見出し画像

「天使のいない世界で」序章 純白の夜が、赤く染まる(1)

(あらすじ)
半人前の天使「蕾の子」である少女メイは、一人前の天使になるための訓練として人間界に降り立っていた。そして訪れた、人間たちとの別れの日。「天使狩り」が行われ、愛すべき者たちが無慈悲に命を絶たれてしまう。
九死に一生を得て天界に戻ったメイだったが、とある事実を知り、再び人間界に降り立つことを決意する。

これは彼女と、彼女に強い想いを寄せる青年が紡ぐ、切なくもやさしい物語である。

 雪がしんしんと降り積もる、白く美しい日のことだった――。

(……結局、会えないままこの日が来ちゃった。あの人、元気にしてるかな)

「メイ様」

 木彫りの上げ下げ窓から顔を覗かせ、夜空に浮かぶ満月を見上げていた少女――メイの背中に穏やかな声がかかった。

「送迎会は、お楽しみいただけましたか?」

 メイがゆっくり振り返ると、肩まである淡い水色の髪と、白いローブがふわりと揺れる。
 視線の先に立っていたのは、眼鏡がよく似合う柔和な雰囲気の中年男性だった。立襟のシャツに髪色と同じ紺のニットベストを合わせ、楕円型の石に翼のモチーフが彫り込まれたループタイをしめている。
 これは、天使を信仰し人々に教えを説く者――牧師である証だ。

「シアン牧師。はい、とても楽しかったです。未熟なわたしのためにお時間をつくっていただいて、ありがとうございました」

 メイが丁寧に頭を下げると、「とんでもない」とやわらかな声が返ってくる。

「『蕾の子』であるメイ様は、われわれ人間の宝です。一人前の天使となられたら、ぜひこの家に帰っていらしてくださいね」

 心から伝えてくれているとわかり、メイはたちまち笑顔になった。

「はいっ。白い翼を授かって、また必ずここに帰ってきます」
「楽しみにしていますよ。メイ様は、シスターたちからはもちろん、この教会を訪れるみなに好かれていらっしゃいましたから。再会の折りには、こぞって喜ぶでしょう。……では、私は一度失礼いたしますね」
「はい。ありがとうございます」

 牧師はメイにやさしく微笑みかけると、縦に三列並んだ長椅子の横を通り、祭壇のそばにある小さな扉から地下へと下っていった。そこには、彼やシスター、先輩天使たちと過ごした生活の場が広がっている。

(半年間、楽しかったなあ……)

 ここ――ル二カ教会で過ごした日々を思い出す。

(人間界に降り立ったときはすごく緊張したけど、訓練の場所がここで本当によかった。みんなとても優しくて親切で……未熟なわたしをいつも助けてくれたもの)

 メイは、半人前の天使『蕾の子』と呼ばれる存在だ。珍しい髪色以外は人間の少女と何ら変わらない見た目をしているが、空の向こうにある天界で生まれ、数人の幼馴染と共に育った。
 今こうして地上に舞い降りているのは、一人前の天使になるために行われている訓練の一環である。

 天使のおさである天使長から課された目標を全て達成できていれば、天界にて次の訓練へと移ることになる。もし資格なしと判断されれば、もう一度、場所を変え人間界での暮らしを続けることが義務付けられているのだ。それは天使長に認められるまで続くといい、確実に天界に戻れるという保証はない。

(『人間たちに手を差し伸べ、心のよりどころになる』、『不慣れな土地でも心を平穏に保ち、清廉な行いができる』ことが、今回の達成目標。……わたしはできていたかな?)

