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【小説】つまらない◯◯◯◯ 63

 自分の中の本当に流されてしまう。本当のことならいくつものあるのに、今自分の身体を包み込んでいる本当だけしか感じられなくなっていく。俺と聡美ではうまくいかないのも、きっとどうしようもない本当のことなのだ。ふたりのあいだでそういうことになっていないだけで、うまくいきようがないすれ違いがすでにお互いのあいだにちらほら見え隠れしている。けれど、そういう、まだあからさまになっていない本当のことが霞んでしまうくらい、聡美とこうしているのがはっきりと気持ちよくて、そして、俺はすでにはっきりと聡美を好きだなと思っている。流されていればいいんだろうか。どんなに聡美を傷付けても、言い訳なら、本当だったからと言ってしまえばそれですんでしまう。本当なのだから、そうしていればいいのかもしれない。
 もしも、聡美が斜め前の席から俺が妄想していたとおりの聡美で、身体の相性もこのままだったとしたなら、このセックスもこんな程度ではなかったのだろうなと思う。俺の想像していた聡美は、幸せになるのを再優先する人ではなかった。もし、幸せを欲しがらない聡美だったなら、俺は逆に、その聡美とずっと一緒にいられるためにはどうしたらいいんだろうかと考え始めていたのかもしれない。それだったら、何の問題もなかったのかもしれない。
 そんなことは考えても仕方のないことなのだろう。けれど、昔の話を聞いていると、聡美はほんのちょっとした選択の違いで、俺が妄想していたよりもっと俺が好きになってしまうような聡美になっていたはずだったのだ。
 聡美は小学生の頃、神童扱いされていたらしい。勉強していたわけではなく何でもすぐにわかったと言っていたから、IQが高いという感じだったのだろう。けれど、せっかく神童で、家からは遠いけれど地域では一番の進学校に行こうかという話もあったのに、なんとなく近場の学校に行ってしまった。そして、そこからは勉強しないままでずっときてしまった。ピアノをずっとやっていて、指導してくれていた人からは音大を受験するという選択肢も勧められたけれど、それも選ばずに、勉強しなかったなりに行けるような地方の遊ぶために行くような大学に行って、ずっとバイトをしながら遊んで過ごして就職活動にも苦労した。そして、就職してからも苦労した。どこかで別の選択をして、自分の優秀さを確かめながら訓練して、自分の優秀さを確かめられるような進路を選んで自信を蓄えていっていたなら、そして、性的に不幸な出来事に遭遇しなくて、そして、まともな男と付き合ってきてセックスも好きになっていたのなら、三十過ぎ時点の聡美はどんなふうだったんだろうかと思う。今でも充分傲慢なところはあるけれど、もっと傲慢で、自分の能力を振りまわしながら乱暴に生きているような人になっていたのかもしれない。それでいて、外面的には今のような感じで、気楽で素直な人だったら、俺にとっては本当に理想的な感じだったんだろうなと思う。
 もちろん、そんなふうに何もかも順調に進んでいたのなら、聡美は今俺がいる会社にいなかったのだろうし、俺と出会ったとしても、男は間に合っていて、俺なんか相手にもしてくれなかっただろうと思う。けれど、そこまでじゃなくても、もう少しでも勉強する巡り合わせが聡美にあったならよかったのになとは思ってしまう。聡美自身も、勉強しながら、もっとたくさんの選択肢から自分の行きたい道を選んでいけるようなコースもあったのに、そっちを選ばなかったのはもったいなかったと思っているのだと思う。聡美はむしろバリバリ働きたいようなタイプだし、根性はあるというか、苦労はいとわないほうなのだ。けれど、その他大勢として与えられる仕事をこなすのではなく、どんどん仕事を作り出していくみたいにしてバリバリ働くには、仕事をしながら、その仕事について何かを知ったり、見つけ出したり、それをデザインやストーリーに変換して他人に伝えたりということも必要になってくる。聡美だったら、ある程度勉強を頑張っていれば、それだけでそういう働き方が当たり前のようにできるようになっていたのだと思う。
