【短編小説】クラフトされる世界

「ここは敵として恐竜が出現するエリアです。白亜紀の生活を体験することが可能です」
「ハクアキ……。恐竜がいた時代、ってことですか?」
「大雑把に言うと1億年前ですな」
「1億年前……その頃って人間はいたんでしたっけ?」
「些細な問題です。『オールクラフト』の世界では、不可能が可能になり、過去も未来も現在となるのですから」
 立派な口ひげを生やした係員は、丈一にそう説明した。丈一は曖昧に笑ってうなずいた。結局、白亜紀に人間がいたのかどうかには答えてもらえなかったが、係員が先に立って歩きはじめてしまったので、彼は慌ててあとを追う。
 
 広い広い平原だった。遠くに、ゾウの何倍もありそうな巨体の恐竜が、群れをなしてのしのし歩いているのが見える。やけに首が細長く、一方で胴と脚は太い。不思議な体格――子どもの頃に解説動画か何かで見たことがあるような気もしたが……名前までは覚えていない。
「あそこに見えるのは草食恐竜ですが、当然、肉食恐竜も生息しています。リアルな白亜紀の生態系ですよ」
「肉食もいるんですか。新居を構えるにはちょっと怖いですね」
「たとえ死んでもリスポーンできますが……たしかに、なるべく死にたくないと思うのも自然ですな」
「他のエリアはどんな感じなんですか?」
「ではご案内いたしましょう」
 
 係員が手元の端末を操作すると、恐竜のいる草原の風景は無数の泡となって消えた。丈一と係員が立っているのは、今では真っ白くて何もない空間であり……次の瞬間には、どこかの鄙びた村に変わっていた。
 広い畑と、木製の家々。モウモウという牛の鳴き声がどこからか聞こえている。農具を担いだ男があぜ道を行き交っているほか……剣を帯び鎧をまとった男や、曲がりくねった大きなステッキを手にした女なども歩いていた。
 
「ここはいわゆるJRPGの世界です。科学は進んでいませんが、代わりに魔法が存在します」
「RPG……剣と魔法の世界ってことですか?」
「ええ。だから当然、モンスターが出現します。スライムとか、ドラゴンとかね」
「恐竜よりも怖そうですけど」
「まあ、見方によってはそうですな。ただ、白亜紀と違って敵に対抗する手段も豊富です。魔法やさまざまなスキルを習得することが可能ですから。もちろん練習は必要ですが」
 係員は当たり前のように言った。丈一は顔をしかめた。バーチャル世界に来てまで、命の危険に晒されたくはない。
 
 現実世界では、丈一はもう何か月も家から出ていなかった。彼のように痩せてひ弱そうな男は、外に数歩出ただけで強盗に遭ってしまうだろう。日本において安全は金でしか買えないが、その金が丈一にはないのである。
 今や、彼がバーチャル世界から現実世界に戻るのは、家に届いた栄養食を開封し、機械にセットするときのみ。カプセルに入ってバーチャル世界に精神を投影している間は、食事も排泄も自動で行える。
 言うまでもなく、食事というのはタダ同然で手に入る賞味期限切れの激安合成栄養食である。それ自体は無味無臭でとても食事とは呼べないものだが……バーチャル世界で何かを食べるタイミングに合わせて体に注入されるので、実際にはいろいろな味を楽しむことができる。
 
 RPG世界にはどのような食べ物があるのか――スライムやドラゴンというのは食べられるのか――少しだけ興味があったが、丈一の中で、好奇心を生存本能が上回った。
「おびえてビクビク過ごすのは嫌ですよ。せっかく引っ越すんだから」
「そうですか」
「もう少しのんびりできそうなところはありませんか」
「では古典世界はどうでしょう。出現する敵をかなり弱く設定できますよ」
「古典世界?」
 
 丈一が疑問の声を発したときには、すでに剣士や魔法使いのいる農村風景は泡となって消えていた。代わりに出現したのは、一風変わった森林である。どう変わっているかというと、すべての草木がカクカクしていた。木の幹は直方体だし、葉っぱは緑色の立方体の集合で表現されている。
 そしていつの間にか、丈一と係員の体も三頭身に変わっていた。頭も手足も胴体も、直方体と立方体で構成されていた。
 
