地球建築家vol.9 堀部安嗣 Ⅱ
動かない
堀部安嗣の建築は雨が降ろうが風が吹こうが動かない。ただそこに在る。
外観は愛想がない。歩み寄ってくることはない。媚びへつらうことなど一切ない。
しかし、使う人をやさしく包みこむ確かな居場所がある。
「高貴にして寛容」
堀部安嗣が自らの理想の建築を語る時によく用いる言葉だ。昔のギリシャでは、この言葉を理想としてものをつくり生活をしていたそうだ。
堀部はこの言葉に出会った時、それまで自分が求めていた建築の理想像と重ね合わせることができ、それまでよりも一層その理想像をはっきりとイメージできるようになったという。
堀部の建築は端正なフォルムをしている。外観は寸分の隙もなく緊張感が漂う。
しかし、内部はそんな硬さをまったく感じさせない。誠に寛容で、人間を優しく包み込む豊かな空間が広がっている。
(写真はインターネットより引用)
写真は「青葉台の家」である。
まさに、高貴にして寛容という言葉がしっくりくる。
高貴な品格が漂っているが、寛容でしっかりとした人間の居場所がある。
奇をてらっているところなどない。
ほとんどの人は「普通の家ですね」というだろう。
では設計できるかといったらまず無理だ。堀部安嗣にしかつくれない。
建築雑誌はとにかく奇抜で新しいものが好きだ。そうでないと雑誌の売り上げが上がらないからだ。しかしそれは「新しそうに見えるもの」と表現した方が正確だ。そう見えるだけで実は新しくもなんともないことがほとんどなのである。
そんな俗世間のちょこまかとした波風は百も承知という感じで、堀部安嗣は自らの建築哲学を変えない。しつこいくらいに変えない。私が学生時代に初めて知った時から今まで、本当に変わっていないのだ。
この激動の時代において「変わらないこと」は決して容易なことではない。時代に合わせてコロコロと変えた方がどれだけ生きやすいだろうか。
私は社会人になって思うようにいかないとき、その変わらなさにいつも励まされていた。心から安心していた。
それはまるで精神安定剤のようだった。
堀部安嗣はいちばん大切なことを、すでに確信するに至っているのであろう。その確信があるからこそ自らの哲学を変えないのだ。
そしてその哲学は、これからも変わるはずもなく、その深さを増していくばかりである。
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