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【小説】つまらない◯◯◯◯ 18

 聡美がまた俺の隣に座ってくる。ちらっと俺を見て、もう少し近くに座り直してくる。
 風呂あがりの匂いが漂ってくる。聡美の匂いという感じではなかった。聡美は体臭が薄いみたいで、かなり近付いてもあまり匂いを感じ取ることができない。
「昨日の夜からずっと一緒だね」
 聡美がそう言って、俺は「うん」と答えた。
「また明日終わったら仕事だね」
「そうだね」
「ずっと一緒にいたから、明日帰ったら寂しいな」
「んー、多分、二次会とか三次会もあるだろうから、けっこう遅いと思うんだよね」
「ううん。全然。明日楽しんできて」
「そうね。早めに終わったらあれだけど」
「ううん。充分一緒にいてもらったから」
「仕事は? 早く終るときあったら、平日でも、俺が行ってもいいなら、行けるし」
「ほんと? でも遠いじゃん」
「そんなでもないよ。一時間くらいでこれたじゃん」
「うん。でも、また週末一緒にいれたら、それでいいけど」
「来週はどうする? どこか行きたいところとかある?」
「え」
「まぁ、またモグラ生活でもいいけど」
「どこか行きたいな」
 聡美はあまりどういうふうにでもなく、ぼそっとそう言った。
「うん、どこでも」
 聡美は黙っていた。俺は聡美を見ながら「なんかある?」と聞いた。
「うーん、探してみる」
 そう言って、聡美はゆるく笑みを作った。
 俺は視線を外してタバコを吸い込み、灰皿にもみ消した。
「うれしい」
 顔を上げると、聡美はじんわりとした感じでにこやかな顔をしていた。
「そういうことがしたかった」
 聡美はそう言って、俺は視線をやりながら、肺に残っていた煙を聡美のいないほうに吐いた。
「そういうの、できなかったから」
「そういうのって?」
「夜に会って、泊まって、朝に帰っていく人だったから。そういうのばっかりで」
「うん」
「休みの日に、出かけたりして、一日一緒に過ごせるのがうれしい」
 俺は黙って聡美を見ていた。
「本当はそういうことがしたかった」
「そっか」
「してあげたいことを、させてもらえなかったから。いろいろ、そういうのだけじゃなくて、ただ一緒にいたり、ご飯作ったりとか、いろいろ」
 聡美は俺を見て微笑んだ。
「してあげるね」
 聡美はそう言って、微笑んだまま俺を見詰めていた。
 俺は「うん」と答えながら、いいのかなと思った。してあげるね、と言われても、してほしいことなんてないのになと思う。
 聡美が俺を見ていて、なんとなく、タバコを口に運びながら視線を外した。
 聡美は俺に何をしてあげるつもりなのだろう。一緒にいて、俺のために何か世話を焼いてくれるということなんだろうか。料理したり、掃除したり、他にもいろいろあるのかもしれない。
 俺も昔、夜に会って飲んでうちに泊まって、次の日起きてしばらくで帰っていく人がいた。暇な週末の夜に会ったり、平日の終電過ぎから酔った状態でタクシーでやってきて、セックスして寝て、起きてそのまま俺の部屋から会社に行っていた。ただ、俺には彼女がいたし、その人にも旦那がいた。しばらくしてその人は離婚したけれど、また彼氏ができても、俺とたまに会ってセックスしていて、その頃には俺も彼女が変わっていた。何年もそういう関係が続いていたけれど、ずっと会って喋ってセックスするだけで、それ以外に何をすることもなかった。夜に駅前で落ち合って飲んでから家に行ったり、次の日が休みなら、一緒に昼飯を食いに駅前を歩いて、食べながら少し飲んだりしてから別れたり、向こうの部屋に行っていたら、起きるとご飯を作ってくれていたりすることがあったりだとか、それくらいだったし、それで充分だった。
 聡美にしても、セックスフレンドなのか不倫なのか二股なのか知らないけれど、夜に会って朝に帰っていく相手ということでは、同じような感じの付き合いの人がいたのだろう。セックスのために会う関係というのも、それ自体はとてもいいものだったりする。相手のことを気持ちよくセックスしてくれる人とだけ思って接していればいいから、ふたりのあいだを行き交う感情がとてもシンプルで、いい感情だけで時間を過ごしていられる。会ってからセックスするまでは、セックスを楽しみにしながら話していられるし、セックスしてからお別れするまでも、セックスが楽しかったなと思いながら話していられるから、相手の何かが気にかかったりすることもなく平和に時間が過ぎていく。
 もちろん、俺の場合は、お互いにセックスが楽しいだけの無邪気な関係だったからというのはあるのだろう。その人とは、初対面のときに仲良くなる前から俺とセックスしたいと言われて、後日セックスしてみたのが始まりだったし、お互いに人として好きではあっただろうけれど、付き合いたいとか、もっと一緒にいろんなことをしてみたいなんて、思ったこともなかっただろうと思う。聡美の場合は、セックスフレンドになりかったわけでもなく、好きな人に近付いたら、そういう付き合いになってしまったという感じだったのだろう。付き合いとしてはセックスフレンドなのに、その人のことをお互いに好きだけれどあまり会えない人というように思っていたのなら、たしかに辛くなったりもするのだろうなと思う。
 ホテルか、自分の部屋にホテルのようにしか滞在してくれないか、そのどちらかでしか会えってもらえない。会えたとしても、夜に会って、休日の朝に目が覚めて、隣で目を覚ました人はそそくさと帰り支度を始めて、まだこれから休日が始まるという時間帯に部屋にひとりきりになる。金曜の夜に会って、土曜日の朝に部屋からその人が出て行って、週末の始まりをしんとした空気の中に感じていたのだろうか。そして、帰っていった人は、付き合っている恋人と一緒に、遊びに出かけたり、散歩したり、買い物したり、いかにも恋人と過ごすふうな週末を過ごすのだろうと思っている。聡美も友達と用事を入れているけれど、今週は無理だと言っていた友達は週末を彼氏と楽しく過ごしていたりするのだろうなと思ってしまう。好きな人がいるのにその人と週末を過ごせないなんて寂しいなと思うのだろう。自分のまわりの男女の多くが当たり前のように過ごしている恋人との安らかな週末が、どうして自分には与えられないのだろう。もしそれが与えられたなら、どんなことでもしてあげられるのに。面倒くさがったりしないで、手を抜いたりしないで、何でもしてあげたい。いろいろ楽しませて、たくさん喜ばせたい。してあげたいのにさせてもらえないのに比べれば、どんなことでもしてあげられるだけでうれしいことなのに。そういう感じなのかもしれない。

(続き)


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