可能性は大いにある。

人ってそういうものだよなあ、と改めて思いました。

私は子どもの頃から「性格が悪いらしい」という噂が流れることが多いタイプでした。
まあ性格は本当にちょっと悪いんですけど、その真偽はさておき、一度も話したことのない人からも「あいつは性格が悪い」「怖い」などと言われ、嫌われてしまうことが度々ありました。

私のことがただただ嫌いな人が適当に言いふらしていたのかもしれないし、実際に関わった結果私のことを本当に性格が悪いと思った人が、他の人にも共有していたのかもしれない。
どうしてそういう風に言われてしまっていたのかは、正直なところ今でもわかりません。

けれどもちろん私はそれが嫌だったので、私自身は人の噂はなるべく信じないようにしようと思って生きてきました。
「あの人とは関わらない方がいい」とよくある噂を耳にしても、そんなのは関わってみないとわからない。
わざわざ自分から関わりにいくことはしないまでも、避けることはせず、関わってみてダメだと思ったらその後は関わらなければいい。

人の印象に関しては、自分が実際に見て感じたものだけを「真実」ということにしたい。
そういう世界であってほしい。

でもまあそれを完璧に貫くことは、やっぱりできないわけです。
「人の噂を信じない」と同じぐらい「目の前の人を信じたい」気持ちの大きい私は、「いい人」だと聞いたら「いい人かも?」ぐらいには思ってしまうし、「いい人じゃない」と聞いたら「いい人じゃないかも?」ぐらいにはどうしても思ってしまう。

それでも、「こうしたい」を持ち続けることは大事なことだと思うので、私はこれからもなるべく人のことを噂で判断してしまわないように気を付けていきたいなと思いました。

少なくとも勝手に期待して、勝手にがっかりするのはもうやめよう。
考えてみれば「いい人じゃなかったんかーい」って、なかなか失礼ですよね。

それにその人も今回は「無愛想で怖い人」だったけれど、また別の機会に関わってみたら印象は変わるかもしれない。それぐらいのゆるい感じで、構えていようと思います。

最後に一つだけこの場を借りて弁明したいのは、私はよく人から「実際に話すまでもっと怖い人だと思った」と言われることがあるのですが、それはきっと私がまあまあ美人だからです。
美人が黙っていると怖い、ただそれだけのことだと思うのです。
(…どうやらやっぱりちょっと性格は悪そうですねえ)

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