 何らかの方法で、ここでの日々を天使長は見ていたという。気高く美しいが手厳しい彼女から認められるような行いができたという自信は、これっぽっちもない。
 同じく訓練を終えた幼馴染たちの背中に白い翼が現れるところを、拍手しながら呑気に眺めている自分の姿がありありと想像できた。

 メイはいつだって、「全くもう。仕方ないんだから」とみなに手を差し伸べられて育ってきた。生まれた時期はさほど変わらないというのに、「助けてあげなくちゃ」と妹に抱くような愛情を注がれてきたのだ。
 天界を発つ時も、みな過保護なほど心配してくれた。

(わたしの翼が透明じゃなくなる日は、遠いんだろうなあ……)

 蕾の子の背中には、透明な翼が生えている。
 十五の年で始まる訓練をこなし一人前だと認められて初めて、白く色づくのだ。ちなみにこの翼は、同胞たちにしか目視することができない。

(弱音を吐いていないで、頑張らなくちゃね。早く一人前になって、今度はわたしがみんなを助けるんだから)

 目の前に広がるこじんまりとした空間に、先ほどまで自分に別れを告げるためにたくさんの人々が集まってくれていたことを胸に刻む。
 贈ってくれた歌も、もらった言葉も、決して忘れたくない。


 太古。創造主は「天使」「人間」「悪魔」という三つの種族を生み出し、それぞれを別の土地に住まわせ、越えることのできない境界線を張った。
 その状況が一変したのは、今から数十年前。
 悪魔の住む地底――魔界での種族抗争の末『魔王』が誕生し、創造主に牙をむいたのだ。その中で人間界と魔界の間にある境界線が破られ、悪魔たちが人間界に侵攻することになった。

 人間の血肉は美味であると同時に、食すことで悪魔の力を高める効果があるらしい。そのため、人間たちは危険と隣り合わせで生きていくことになってしまった。
 ちなみに天使の血肉、とりわけ翼は人間以上に悪魔の力を高めるという説が古くからある。しかし、幸いなことに、悪魔たちは天界に辿り着くすべを持たないようだった。

 そんな中。天使長が、実体をなくし世界そのものになった創造主から「人間たちを守りなさい」との啓示を受けた。
 そして、一族の新たな能力として授けられたのは、悪魔を退け弱体化させる『光の力』。
 人間から得られた信仰心の分だけ力を高めることを約束された天使たちは、いずれ悪魔が天界に侵攻してきたとき身を守ることができるように、人間界に行くことを決意したのだった。

 そうして誕生したのが、守護天使制度。
 悪魔から守る代わりに、人間たちは天使を歓迎し敬うという、天使長と人間たちを統治する王が結んだ盟約だ。
 それによって、蕾の子を除く一部の天使たちは『守護天使』として人間界の各地域に駐在して光の結界を張り、人間たちはそれを支えるために居住地および敬意を表するための場――教会を作った。

 しかしほんの一年前、この制度の意味合いは大きく変わることになった。
 創造主の啓示を受けた一人の人間が、魔王を討ち滅ぼしたのだ。それによって、魔王の眷属けんぞくである悪魔たちは消滅し、人間界に平和が戻ったのである。

 守護天使の役目は終わった。それでも今なお人間界にとどまり続けているのは、人間と良好な関係を築いてきたからだ。
 もとより持つ治癒能力『癒やしの力』を彼らのために使おうと、今や教会は診療所のような役割に変わりつつある。また、天使という存在に救いを見いだす者も多く、そんな人々が集い心を安らげる、憩いの場にもなっているのだ。

(悪魔が消えても交流が続いているなんて、とても素敵なことだよね。これからも、天使と人間が手を取り合っていけますように……)

 メイは胸の前で指を組むと、創造主に祈るようにしてそっと瞳を閉じた。その時だ。

「メイ様」

 ちょうど瞳を開いた頃合いで、地下室に続く扉が開いた。
 そこから顔を出したのは、涼やかな奥二重をした、青い瞳を持つ少女だ。白襟のついた紺色の質素なワンピースに身を包み、黒に近い灰色の髪を一本の三つ編みに束ねている。

「ご出発の前に、少しお話ししたいと思って。……よろしいですか?」
「もちろん! わたしもステラちゃんとお話ししたいと思ってたの」

 メイが澄んだ薄茶色の瞳を細めて屈託ない笑みを浮かべると、少女――ステラは「よかった」と表情を和らげた。彼女は、人間界でできたかけがえのない友人だ。
 二人は自然と長椅子に隣り合って座ると、思い出話を始めた。


*☼*―――――二話以降リンク―――――*☼*

(序章)

(第1章)

(第2章)

(第3章)

(第4章)

(第5章)

(終章)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?