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今世はどうやら猫にはなれない

結局のところ「好き」とか「嫌い」なんてのは相対的なものであると私は思っていて、たとえば最初からこの世に食べ物が一つしかなかったとしたら「好きな食べ物」や「嫌いな食べ物」が生まれることがないのと同じように、もしもこの世に自分しか存在しなかったのなら、自分のことを嫌いにならずに済むんだろうなあと考えることがよくあります。

人によっては、人と関わるたびに自分のことを好きになれるタイプの人もいるとは思うのですが、私はそういうタイプではないので、大抵の場合人と関わると自分のことが嫌になります。
今週も126回ぐらいは自分のことが嫌になって、「ああ猫になりたい」と思いました。
いい大人が「猫になりたい」と言い始めることほどヤバいことはないと思っているので、あまり大きな声では言えませんが。

当たり前ですが、他者って自分の心を掻き乱すじゃないですか。
そうすると相手との対比で、自分のことを「簡単に心をかき乱されてしまった弱い人」「心が乱れて醜い部分が出てしまった人」と認識するので、自分のことを嫌いになるんだと思います。

もちろんこれは恋愛とか友情とかそういう大仰な話ではなく、たとえば店員さんにちょっと嫌な態度を取られてしまったとか、直接対峙していなくてもメールなどでやり取りしている相手とのコミュニケーションがうまくいかなかったとか、そういう日常レベルの小さな話です。

ちょっとのことで落ち込んでいる自分。
ちょっとのことでイライラしている自分。
どんな場合においてもどちらが悪いとかではなく、悪い悪くないに関わらず、自分の感情が乱れるのはやっぱり嫌だし、正当性のある感情だったとしても、「負の感情を抱いている自分」それ自体を好きにはなれないのです。

こんなことになるのなら、なるべく人と関わらないようにしようと思ったとしても、社会生活を送っている以上はなかなか難しい。
かといって、「どんな人と関わろうとも関係ない、自分は自分である」と思えるほど強くもない。
それに、ひとりぼっちで生きていく勇気もなければ、心のどこかでひとりぼっちはつまらないだろうなあとも思っている。

猫にはなれないとわかっていながらも、まるで猫のようにコロコロ変わる自分の感情と向き合って、私は’’私様’’のご機嫌を一生懸命に伺いながら毎日を生きているのです。

正直、うんざりです。

じゃあ、人と関わるたびに自分を嫌いにならずに済むためにはどうしたらいいのか。

【誰と関わっても心を乱さないようにする】

絶対に無理です。
無理すぎて「無理」と言うのも憚られるぐらい無理です。

人と関わることによって心を乱すことはやめられない。
じゃあそんな自分を好きにはなれなかったとしても、せめて受け止めていけば、私は私を徐々に愛せるようになるかもしれない、そう思ったのです。

心を乱してしまった自分を単に「ダメな自分」と捉えるのではなく、気持ちを一つずつ分解して、何がどうなって自分はその感情に辿り着いたのかを考えてみる。すると、案外最後に辿り着く理由が「お腹が空いていた」や「眠たかった」など、とても単純ですぐに解決できることである場合も少なくない。

自分が心を乱してしまったことに対して極端に敏感になりすぎず、人間というのはこういうものだよなあと、自分の人間らしさを積極的に讃えていくのが良いんじゃないかと思いました。

今世の私は、猫になったとてどうせ同じようなことで悩んで「ニャーニャー」うるさいのだろうと思うし、周りの猫の「ニャー」を「え、今のは自分に向けられたニャーでは?」と被害妄想をし続けるだろうと思うので、諦めてこれからも人間として生きていきます。

来世は必ずや猫に。
と言いつつ、来世も同じような人間になる気もしています。

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