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「タイの超富裕層と出逢う」

 2016年の春、熊本県を震源とする大きな地震が発生し、私達の宿も大きな被害を受ける。この年は私にとって人生最大の試練だった。客室や露天風呂といった設備的な被害は何とか最小限で収まったと思っていた矢先、地震発生から一週間程経ったその日、温泉宿の命である「泉源」が止まった。

 *外国人宿泊客による怒号

 2016年4月16日未明の地震で、宿は建物の崩壊やけが人もなく何とかその日の朝を迎える事が出来たが、厨房は悲惨で食器や調理器具が至る所に散乱し、とても朝食を出せる状態ではなかった。お客様にその旨を連絡し、料理長の起点で敷地内の広場に臨時食事処を仮設し、使える調理器具をスタッフで担いで運び出し大鍋でご飯を炊き魚を焼く。女性スタッフも加勢して卵焼きやお味噌汁を造り振舞う。お客様はまだ寒さと余震の恐怖で朝食どころではないと言った表情だったが、炊き立てご飯のおにぎりでもてなした結果少しずつ落ち着いた様に見えた。電車も止まり高速道路も封鎖され、陸の孤島となったが、宿の総点検と復旧作業がある為、帰る手段のないお客様には申し訳なかったがチェックアウトして頂いた。
「朝食を外で食わされた。聞いていた内容と違う朝食だった。」とこの場に及んで文句を言う外国人客と若干モメたが、「状況からしてまともな食事など出せない。」と伝えてお帰り頂いた。何とも彼等には我々が自分の家や子供を後回しして夜中から出てきて安全の確保をしたり、寒さをしのぐ為に従業員の車にまで暖房をきかせてお休み頂いたり、総出で造った即席朝食御膳への感謝や同情は持っていないのかと悲しい思いをした記憶がある。日本人の方々にはお礼と労いの言葉を頂戴し、健闘を祈りますと握手まで交わしてくれたと言うのに。
 

 その日の夕方、電車も止まり街中はタクシーなど1台も無くなった。陸の孤島に取り残された外国人が「泊めて欲しい。食事も温泉も要らない。」と殺到する。全て、丁重にお断りした。今度は「血も涙もないのか!」と我々に突っかかるのだが、自業自得だとしか言いようがない。

 *GW前の悲劇

 目に見える設備(屋根や室内備品、湯船の割れ等)は突貫で復旧し、地震当日こそ宿泊は不可能でその日のお客様はお断りさせて頂いた。と言っても先方からキャンセル依頼が来た。既に被災地扱いだった。迫りくるGWに向け何とか通常営業させるべく片付けや総点検に明け暮れていた矢先の4月26日、温泉宿の命である「泉源」が突然止まる。
 

 その年のGW期間、延べ400人前後のお客様をお招きする予定だった。「この人達にどうやってお伝えしようか?」と思い悩むばかりで、デスクに暫く座ったまま頭と体が動かない。個人的にお電話で予約して下さった方、ネットからの方、エージェントからの方、海外のエージェントから来られる予定の外国人。半年前から楽しみにしておられた方もいらっしゃる。「地震の被害は抑え、何とか受入可能になったのに。」と愕然とするばかり。
 

 具体的な対処対応は割愛しますが、殆どの方々は代替え施設への移動や、ご返金で何とかご納得して頂けたが、一組6名様グループだけはどうしても来られると言う。聞けば「日本を旅しています。温泉は楽しみだったが他の旅館の温泉を借りれば良い。食事もどこか紹介して下さい。我々は泊れればそれでいいんです」と。事情を察して我々には負担を掛けずに最小限のサービスで良いと言うのだ。本当に来て頂いて良いのか悩むのだが、結論として2泊お泊り頂く事となった。北海道から南下する旅で、2週間程度の旅の途中でどうしても九州大分と鹿児島は行ってみたいと、とても熱心にお話して頂き、その熱意とお言葉から伝わる風格品格で安心して受入を決めた。
 

 泉源は地震による地殻変動で、温泉が湧きあがる管が地下数百メートルの位置で折損し、供給が遮断されたのが原因だった。それを受け、企業生命を掛けて営業停止を決め、半年間の温泉掘削工事となる。

 *手のかからない客

 一組6名様グループが来られた。福岡ナンバーのタクシー2台でご到着。「福岡空港から大分までタクシーで?」と聞くと「そうだよ!あなたがミスター〇〇?宜しくね!」とあっさり。富裕層対応は慣れていたが、「空港~大宰府~別府~阿蘇~湯布院」これオールタクシーチャーター×2台。ドライバーもさぞかし喜んだであろう。6名様だったので男女各1名のお部屋を3部屋ご用意し、別途皆さんでの談話用のお部屋をもう一つ用意した。   

