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先端と私の関係

私には昔から先端恐怖症的なところがあって、先の尖った物や刃物、角を見ると恐怖心でゾワゾワし、慌てて目を逸らしてしまうんです。

ただ「先端恐怖症的なところ」と書いたのには理由があって、つまり「先端恐怖症」ではないと思っているからなんですが、私の仮想先端恐怖症はどうやらちょっとばかり気まぐれなんですよね。

基本は先端が怖いのですが、気にならない時は全く気にならない。
ほら、めちゃくちゃ虫が嫌いなのに、キャンプとかに行くと気が大きくなって途端に虫を退治できるようになったりしません?
簡単に言うと、あれと一緒です。(皆さんにあれがあるのかはわかりませんけれども)

つまり、気分に左右される。
それこそ気が大きくなっているタイミングだと全く怖くない。

逆に先端が怖いときの私は、大抵「最悪」を想像をしてしまっています。
尖った物は目に入るし、刃物では指をパックリ切るし、角では頭を強く打って血だらけになる。
先端と私の関係において、考え得る限り最も避けたいシチュエーションを想像しているのです。

でも考えてみれば、これって何も「先端」に限ったことではないと思うんですよ。

例えば、さっきの「虫」の話もそうだし、「人」においてもそうです。
人との会話が全然上手くいかない、みたいな日ありません?
私に至っては1週間のうち6日は人と上手く話せないので、はっきり言ってちょっと参考にはなりませんが、こんな私でも流れるように人と会話できる日ってあるんです。

人との会話が上手くいかない日は、やっぱり最悪を想像してしまっている。
「怒らせたら嫌だな」「私と話していてもつまらないだろうな」「私のことが嫌いなのかもな」などなど。

逆に流れるように人と会話ができる日は、「あれ、なんか今日はいつもと違って人からの視線が好意的に見える!」みたいな。
そういうときは先端も怖くない、でも虫は怖いみたいな。

そういう小さな要因がいくつも組み合わさって、その日の自分ができているのだろうと思います。
そしてそれは、やっぱり「気分」によるところが大きい。

最悪を想像をしてしまう気分である、ということ。
天候とか体調とか睡眠時間とか、ただただそういうものに左右されて気分が決まる。
私の場合、それによって人と上手く話せなかったり先端が怖かったりするんですよ、きっと。

まあ私がただ気分屋であるってだけの話なのかもしれませんが、「最悪を想像しない」ひいては【最悪を想像してしまう状態でいない】ということは、大切なことだと思います。

私はこれまで、状態が悪いときであれば尚更自分の心に保険をかけるためにも、ある程度最悪な事態を想像しておくことは重要なことだと考えてきました。
けれど、最悪を想像してしまうとそちらに引っ張られて、どんどん恐怖心が生まれるのではないかと思えるようになってきたのです。

こうなってくると、私はもう先端とも上手くやれそうです。
尖った物は入れない限り目には入らない、刃物は切らない限り指がパックリ切れることはない、角には頭をぶつけなければいいんだから!!

というわけで、最悪を想像してしまう状態でいないために、毎日の気分を少しでも上げるために、私は積極的にご飯を食べて、積極的に寝て、積極的に運動をしようと思います。

思考のクセを治すのは難しいけれど、始めないと始まらない。
よーし、気分上げてくぞー!

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