 今の時点でも、聡美は特別な社員なのだと思う。人格的な影響力というか、職場の雰囲気に楽しさや前向きさを作り出して貢献している面では、社内で圧倒的に聡美が一番なのだと感じてきた。仕事のでき具合としても、腰が軽くて積極的に新しいことをやろうとするのから、他の人より知っていることやわかることが増えていきやすいという感じで、充分に仕事はできる方なのだろう。けれど、聡美は自分なりに頑張る人という感じで、ちゃんとやるとか、がむしゃらにやるとか、そこ止まりという感じで、どうしても特別仕事ができるというわけではなかった。平均よりできているけれど、自分の知っていることや自分のわかることをベースに仕事をしている感じで、けれど、自分の作業をこなすだけでなく、会社にとってより価値のある仕事をしていくということを目指していくのなら、そこで必要なのは、どういうふうにやればいいのかというハウツーの問題だけではないのだ。いつも未知のことがあって、いつも見落としがあって、自分の能力の足りていなさがある。自分のできることができるだけでは足りなくて、自分に足りていないものも含めて仕事をしないと、できることしかできないままになってしまう。
 聡美だって、それなりに長くピアノやら他のことを真剣にやっていたりで、そういうハウツーだけではない深みへの理解が大事で、深みを理解したうえでそれを自分の身体で実現していくのにたくさんの訓練が必要なこともわかっているのだろう。けれど、会社に入って仕事をし始めると、ピアノのように教師がつきっきりで自分のやっていることを見ていてくれて、その先をどうすればいいのか指示してくれるわけではない。聡美の場合は、ポテンシャルではなくそこが問題だったのだろう。だから、受験や資格の勉強ということではないけれど、勉強にある程度打ち込んでみる時期があったらよかったのになと思うのだ。自分がわかっていないことを確認して、手に入れられそうな情報を集めて、そうやって知ったことと自分の経験を組み合わせて、今までできなかったことをできるようになるまで、試行錯誤を繰り返していくような、そういう取り組み方が身についていたのなら、自分がそれをわかるかわからないかということが巡り合わせに委ねられてしまうのではなく、もっといつでも自信を持って自分なりのやりかたで自分の好きな道を歩いてこれたのだろう。
 聡美が博識だったらよかったということではないのだ。いつでも周囲の何かしらを感じ取って学んでいこうと思いながら、自分のやっていることや、他人がやっていることにいろいろ思いながら過ごしてきたのなら、聡美だったらもっと何でも思うようにやれる人になっていたのだろうと思うのだ。そうしたら、充実したければ何にでも充実できるなら、うまくやれていれば満足で、楽しいことをしていられればそれで満足というだけではない感じ方の人になったかもしれない。今の聡美は、できることができるだけというだけでやってきたから、好きなものが好きなだけになっているところもあるんじゃないかとも思う。自分がやろうとしたことをできるようになるためにあれこれ感じようとしてきたのなら、好き嫌いではない感じ方がもっと身についていたんだろうなと思う。そして、そんな聡美だったとしたら、もっと俺がどういう人なのかということに興味を持ってくれたのだろうし、もっと話がしっかりと噛み合ったんだろうなと思ってしまう。
 自分でも最低だなと思う。そんな思い方で他人に物足りなさを感じるなんて、ひどい話だと思う。そういう人生だったのだ。自分の人生が自分のポテンシャルのわりには上出来なくらいに思って、聡美のポテンシャルが俺とは比べものにならないものだったからといって、勉強する習慣が身につかなかった人に、そういう習慣が身についてくれていたらよかったのになんていうのは、ただただ間違った思い方なのだと思う。
 けれど、そういう思いどおりの人生を歩めた場合の聡美を見てみたかったなと思ってしまう。自分の能力に気を大きくしている聡美も好きになってみたかったなと思う。聡美の人生の、思ったとおりにはいかなかった流れの元になった出来事や、聡美を苦しめた嫌な出来事が、何一つ起こらなかったならよかったのになと思ってしまうのだ。
 結局、うまくいかないのだろうと思ってしまうのは、聡美が俺と一緒にいるには傷付きすぎているからなのだ。そして、それも最低な思い方なのだろう。聡美と好き合えるようになれたという巡り合わせの重みが、自分の感じ方を変えようと思えるほどのものに感じられていないということなのだ。うれしそうな顔で相手を見詰めながらそんなふうに思っているなんて、ひどい裏切りなのだろう。


(続き)


(全話リンク)


この作品よりあとに書いたものなので、こちらのほうが面白いです

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