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受け継がれてきたものを活かす視点が育てば過去は今の創造を助けるエネルギー源になる

昨日は和菓子職人の友達の家に遊びに行きました。

自分が好きな表現ってわかります?彼女がデザイン方面に進学するということもあり、友達が表現の方向性を明確にするための時間を作ってくれました。本当にありがとう!

そんな彼とはよく「継承」について話し合う仲です。昨日の話もとても印象に残るものでした。

目の前でお菓子を作った友達へのある人の一言

ある時、和菓子職人の友達(以下Rくん)が人前で和菓子を作ったとのこと。

会話の中でその方はRくんが和菓子職人であることを知ったみたいです。そこまでは和菓子を作る作家さんだと思っていたとのこと。

そこで出たのが、「和菓子屋さんの生まれだったんですね。失礼しました」という発言でした。

作家と○○職人の違いについての考察

これに対してRくんはなぜ「失礼しました」という言葉が出てきたのかが気になったそうです。

Rくんとの昨日話を受けて、作家であることと○○職人であること、それはどう違うのだろうと考えてみました。

作家のクリエイティビティはその人個人に属しているイメージないですか?もちろん作品(や商品)を作るために過去のあらゆるものを参照します。でも過去の文脈の縛りがあまり強くなく、作家である私にクリエイティビティが帰属しているようなニュアンスがある気がしました。

それに対して○○職人さんには、過去の流れが付いてくるのではないでしょうか?これまで思想・技術・文化を継承してきた人たちがいて、その延長上に立っているような感じです

受け継がれてきた流れの2面性

その受け継がれてきた流れは二つの側面を作り出します。

一つはその流れに信頼が宿るということ。人は継続的に価値提供されてきたものに対して安心し、それが続いていくという期待や予測を行います。

和菓子の家に生まれて、そこで職人として働くだけで、全くのゼロから事業を始めた人よりも信頼感が生まれやすいのは間違いないでしょう。

一方、受け継がれてきた流れが固定観念になることもあります。「〜べき」「〜なんで○○しないのか」という言葉をかけられて多くの後継者の人たちが自分の気持ちを押し殺してしまう状況も生まれているでしょうね。過去からの蓄積があることは、いいも悪いもなく、あえてネガティブ/ポジティブに転じる両方の可能性があります。

「失礼しました」が意味したもの

「失礼しました」は「過去から受け継がれてきたものを認識していなかった」ということから出てきた言葉なのかなぁと思いました。さらにそこには長く続いているから価値があるという前提がもちろんありますね。

伝統の領域の後継者の人たちはこのような過去の文脈との上で常に見られることが多い。自分も身に覚えがありすぎますが、そこでしがらみを感じる人も多いだろうなぁと思います。

でも大丈夫。

その過去の文脈に対してのしがらみはポジティブに転換することができます。

むしろ何かを創っていく時のエネルギーとして活用することができるんです。

ちなみに

Rくんとの話のトピックはほかにも重要だな!と思えるものがたくさんで、他にもいろいろと考えてました。

たとえば、周りとの価値観が違う中でどう立ち振る舞っていくかという人間関係の話題。

さらに後継者のエゴの成仏による、あるがままの可能性が開けていく話。

時代の変化・技術の進化の中で作ったもの(たとえば和菓子)を得る方法も売っていく層も変化しうるのに、上の世代と下の世代の想定する顧客層と売り方のイメージが共有不可能で下の世代がイライラするという話。(あるあるすぎる...)

そんな諸々の話は三浦自身答えを持っていませんが、こういうのってあるよね、とまずは認識するところから始めたいのでいずれ書きます!


Rくん、時間を取ってくれてありがとう〜!楽しい時間でした。

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自分のメンタルの扱い方を向上させて、 後継問題を乗り切っていきたい人たちや、継ぐかどうか迷っている人たちはぜひ〜。




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