服を買い過ぎました。
罪悪感に苛まれながら、それを誤魔化すように今このnoteを書き始めたところです。
服をたくさん買って、ただただ「ストレス発散になったな」と思えるほどお金に余裕がある人生ではないので、こういうことをすると基本的には途轍もないサイズの「後悔」が押し寄せてくるのですが、それでも定期的にやってしまうのが私の良くないところです。
数年前にも、目まぐるしい日々の中である日突然「Nintendo Switch」を買ったことがあります。しかも有機ELのやつ。有機ELって一体なんだろう。
去年はやり切れなくてAppleWatchを買ったし、その前はむしゃくしゃしてAirPodsを買いました。クサクサした気分で良いマフラーを買ったこともあるし、ひどく疲れている自分にはなんだか許される気がしてちょっと高いサングラスを買ったこともあります。
その度に「後悔」が押し寄せてきて、数日経ったら「ま、いっか」となります。
全てのことに関して最終的には「ま、いっか」となってしまうのが、自分の良いところであり悪いところであると思っています。
おそらく「良いところであり」が最初にくるところが、定期的に同じことを繰り返してしまう要因なのだろうと思います。
というか、ここまで書いていてふと思ったのは、これぐらいのレベルの買い物なら実は他の人は普通にしているのではないだろうか、ということです。
「嫌な気分だったから」とかじゃなく、普通に「欲しいから」で買っているのではないだろうか。
度を超えないレベルの買い物が、ある一定のストレス発散になるのなら、安いもんだとさえ思えてきました。
今日noteを書いて本当に良かったです。
でも、ということはですよ、他の人がただただ「欲しいから」で買うところを、私はいちいち負の感情と結びつけないと数万円の物さえ買えない気の小さいやつだということが露呈しただけ、ということになります。
なるほど、私は自分の気の小ささをここまでダラダラと書き連ねてしまったのですね。
自分の才能が憎いです。
数万円の買い物をしたら必ず「後悔」が押し寄せてくるとは書きましたが、その都度しっかり満たされてもいるので、私が積み重ねているのは紛れもなく「成功体験」です。
気が小さいので、普段は欲しいものをなんの理由もなく買うことはできないけれど、負の感情によって背中を押され、買いたい物を買っている。
というか、自分の買い物に対して言い訳をして「仕方がなかった」と思いたいだけなのかもしれません。
つまり、健全な購買意欲の下に、ただただ買い物をしているだけ。
考えてみたら、今日はちょっと胃が痛いだけで服を買ったのには特に理由はありません。
秋に着る服がなくて、数日悩んで、でももう買い物カートを精査するのがめんどくさくなって、そのまま「購入に進む」を押しました。
強いて言うなら「着る服がない」というストレスが私の背中を押してくれました。
届くのが楽しみです。
(数日後悔するんじゃなかったのか)
というわけで、今日は終始私の気の小ささをお届けしてしまいました。
でも気が小さいからって、なんだ。(強気)
ちょっとした贅沢の正当性を「自分へのご褒美」などと言って表現できる人間であれば良かったのになあと時々思いますが、私の場合はどうしても「腹いせ」であると謳ってしまいます。
捻くれすぎていて我ながら笑ってしまいますが、今日は妙に清々しい気分です。
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