香山の28「カーネル・パニックⅡ」(46)

「その様子だと、当ては外れていないらしいね。人はハイになると、神経が昂り、はたまた現実と妄想の区別がつかなくなる。大体の人間は根っからの狂人でないから、狂気の取扱説明書を持っていないんだ。悪いことは言わない。今すぐに持っている薬を捨てて、絶つんだ。請負殺人のブローカーに言うのも実に奇妙だが、真人間を目指して生きたまえ」
 的外れな見当をきいて、私は自分の危機感を感じ取られていないことを悟った。彼はこういう性格で生まれてきた人間であるらしい。自分と相手の関係に優位性が見いだせれば、それを契機に舌がよく回るようになり、あることないことを話し出すのだ。しかし、彼が饒舌になってくれたおかげで、自分が先に感じた違和感が何たるかを突き止めた。それは自分に考える時間と、言葉の切れ端を与えてくれた。私は真に言おうとしていたことを受け入れ難い事柄だとして胸にしまい込み、遠回しに伝えようとしていたのだ。
 私自身がその事柄を悟ったときにどうなったのか。浮かんだのは、パソコンを開いては閉じ、開いては閉じ、喫煙で悪心を催し、布団にくるまって必死に世界の掟から逃れる術を求める、振り返れば滑稽な姿だった。
 だが、そう、一時とはいえ怖ろし気な虚脱に包まれたのだった。それほどまでに私達にとっては大事件であった。いわば地球事変である。神が死ぬ時点までの自分が、神の思うままに行動することを強いられていたということは、次の事実を認めることと同義である。即ち、同時点までに為された決断の根拠となる意思がすべて、それが自由意志であったと願うが故の仮構の代物だということを認めねばならぬことになる。体重を預けていた幹には血が通っていなかった。枝の上の鳥も贋作だった。
 私は一旦彼のペースに合わせるために彼の言うことに耳を傾けることにした。放置しておくだけで気ままに話す彼の性格はむしろ操作がしやすいのかもしれない。
「お前のような人間は、自分が穢れていると感じてそれを許すことができないタイプだね。お前の脳の構造は社会的体裁ではなく、いわゆるスーパー・エゴの存在が占める部分が大変に大きいと俺は踏んでいる」
 彼は、まだ私を薬物に溺していると決めつけて話を続けていた。このまま彼の話を聞いて、機会を待っていてもらちが明かないので、私は話を遮ることにした。
「いいや、違う。俺は分かった。俺は薬物中毒など患っていはいない。俺はすっかり分かったんだ。どこから話そうか。……俺達が殺した作家を覚えているか」
「作家、だけではどうもね。もう少し冗長性を備えた情報をくれるかい」
「柴田隼人だ、『白い楓』の作者だ」
 彼はその名前をきいて即座に、とはいかなかったが、思い出したらしい。そして、私が抱えていた違和感の根源とも言える単語をずばり抜粋し、指摘した。
「俺達が彼を殺してしまったから、この世界、つまりお前の言う『現実』にほころびが生まれ始めた」
「あいつは、そこまで大きな存在だったのかい」
 明が声の調子を下げて言った。私は、これからどう説明しようかと考えながら、明の迷いを打ちそうと口を開いた。
「当たり前さ」
 ゆっくりと言い、言葉に一種の同情のような気持ちを込めた。果たして彼に理解させることに意味があるとは考えにくいが、どうだろうか。いいやとにかく、一人でも理解者が多ければ、私の苦悩が軽減されることは間違いない。世の中にはだからこそ、被害者の会なるものが存在する。自分が一人で苦しんでいるのではない、と認識することは、その苦痛を和らげることにつながるのだ。
 私は認めたくない事実を告げるように、(私はすでに認めていることだが、明にとってそれはまだ未開の地だからだ)次の言葉を言った。
「彼は……この世界を作った存在なんだ」

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