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【小説】つまらない◯◯◯◯ 35

 俺のことにしてもそうなのだろうけれど、聡美はある程度誰のことでも好きになれてしまうのだろう。そして、好きになったあとは、その人にできるかぎりのことをして、それを相手が喜んでくれることで、自分にできることをやれている感じがして、それに満足してしまっていたのかもしれない。いろいろしてあげたいという気持ちが強いせいで、一方的に相手を愛せてしまうところがあって、噛み合っていなかったり、相手の優しさが自分本位なものでしかないことに気が付いたりしても、それをスルーできてしまったところはあったのだろうし、好きになるべきではなかった人とも、好きになれたのだからと、その気持ちを大切にしようとして、ずるずると関係が続いていって、そのせいで全体として報われなかったという気持ちが残るような恋愛を繰り返すことになったというのもあったのだろう。
 情が深いということなんだろうか。そういう女の人がいるから、どうしようもなく自分勝手な男でも相手がいたりするのだろう。女の人のほうでも、自分勝手に振りまわしてくる男ではなく、適正な距離を取りながら自分に意見を求めてくれてそれに一生懸命応えてくれる男だと、かえって退屈で居心地が悪かったりする人もいるのだと思う。そういう人は、本人の自覚のあるなしは別にしても、本人が好き好んで自分勝手だったり暴力をふるうような男を選んでいるのだろうし、不倫だからって好きなのだから仕方がないと、悲劇のヒロインぶった感情に身を委ねているのだろう。
 けれど、聡美はそういうパターンはもうやめようと思ったのだ。だから、自分からいくのはやめようと決めて、ずっと好きになってくれる人を待っていた。きっと何人も寄ってきた男はいたのだろう。その中にあまりろくなやつがいなかったということなのかもしれない。聡美がいいかなと思えるくらいのまともなやつが、ひとりでも近付きさえすればよかっただけなのに、どうしてそうならなかったのだろうと思う。
 聡美は不自然な望みを持っているわけではないのだ。俺のように、楽しく一緒にいられたとしても、いつもどおり楽しいだけでは物足りないという男ばかりでもないだろう。実際は物足りなかったとしても、そもそも女の人と一緒にいて自分が物足りないところなく楽しく過ごせるなんて思っていない男も多いのだと思う。俺が今まで延々と喋っていられる人としか付き合ったことがないだけで、女の人は何を言っているかわからないものだと思いながら、それでも付き合っていて充分楽しかったという男のほうがむしろ多いのだろうと思う。どんな話であってもふたりで楽しく話し続けているようなカップルもいるけれど、お互いに関することは話しても、それぞれの生活の細かい話や趣味嗜好についての話は、聞いてあげるだけで興味を持とうともしていなかったりするカップルも多いのだろう。何を考えているのかはわからないけれど、そばにいて見守っているし、何かあれば自分にできるやり方で支えてあげる。恋人や旦那がいる人の話を聞いていても、映画や本やテレビで描かれる夫婦を見ていても、だいたいはそんなものだったりする。相手の中に踏み込めない領域はあって、そこには踏み込めないなと思いながら、黙っていたり、ただ見守って頷いて、自分はあなたの味方だということを示して、そこまでだったりする。それが普通で、それで充分なのだ。お互い仕事がそれなりに忙しいのだし、一緒に楽しくやっていくには、趣味や相手の生活へ関心を持ち合って、どちらにとっても楽しく喋っていられる必要すらないのだろう。ふたりのことをふたりで決めていくことと、あとは世話の焼き合いとセックスでつながっていれば充分なのだ。聡美はよく喋るし、嫌な喋り方をするわけでもない。適当に出かければ、わあわあと楽しくやれる。俺とは音楽とか食べ物を一緒に楽しめるし、仕事の細かい話までできてしまうけれど、そこまで話が合わなくてもいいくらいなのだと思う。
 聡美が欲しがっているのと同じような幸せを欲しいと思っている男の人で、聡美を好きになれる人がたくさんいるはずなのになと思う。聡美が世話を焼いてくれるのを素直に喜んでくれて、聡美が幸せにしてくれるのにどっぷりと幸せそうに浸ってくれる男がたくさんいるはずなのだ。それなのに、どうしてそういう男ではないのに、俺でいいと思ったのだろう。
