香山の33「カーネル・パニックⅦ」(51)
もはやごまかしようのない証拠を見られ、隠匿していた犯行を自白した私を前に明は語りはじめた。
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俺が、お前の気がおかしくなったと思ったのは、確か柴田隼人と対談をする前だった……お前はあのときも、俺達の仕事の根本的な問題とやらに悩んでいたんだ。俺にとっては他人の命へ敬いなんぞどうでもいい。むしろ蔑ろに扱ったり、人の優位に立ったりすることが楽しいと思うタイプの……そうさな、いわゆる狂人だったから、お前の葛藤を横目に、哀れなやつだと笑う程度だった。ここまで言えばおおまかに俺がお前のことをどう評価していたかは分かるだろう。月並みに言えばお前は俺にとって、数ある道具の一つ以上の何ものでもなかった。役に立たなくなれば代替品で置き換えるつもりだった。
しかし、そんな俺の認識が打ち砕かれる非常の出来事があった。何の必然性もなくある日を境にお前は様子がおかしくなったんだ。話していてもやたらといらいらして、痙攣し、叫びながらガードレールを蹴ったり、支離滅裂な電話をかけてきたり。どうやら、人と意思疎通しようにもうまくいかず、人の怒りが理解できないとかを言い出したのもあのときだった。しかもお前は世間と自分との齟齬を一寸も認識していないときた。
そしてお前はいつものように無茶苦茶な電話をかけてきて、しまいにこう言ったんだよ。……
『なあ、明、俺は人を傷つけるのが楽しいよ』
笑ったよ! とうとう正気の人間を狂気が支配し、しかもその瞬間に立ち会えたと思ったからね。俺にとって、そうやって人がこける瞬間の証人になることは、とてつもない人生最大の娯楽だったのさ。だから今まで幾度となくそんな一連を観察してきたし、機会があれば自らすすんで引き起こしてきた。しかし、今回ばかりは自分の上司の発狂ときた! そして、俺はあそこまでの口調で狂気を見せつける輩を見たことがなかった。人生で初めて、自分を上回る狂気を手にした男を見たと思い、俺は感服してお前に従おうと思ったんだ。自分の口調を、肉体の全てを狂気に任せて演出する様を俺は見たことがなかったからね。そんな男を目の前に一体俺はどうやって仕事をしていくのか、楽しみですらあったのさ。さあ、明日から俺はどんな仕事を引き受けるのだろう? わくわくしては、面倒なことでなければいいが、といった程度に俺は楽観していたのさ。
そんなことを考えて、俺はお前からの電話を待っていたんだ。誰だって、自分にとんでもないことが訪れるなんて思わない。自分を待ち受ける不幸は思いたくないからね。そうだろう?
何日待てばいいのか、と気が遠くなる思いだった。だが、富士山は道があれだけ険しいからこそ山頂からの景色を誰もが絶景だと言うらしいね。その通説を思い出して俺は絶景を見るために辛抱して待ち続けることにしたんだ。しかし、待てども待てどもお前は電話をくれなかった。もはや何の意味もなさないあの支離滅裂な電話だけだっていいから、とにかくお前の存在を感じたい、と思いはじめたよ。それほどまでにあのときの俺はお前に魅了されていたのだ。
どんなにいい肉体の女とセックスをしようと、喋るビニール人形ぐらいにしか感じることがなかったのに。
すると、あれはおよそ半年がたったころのことだったかしら。iPhoneの画面を確認すれば、お前からの着信履歴が表示されているではないか。俺は、何時狂気を纏う仕事が来ても、肉体の強弱が原因で失敗するなんてことがないように、ジムで鍛錬にがむしゃらになっていて、気づかなかったんだ。―思えば、あれほど俺が真面目に物事に取り組んだことなど後にも先にもあの登山道の上だけだった!―まあ、こいつはとんでもない失態をやらかした、と悔しんだ。
俺の想像を凌駕するように気の狂ったお前のことさ。癇癪を起こしてどんな行動に出るか分からない。俺を殺すかもしれない。もしかしたら、俺を見放して他の業者に仕事を与え、俺に屈辱を与えようとしているかもしれなかった。俺は見捨てられていやしないかと、媚びるような気持ちでお前に電話を折り返したよ。そこで持ち掛けられた話が、あの対談だった。俺はついぞ聞いたこともない仕事を持ちかけてきたお前に驚き、たいそうな期待を抱いた。なぜなら電話での喋り口、お前はしじゅう異常だったからだ。お前はあのとき確実に何か企てていたんだ。
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