香山の19 「ここでキスして。Ⅳ」 (37)

「冥土産の、冥土の土産よ。自分の身を守るためにそのコルトガバメントがあるんでしょうに。このまま苦痛に耐えられると思って? 悔い改めても無駄だからね。人を殺して利潤を創出して、そんな人間に幸せになる権利はないわ。もうあなたは限界よ。早く死んだ方が無難だわ、そうね、あなたの言葉を借りれば、『合理的』よ。思い出して、あなたが見た死は、美しい観念のはずよ……」
 彼女は私の左側に座っているはずなのに、右耳にも同様の声量で声が聞こえる感覚が、私の意識を現実から離れた場所へと吹き飛ばしていった。サンシェードを上げて、彼女は消滅した。
 風俗店の女の声が切り取られ、文脈を失って現れた。
「あんたなんか、死ねばいいとよ」
 私は一人ぼっちになり、助手席には、置いた覚えのない私の拳銃だけが残っていた。銃口がこちらに向き、何かを私に訴えていた。ここまでして自分の中に自死を望む声が響いても私は敢えて反対の意思をもっていた。抗うというよりは頑固な考えだった。
 このまま、私は命を絶つわけにはいかない。
『何かあれば、遠慮せずに電話してくださいね』
 中崎の声だった。もはや機械的に動いていたが、私はそのくせ震えながら彼に電話をかけようとしていた。やはり私は死ぬべきではないのだ。しかし、この一連を彼にどう説明したものか。死霊を見た、と伝えて、彼はそれでも私に手を貸すのか。中崎は電話に出なかった。絶望を感じながら、コール音が繰り返されるのをきくばかりだった。
 すると明がお宮を連れてくるのが見えて、私は慌ててスマートフォンを捨てて窓を開けた。虚ろに受け答えをしたが、私には聞き取ることができなかった。
 私はお宮に拳銃を突き付け、彼の動きを封じていた。
「なあ、逃がしてはくれないか」
 お宮がかすれた声で言った。私の目を見つめていた。車の中は何も音楽が流れない。私達の呼吸の音だけがあった。私は首を横に振った。
「どうしてだ、もうあんたたちの怖さは分かった、頼むよ、もう何も企んではいない。お願いだよ、後生だから」
 癇癪を起した私は彼を拳銃の底で殴ろうとしてためらい、足で蹴った。五回蹴ったところで彼が悲鳴を上げた。
 私は涙をこらえていた。そのまま彼に銃口を向け、明が帰るのを待つことにした。私は、彼を拳銃で殴りつけることができなかった。彼の痛みを想像してしまったのだ。自分の内面世界に彼の感覚を想像で取り込んでしまった。

 力ない歩き方で明が戻ってきた。ふらふらと、わずかに道をそれながら、それでもしっかりこちらへと歩んでいるあたり、完全に意識が遠のいているわけではない。遠目から観察すると彼のシャツには血痕があった。そして、目は座り、どこを見るでもなくきょろきょろとしていた。私は窓から顔を出して言った。
「どうしたんだ」
 心配する私をよそに明は何も答えなかった。黙ったまま後部座席に座り、お宮の首に血のついたナイフをあてがっていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?