シロウト目線を忘れたらオワリ
命=時間の大部分を使ってやっている仕事。
その仕事が果たして誰かの心を動かしたり、助けたりしているのだろうかと、少しばかり考えてみるのはとても有意義なことではないだろうか。
「経済」の語源は「世を治め、民を救う」ということである。すなわち、人々のためにならないことは、経済の理念に反する。
果たして自分の仕事が本当に人々のためになっているのだろうか。
私が大学卒業後、建築専門学校に通っていた時の事。
私は大学文系から、建築の世界に飛び込んだ。もちろん建築なんてわからないドシロウトであった。とにかくたくさんの建築を観て勉強した。
すると、困ったことに観れども観れども感動する建築に出会わないのだ。半分絶望しかけ、専門学校の先生に相談した。
すると「それは、まだ建築のことを知らないから、良さがわからないんだよ」と言われたのだ。
私は、先生のおっしゃったことが全くもって理解できなかった。
確か、少し反論したような記憶がある。若気の至りであった。
しかし、そもそも建築とは、建築の専門的なことなどなにも知らない、言わば素人の人々のためにある。自己満足のものを作っても意味がない。
品格の漂うマダムの「あらステキ!」というセリフが一番の褒め言葉なのだ。
建築学者の「これは建築学的に素晴らしい」というような分析は一般の人々は全くもって理解できないし、意味がない。
民を救うことにならないからだ。
それに前者の評価の方が後者より100倍の価値がある。
これはどんな仕事にも当てはまると思う。
「シロウト目線」を決して忘れてはいけないのである。
私は、建築を勉強し始めたあの時のまっさらな目を忘れたら終わりだと思っている。これからも建築なんて知らない人々の目線を一番大切にしていきたいと思う。
仕事は、目の前のお客様はもちろん、日本中、はたまた世界中の人々にも通用する強度を持つべきだ。狭いところで自己満足に陥ってはいけない。
客観的な視点と、気高い理想を持つべきだ。
かけがえのない命の時間を燃やすのだから。
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