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インドMBA留学物語 - WBS Life Final Volume

2023年3月24日、4ヶ月過ごしたインドでの最終日

日本とは何もかもが違う場所。ここでの日々は、1年以上のようにも、振り返れば一瞬だったようにも感じる

刺激的で、出会いや驚き、困難と感動に満ち溢れた、社会人MBA生活最後のエピソードを、ここに記す


1. インドで生きるということ

正直、最初の1ヶ月は楽しさより辛さの方が勝っていた。体調を崩しやすく、綺麗好きで、自己主張が苦手な自分にとって、ここでの新生活は大きすぎる挑戦だった。

知り合いがいない地で、大量の香辛料に何度も胃腸を壊し、大気汚染で喉を痛め、停電が日常なインフラ、当たり前のように逆走する乗り物…等々と格闘してきた。

到着初日の豪雨と恐ろしい渋滞は鮮明に覚えている
4ヶ月過ごしたマイハウス
最初は衝撃的だった水回りも今は慣れた様子
最後まで工事が終わらなかった通学路
近所のカフェを訪問すると注目の的に
日用品や食料品を調達していたスーパー
クリーニングからボロボロになって返ってきた靴 (泣)
薬局で出された怪しい薬を飲んだら倒れた
お世話になった三種の神器

生きているだけでレベルアップな日常は、コンフォートゾーンの外が故の辛さもあり、一方で不思議な充足感もあった。

ここに生きる人の多くは、考えを言葉にして即座に伝える。自分の意思を明確に持ち、忖度しすぎに主張することが必要なのだ。

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食生活に関しては奮闘の結果、とってもインド料理が好きになった!州によって食文化は大きく変わるのだけど、平均して一日二食はカレーを食べていた (笑)

毎月開催される学食のスペシャルディナー
朝ごはんによく食べたドーサ
カレー、パラタを食べる日々
ヒンドゥー教が大多数のインドではお肉 = チキン
ベストビリヤニ in バンガロール

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インドに根付く精神である “Jugaad”という言葉がある。ヒンディー語で、“独創性と機転から生まれる即席の解決法” を意味する。

彼らは良くも悪くも規律性より迅速で柔軟であることを大切にし、一度決まったことも即座に変更や修正をおこなう。

日々起こる予想外な出来事への順応を通じて、何事もなんとかなるさと思う心や、自分だけではなんともならないことがある、そんな当たり前のことも再認識できた。

この世界では全てを予測して計画的に動くことは不可能で、自分の軸を持ちながらも、ユラユラと環境に適応していくことも大切なのだ。

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2. IIMBと競争社会

留学先の IIMB は、インドのハーバード的な存在だ。

ここでの学生生活は控えめに言っても最高の経験だった。温暖な気候と立地に恵まれ、自然と融合した建築、騒音や汚染がなく、あらゆる施設を内包したこの場所は、外界から隔絶された異世界のような環境である。

1973年に建てられた壮大で荘厳なキャンパス
あらゆる場所が緑で溢れている
間違いなく一番お世話になった図書館

食堂で朝食を取り、授業を受け、リモートで働き、お気に入りの図書館で勉強し、庭園で日光浴をしてチャイを飲み、時には運動し、夕食を取る、この地での生活が恋しくなることは間違いないだろう。

一日四食が提供される食堂
憩いの庭園で日向ぼっこ
テニス・バスケコート、プール、ヨガ施設など何でもある
グラウンドでクリケットを楽しむ学生たち
授業の合間にチャイを飲む、いきつけのコンビニ?
お世話になった薬局

IIMB では IIT をトップで卒業した学生や、死にものぐるいで勉強してきた地方の学生などが、希望する就職先を勝ち取るために激しく競い合っている。

教室はほとんどが馬蹄形

貧富の差が激しく、学歴が重要なインドでは、上位の学校を優れた成績で卒業出来るかが人生を大きく左右する。その社会的地位の高さと権威は驚くべきもので、インドのどこを旅行していても、IIMBに留学していると伝えると非常に驚かれた。

競争心と向上心を育むその社会構造は日本とは大きく異なり、14億人の中で競争し続けることの凄さと恐ろしさを実感した。

一方で、一部の学生は幼少期からの終わらない戦いに疲れ、ワークライフバランスの両立を望んでおり、エリート層の空気も変わってきているのかなと思う。

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一学年約500人の学生達は30近くのホステルブロックで生活をする。親族の結束力や両親の強い影響力などは有名だが、まるで家族かのように、同じブロックの学生と密接で距離の近い日常を送っている。

半分の学生が住む旧ホステル群
広くて綺麗な新ホステルブロック
眠らないブロックでは朝方まで音楽が止まない

繋がりを大切にする IIMB では、助け合いの精神が非常に強い。全員がそうだとは言わないけども、困っている人がいたら助けるし、自分が困っている時は悩みを開示してこれでもかというほど周りに頼るのだ。

そんな IIMB での高度な授業や日常会話も英語でなんとか乗り越え、前よりは外の世界で生きる自信が付いた、と思う (英語中心で仕事をする自信は無いが…)。

Managing Career Success and Transition
英語でのプレゼンテーションも頑張った!!
Gamification for Management and Business

言語は手段でしかなく、自分の主張を相手になんとか伝え、お互いの異なる価値観を理解しようとし、意思疎通を試みることが大切なのだ。

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3. ダイバーシティとマイノリティ

当然だが、日本で周りにいるのは、気心の知れた家族や友人、職場や学校などで同じ時間を共にしてきた人が大多数である。

同学年には500人以上のインド人と1人の韓国人がいて、留学生はフランスから12人、スイス・デンマーク・イタリアから1人だった。つまり、日本人は僕一人である。

ヨーロッパからの交換留学生達と最終日に

遠い昔に留学した時以来の圧倒的マイノリティな空間は、めっっっっっちゃ大変であった。自分は何者なのか?どんな意思を持ち、何をしたいのか?を、形成済みの集団内で発信することが求められる。