 次はこうしようというのを考えてそのとおりにしたはずなのに、その条件が甘すぎたということなのだろう。自分が好きになった人でなく、自分を好きになってくれた人の中から自分も好きになれる人を選ぶということは、ちゃんと決めたとおりにやった。けれど、聡美が「うちに来る?」と聞くまで、俺は好きだとも言っていなかったのだ。たしかに俺は聡美を好きだった。けれど、好きだから恋人になりたいと思っていたわけでもなく、お互いその気があるならセックスしてみたいなという思い方だった。だから、聡美にそんな気があるように見えなくて、ただ漫然とお喋りする以外に何もしようとしなかったのだ。俺のそういう態度に、聡美はむしろ、この人は身体目当てじゃなくて、ちゃんと私がどういう人かということで好きなろうとしてくれていると思っていたのかもしれない。たしかに俺は体目当てというわけではなったし、聡美の人柄を好きになっていった。けれど、付き合いたいと思っていたわけでもないし、もしも許されるなら聡美と幸せな生活を一緒に送れるようになりたいと思っていたわけでもないのだ。幸せにしてあげたいために男を選ぼうとしていたのなら、自分が欲しい幸せと同じような幸せを欲しがっている人なのかどうかくらいは、ちゃんと確認するべきだったのだろうと思ってしまう。
 けれど、それを言うのなら、俺のほうだってそうなのだろう。昨日付き合っていると言われたときも、そんなこと考えていなかったなと思ったけれど、聡美が三十三歳の女の人だということも、俺はまったく考えていなかったのだ。聡美と仲良くなれたとして、それから自分がどうしたいのかということを、ちっとも考えていなかった。聡美は俺が近付いてもいい人なのかということを確かめようともしていなかった。ただ好きだなと思っているだけで、この人が三十三歳の女の人として、どういう感じなのかを想像しようとしていなかった。世間一般で言われるような、三十女といえばというような観点で聡美のことを考えたことすらなかった。聡美が結婚したいと考えているかもしれなくて、付き合うとしたらそういうことが延長線上にないと嫌だなと思っているかもしれないとか、そういうことを一度も考えていなかった。
 俺が自分の三十三歳という年齢を普段まったく意識していないというのもあるのかもしれない。年齢というものに対して鈍感過ぎるのだろう。年齢なりに、その年では何がどれくらいどうなっているべきだとか、そういうことを自分に当てはめて考えることを今までほとんどしてこなかった。だから相手の年齢についても何も考えようとしないのだろう。自分をいつも宙ぶらりんに思っているから、他人のこともなんとなく同じように思っていて、誰に対しても、そういう話でもしないかぎり、この人はそういう年齢でそういうことを考えていて当たり前なのだということを意識することがなかった。
 聡美の前の人と付き合うまで、俺は自分の未来の生活と恋人とを結びつけて考えたりする人と付き合ったことがなかった。それ以前に、会社勤めをして自分の生活を自分でやりくりしている女の人と付き合ったことがなかった。それより前の二十代の頃にしても、恋人との安心で幸せな生活を欲しがっている人と付き合ったことがなかった。だから、聡美の前の人と付き合ったときに、今が楽しければいいための対象ではないものとして自分が見られていることに驚いた。自分はそれまで付き合う相手をそういうふうに見たことがなかった。そして、相手からそう思われているうえで一緒に過ごしてみたけれど、結局はそのギャップが埋まらないまま、相手の気持ちに応えられないからと別れてしまったのだ。
 このままだと、聡美の前に付き合った人と同じことになってしまうのだろう。すでに俺は同じことをしてしまっている。自分が何も苦しみがないからと、三十歳を過ぎてもひとりでいる女の人の苦しみをまったく感じ取ろうとしていないまま相手に近付いて、それに気が付いたときには、すでに相手から好きになられてしまっているのだ。
 付き合ってみることはできるのだろう。楽しくやれるのだろうとも思う。前の人とも楽しくやっていたのだ。お互いをもっと好きになって、とても大切な存在だと思い合えるようになるのだろう。けれど、それは俺がやめようと言うまでのあいだなのだ。このままこの物足りなさを感じたまま時間が過ぎていくのは嫌だなと俺が思ってしまえば、そこで関係は終わってしまうのだ。



(続き)


(全話リンク)


この作品よりあとに書いたものなので、こちらのほうが面白いです

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