「な、なんですか、これは……?」
「古典サンドボックスゲームの世界です」
 係員は冷静に説明した。しゃべっているのに口が動かず、音も聞こえず、言葉はすべて文字として空中に表示されていた。
「『オールクラフト』のもととなったのが、このようなブロックを組み合わせて建築を行うゲームだったのですよ。この木も素材です。試しにとってみましょう」
 係員は直方体の樹木に向かってパンチを繰り出した。何度か繰り返すと、木の幹の一部が壊れて地面に落ちる。それでも木は倒れない。どういう原理なのか、残った幹と葉は空中に浮かんでいた。
「こういう木とか、石とかを積み上げたり、合成したりしながら建物を建てていくわけです。当時の爆発的な流行が、『オールクラフト』開発の契機になったと言われています」
「なるほど、だから古典世界……」
 丈一は、試しに手近な葉っぱにパンチを繰り出してみた。葉っぱはあっさりと枝から離れ、立方体の形を保ったまま地面に落下する。
 
「いかがでしょう。ここで暮らしてみますか?」
「面白いとは思いますけど、ちょっと現実とのギャップが激しくて……」
「たしかに、三頭身の体に慣れるまでは大変かもしれません」
 係員は納得した様子でうなずいた。丈一は四角い頭を動かして自分の体をあらためて眺める。けれども、現実世界での自分の肉体がどんなものだったかあまり覚えていないので、意外と違和感は小さかった。
 
「……ああでも、さっきの世界と比べたら平和に暮らせそうですね」
「ええ、夜にはゾンビや骸骨が現れますが、恐竜と比べると弱いので安心です」
「え」
「ただ、緑色の敵には注意してください。自爆攻撃で建物を破壊してきますから」
 係員は真剣な顔でそう言った。丈一は驚き、辺りを見回す。立方体と直方体で構成された周囲の木々が、この緑であふれた森そのものが、急に得体のしれない怪物の巣窟に見えてくる。
 
「自爆する敵はちょっと……」
「お気に召しませんか。では次のエリアへ行きましょうか」
「ええ、お願いします」
 係員はまた端末を操作した。立方体の森は泡となって消え、丈一と係員の肉体も普通の人間のそれに戻った。
「これからご案内するのは一番人気のエリアです。気に入っていただけると良いのですが」
 係員はニコリと笑った。次の瞬間、丈一は自分が閑静な住宅街に立っているのを発見した。庭とガレージ付きの一戸建てが――大きくも小さくもない二階建ての家々が――いくつもいくつも建ち並んでいる。足元のアスファルトには「スクールゾーン」という文字が大きく書かれていた。
 
「ここが一番人気のエリア……」
「ええ。中流家庭エリアです」
 係員は家々の間の道をゆっくりと歩き出した。丈一もそれに従う。どこからか子どもの騒ぐ声が聞こえてくる……と思ったら、ランドセルを背負った小学生たちが、彼ら2人を走って追い越していった。
 
「このエリアでは庭付き一戸建てに住むことができます。ローンは35年。家族構成は自由ですが、夫婦と息子、娘の4人暮らしが一般的です。寝室は親子で一緒となります。春日部に住んでいる例の親子の暮らしをイメージしていただければよいでしょう」
「自分以外の家族はどこから?」
「AIが自動生成します。キャラメイクもできるので、細かいところはお好みで」
 係員が端末を操作すると、サンプルの立体映像が空中に投影された。赤ん坊を抱いた母親とそれに寄り添う父親、小学生と中学生の兄妹とその両親、双子用のベビーカーを押す若い男女、などなど。他にも家族団欒や休日のドライブの様子、そしてスーツを着てオフィスで働く男性の姿が順番に映し出されていた。
 
「このように、どんな組み合わせでも可能です」
「……たしかに、現実ではとても手が届かない暮らしですね」
「ええ、このような夢物語でも『オールクラフト』内では実現できるのです」
 係員は自信満々にそう言った。丈一は目の前に投影された立体映像をしばし眺める。正社員。家族。車。持ち家。現実では決して手に入らないものがすべて揃っている。日本人の理想とも呼べそうな、幸せな暮らし。
 丈一は、ここをバーチャル世界での自身の居住空間に決めた。
 
「……新居はここにします」
「お気に召したようで何よりです。では契約ののち、ご自身で住居のパラメータを設定してもらうとともに、就職先を選んでいただきましょう」
「自由に選んでもいいんですか?」
「もちろん。プレイヤーは正社員として働き、仮想通貨を得ることができます。家族を支えるためにも、バリバリ働いてくださいね」
「分かりました」
 うなずくと、丈一は係員から端末を受け取り、指でサインした。
 
 現実世界でも、バーチャル世界と同様に時間が進む。そろそろ合成栄養食がポストに届く時間だったが……回収は後回しにすることにした。今しばらくは、この非現実的幸福世界に浸っていたかったから。家を持ち、車を持ち、仕事を持ち、家族を持つ――そんな甘い夢物語に浸っていたかったから。