最初はめちゃくちゃにしんどかったけど、唯一の日本人だったのはある種幸運で、同郷の仲間に頼れなかった僕は、必然的に現地のコミュニティに入り込むしか選択肢が無かった。

心優しい学友たちは、積極的に交流しようとしてくれた。日本では友人の存在が当たり前だったけど、そうでは無いことを痛感した。辛い時期に優しい言葉を掛けてくれた日本の友達も、本当にありがとう。

とっってもお世話になった、日本に留学経験のある学生たち

単に辛かったという話ではなくって、マイノリティを経験することは結果的に人を大きく成長させてくれると思う。自分と向き合うことが求められるし、他者への寛容さや感謝の気持ちが強く養成される。

これまでの環境がいかに恵まれたものであるかも再認識した。また、マイノリティであるからこそ、自分のオリジナリティも自覚するのである。

留学生活が1ヶ月経ち、IIMBパーカーをプレゼントしてもらった時は、ようやくコミュニティの一員になれたように感じて本当に嬉しかったし、何なら泣きそうになった T_T

日本から見るとインドは一つの国だが、インド人学生たちの間でも多様性は豊かである。29の州によって文化も言語も価値観も違う。お互いに何を話しているか理解できない、といったことが普通にありうるのだ。

毎月開催される、各州の文化を体験するお祭り

インターネットには彼ら彼女らはお酒も飲まないしタバコも吸わない、結婚相手は親が決めるので恋愛は許されない、そんな偏った情報で溢れているわけだけど、リアルなインドは必ずしも全てがそうではないのだ。

多種多様な民族を抱えるインドだからこそ、多様性を当然のものとして捉え、理解しようとしてくれる人もいる。そんな素晴らしさを体験することができた。

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4. かけがえのない友人たち

授業やグループワークで一緒になった人、日本の文化が好きで興味を持ってくれた人、日本企業で働いた経験のある人、インド歴10年な唯一の韓国人、ヨーロッパからの留学生など、幸いにも多くの友だちと出会えた。

F Top Solo Boys
バンガロールで流行りのクラフトビールを何度も飲みに
日本人より日本の文化に詳しいフレンズ

同じ時間を共にして、他愛もない話をして、心を許す、それがどんなに素晴らしいことなのであろうか。彼らが居なかったら、途中で心が折れていただろう。

激辛ビリヤニパーティー (当然翌日にお腹を壊した)
えげつない盛り上がりを見せたW杯決勝戦
エグゼクティブプログラムのシニアな学生とも交流できた
ルールが謎すぎるフランスの飲み会ゲーム
ホステル内でインド民謡の弾き語り

優しくしてくれ、助けてくれたことは忘れないし、いつか恩返しをしたい。今後、自分の周りに少数派で困っている人がいたら支援したいなと、胸に刻んだ。

留学前は3人でも友だちが出来れば十分だ!、なんて思っていたけれども、留学せずに卒業したら出会えなかった友人たちは、この地で得た大きな財産である。

彼らの多くは僕よりも若く、これからインドや世界の第一線で働いていくことになるのだが、また近い未来に会えることを心から願っている。

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5. 未知なる世界の美しさと冒険心

新生活への順応、学業と仕事の両立と慌ただしい日々だったが、週末や祝日を駆使して幸いにも多くの場所を訪れることができた。

インドは日本に比べて9倍の国土を有しており、同じ国内でもその景観は多岐にわたるのだが、いくつかの素晴らしい場所を紹介したいと思う。

日本からきた母親 & 弟夫婦とタージマハルへ家族旅行に
デリーの市場で評判のチャイに挑戦
なんと7時間遅延した列車の旅、日本人はどこに行ってもめっちゃ話しかけられるので、コミュ力が高まった気がする
ピンクシティと呼ばれるジャイプールにある風の宮殿
パキスタンとの国境に位置する、ワガボーダーでのパレード
シク教の聖地である Golden Temple
欧州風なアムリットサルの街並み
天国の庭と称される、スリナーガルのダル湖
リゾート地ゴアから、アラビア海に沈む2022年最後の夕陽
標高約2,000mに位置するダージリン地方と大好きな紅茶
カンチェンジュンガ山と朝日を見るために早朝の高台へ
北部のカシミール地方ではまさかの雪山を見ることに
世界の底、聖なる河と呼ばれ、最もカオスだったガンジス川

世界は広く、自分が知らない、素晴らしい場所で満ち溢れている。これからも世界中の素敵な場所を訪れたい。

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終わりに

この4ヶ月を振り返ると、留学前に想像していたよりも困難で、楽しく、新鮮で、忘れられない経験となった。

今や、間違いなく、僕のアナザースカイの一つだ。

短い期間だけどインドで生き抜いた経験は、これから厳しい環境に直面した際にも、前向きに乗り越えられる糧となるだろう。

自分の人生の手綱を握って新たな挑戦を続け、時には予想外な出来事もゆらゆらと楽しみながら、多様性を理解し、大切な仲間たちと補い合って生きていく、そんな人生にしていきたい。

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2020年2月にWBS受験録を執筆してから、3年以上の時が過ぎた。これで、社会人MBA生活は、本当に、本当におしまいである。

これまで note をお読み頂いた皆さま、本当にありがとうございました。引き続き、何かしらの執筆は続けていきますので、また次の機会に。

では!

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Podcast でもインド生活を振り返りました。よければお聞きください。


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