明のエンディング「海」

 目の前には、椅子に縛り付けられた二つの死体があった。中崎と、薬物売買で生計を立てる女だった。二人とも顔をナイフで切り刻んで、身元は分からないようにしてあった。本来なら、顔に傷をつける真似はしない。依頼主に対象を殺したことを示すことができないからだ。
 爪をはがされた二人は錯乱を経て、香山に薬物を売りつけ、投与していたことを白状した。その時点で激昂した私は、衝迫に任せて彼らを殺したのだ。
 冷静になってみれば、彼らが本当のことを言っているかどうかは疑わしい。まだ香山当人に確認を取っていないのである。
 しかし、私が今までこのように、一種の義憤に駆られて人を殺したことがあっただろうか。香山が薬物依存になろうが、それは私が彼と関係を絶てばいいだけの話だった。それができなかった私は、今こうして彼らを惨殺して、佇んでいた。自分のことがここまで理解できないとは、何事か。
 
 後日私は、ハチロクの中で香山が薬物依存になっていることを知り、自分のやったことは間違っていなかったことを確信したが、そのときもう一つのことを悟った。
『友人を弄んだ二人を許せなかった』
 かつて人のことを平等に見下していた私が、香山に特別な価値を置きはじめたのだ。すなわち、私は社会性を身に着けはじめていたし、今後、自分の病気が快方へ向かうのではないか、とも考えられた。成熟した精神は、社会奉仕を望むこともあり得る。私はそのとき、人を殺すことができなくなるのかもしれない。
 ……まあ、二人で喫茶店でも営めばいいさ。どうやら利益は中々出ない商いらしいが、金には不自由していない。

 図書館へ赴いて本を読むことにした。自動ドアが開くと、もうそこは都会の喧騒を殺し始めている。ロビーからぼそぼそと声が聞こえるが、それももう一つの自動ドアをくぐれば全くしなくなる。自分の靴音がきまり悪く響いた。
 今日は背広だったが、髪の毛はすべて下ろしてしまっていた。前髪が長いので、目にかかるのが目を傷めた。手で払って、少し早歩きになった。
 ずらっと並んだ本棚の横には一対になるように机といすが横に設置されている。目的の棚へと進むと、横目に本棚が消えていく。
 とにかく自分に足りないものは知識であった。平生より音楽は好まないし、この空間のもつ静けさは心地よく思えた。窓からまっすぐな光が侵入して、外の天気を知らせた。
 机の上には先ほど購入した煙草の箱が置いてある。よどんだ視界が求めたものは、煙草だった。
 香山を一人家に残したことが、唯一の気がかりだった。

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