 「明朝から掘削業者が出入りし、朝から騒がしくご迷惑をお掛けします。」とご説明すると「イヤイヤ私たちは朝から山登りや散策で忙しく、部屋には殆どいないよ。」と言うので、「それでは登山口までお送りさせて下さい。ワゴン車が御座いますのでワタシがお送りします。」朝8時に部屋を出て、夕方まで帰って来なかった。夜、内線が鳴り「どこか美味しいお肉料理のお店はありますか?」「わかりました。地元の豊後牛をお出しするお店があります。お席を確保致します。」こちらもお送りしようとしてお部屋前までワゴン車を横付けすると「あなたも一緒に行こうよ!」

 勿論甘えさせて頂いた。
 

 実は彼らはタイからのお客様。近所のご夫婦3組で年に一度海外旅行を毎年されているとのこと。タイ人は牛肉をあまり召し上がらないとは聞いていたが、彼らは食べるし何より「日本食通」だった。
 

 2日後、お帰りの際に改めてお礼と感謝の気持ちをお伝えし、皆さんと写真まで撮らせて頂いた。これから鹿児島~沖縄で旅行が終わるらしく、私も旅で出会った日本人として彼らのiPadに収められた。代表のPさんから握手を求められ名刺を交換する。「〇〇MOTORS CEO P〇〇・・」〇部には日本の一番大きな自動車会社名が書かれていたが、販売店でも経営されておられるのか?とあまり深追いせず名刺ケースに仕舞い込んだ。

 一週間後、お礼のメールを送るとお返事には無事帰国と記されていた。追記として「タイにお越しの際には是非ともゴルフを楽しみましょう!」とも書かれていた。

 *ミスタープレジデント

 半年間の掘削工事を経て無事に温泉も噴き出し、安定操業と共に私はこの頃タイを知ってしまいタイに恋をした時期。ふと、Pさんを思い出しメールを送る事にした。「〇月〇日~タイに行きます。ご一緒出来ませんか?」と。直ぐにお返事が来て「では〇日、〇〇カントリークラブに9:00で予約する。タクシーを向かわせるのでホテル名と参加者人数を」と。車の手配は自分でも出来ると言うのだがホテルで待ってろとの事なので甘える事にする。それより例えタイだとしても、当日のメンバーの名前は事前に言わなければいけない。しかしPさんは「人数だけで良い。」と言う。何かおかしい。
 

 こちらからの参加者は私を含め4名で皆さんお宿の経営者。ゴルフ歴もタイ歴も長く、当日でもゴルフの予約をご自身で行える方ばかりで「大丈夫かいな?そのPさんて人」と不安視され、皆さん「小汚いゴルフ場なら引き返す」と言う。恐る恐るホテルでお迎えタクシーを待っていたらフロントから「お迎えが来られておりますのでフロントへ」の一報。全員でフロントに行くとゴージャスなロットゥー?登場。タイでよく見る白いあのロットゥーではなく、ほぼ小型観光バス!ドライバーはワイシャツとスラックスで革靴。ガイド的な女性が助手席に。しかも日本語ペラペラ。乗り込むと先ずガイドが我々に冷たいおしぼりを渡しドリンクを注ぐ。ラウンジの様な内装で思わず靴を脱ぎダラ~っとくつろいでしまう。

レガシー

 ゴルフ場に到着。誰でも知ってる名前のゴルフ場だった。ガイドの案内でエントリーもせずいきなりロッカールーム。出発時に車内で全員の名前をチェックしたので、恐らくLINEでゴルフ場に送っていたのだろう。軽くお茶をしてコースに出る。まだPさんは来ない。キャディが挨拶に来て「今日は本当にPさんと回るの?」と尋ねるので、「そうだけどまだ来ないね。」と言うと、なんと「ここがPさんのお家です!」その言葉に全員が目を合わす。もう一発ガイドが一言「ここがPさんのお家の(一つ)です。」あっぱれである。暫くしてPさん登場。久しぶりの再会で熱い抱擁。気が付けば支配人も直立不動で立っていた。ガイドに改めてPさんの事業と役職を訪ねると、日本の一番大きな自動車会社の元現地最高責任者であり、その他日系企業をタイに招致したり、政府と民間との間で重要なお仕事をされています。
 

 タイにおける富裕層の凄さを表す凄い数値がある。富裕層上位1%の資産が、国全体の資産に占める割合が何と70%を超える。ほんの一握りの人だけで国の資産の70%を所有している。(日本は同18%)

 ゴルフ終了後「敷地内」のPさんのご自宅の「一つ」にお邪魔させて頂いた。迎賓館の様な佇まいで大きな玄関扉を開けるとラマ王朝歴代国王の壁画が飾られ、祭壇には手入れされた花が綺麗に生けられている。メイドさんが4人いて食事も出して頂いた。Pさんは決して偉そうに上座に座ってメイドさんに指示するのではなく、ご自身でお酒を注いで回っている。その姿を見ているメイドさんも優しい笑顔で時折冗談も言う。このもてなしは富裕から来る余裕なのか、持って生まれた優しさなのかはわからない。

 私がタイで何時も感じるのは、「笑顔と微笑み」と言うタイ最大にして最高の資産を、タイ国民はみな平等に所有しているという事実だ。


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