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【小説】つまらない◯◯◯◯ 19

 けれど、聡美は俺と一緒に何がしたいというのだろう。してあげると言っているけれど、何をしてくれるのだろう。誕生日にお祝いをしてくれたりだとか、クリスマスにデートをするだとか、そういうイベントを一緒に過ごしてくれるのだろうか。恋人と一緒に楽しむような楽しみが、世間にはたくさん用意されているのだろう。いろんなイベントがあって、いろんな観光地があって、店に行けば、家の中を飾ったり料理に凝ったりするための商品がいくらでもあって、ふたりの時間や、ふたりの空間や、ふたりの思い出をいくらでも飾っていくことができるのだろう。
 けれど、俺はいかにも恋人らしい時間の過ごし方というのにあまり興味もないのだ。恋人がいるからといって、一緒に旅行に行きたいとか思うわけでもないし、誕生日を祝い合いたいとか、クリスマスにイルミネーションのきれいな場所でデートしたいとか、そういうイベント的なことも期待していない。自分がしたいことは自分でするし、相手がそれに付き合いたいというのならそれはかまわない。けれど、恋人にやってもらいたいことも、恋人と一緒にしてみたいことも何もなかったりするのだ。聡美に対しても気持ちは同じで、俺としては聡美がしたいことを一緒にしてあげられればそれだけでいい。シチュエーションによって、相手が見せてくれる顔は違っているし、いろんなことを一緒にするのは楽しく思える。ただ、俺としては特別何をしたいというものなかったりするし、してもらいたいことなんてまったく思い浮かばないのだ。炊事、洗濯、掃除とか、普段自分がやっていることにしても、何であれ自分でやればいいことだと思っていたし、それを誰かにやってほしいと思ったこともなかった。実際、今まで付き合っていた人には、何もしなくていいと言っていたし、相手もそれに慣れて、特に何をしようともしなかった。俺の部屋に来たなら、向こうの洗濯物も含めて料理でも何でも全部俺がやって、相手は何もしなかった。俺も相手の部屋に行ったら、たまに食事を作ってあげたりするくらいで、ほとんど何もしなかった。今まで、付き合っている人が俺の部屋に来る場合が圧倒的に多かったし、そうするとほとんど女の人に世話を焼いてもらったという気もしない。せいぜい洗濯物を一緒に干したり、食事のあとに洗い物をやってもらったりというくらいだった。世話を焼いてもらいながらのんびり過ごすなんてことは、今までしたことがなかったし、俺としても、世話を焼いてくれるよりも、そのぶんも俺に話したいことをいろいろ話してくれるなら、そのほうがよかった。会えばあれこれ話すことはいくらでもあるし、話しているだけで楽しかった。
 いつも付き合っていた相手は、俺にとって一番真面目に話を聞いてくれて、一番俺の話を真に受けて聞いてくれて、一番何かにつけて面白がってくれる相手になってくれていたけれど、それだけで俺には充分だった。俺にとっては付き合う相手というのは何よりも話し相手だっただろう。今までそんなふうに付き合っていたから、相手が何かを一緒にしたいというのなら、それを一緒にしてあげたい気持ちはあるけれど、「してあげるね」と言われてもぴんと来ないのだ。
 何かしてもらうのが嫌なわけではないのだ。俺が帰るのが遅いときに、彼女が先に部屋に来てご飯を作ってくれていたりしたことが何度かあったけれど、いつもうれしく感じていた。かといって、自分でするよりも誰かにしてもらったほうがうれしいものだなと思ったこともなかったし、人それぞれ作り方が違っていて面白いなとは思っても、自分で作るよりも作ってもらったご飯のほうが美味しいというような気持ちになったこともなかった。自分が普段世話を焼いてあげているという意識がないのもあるのだろうけれど、俺のために作ってくれた気持ちがうれしいというだけで、世話を焼いてもらえることがうれしかったりしたことはなかった。だから、これから聡美が俺にいろいろと世話を焼こうとするのを想像すると不安になるところもある。そもそも世話を焼いてほしいわけでもないところに、その世話の焼き方が自分の好みに合わなかったりしたときに、相手が善意の押し売りのようにしてそれをやってきたのなら、鬱陶しく感じてしまうのかもしれないとも思う。
 してあげるというから、お好きにどうぞと思って「うん」と答えたけれど、聡美の好きなようにしてくれるともかぎらないのだ。聡美が自分のしたいことではなく、してあげたら俺が喜びそうなことをやってあげようとしてきたなら、俺は喜んであげないといけなくなる。俺はしてもらいたいことなんてないのだから、何でもいいからとにかく聡美の好きにしてくれればいいんだけれどなと思う。聡美がしたいと思うことには、俺だって付き合ってあげたいとは思えるのだ。
 けれど、きっと聡美はいっぱい世話を焼きたいのだろうなと思う。掃除とか洗濯であれば、どれくらい手をかけてどこまできれいにするべきかに考えの違いはあったりするけれど、俺も服が傷みさえしなければ細かい仕上がりの差にたいして興味はないし、掃除もきれいになればそれでよくて、してくれたなら感謝してそれで終わりになるのだろう。けれど、料理はどうなのだろうと思う。しなくはないけれど得意と言えるようなものじゃないとか、そんなふうに言っていた気がするし、やってくれたことをただ感謝しているとか、そういうわけにもいかないのかもしれない。聡美が料理をするのが好きで、聡美の作ったものを一緒に食べながら、できばえや作り方についてああだこうだと喋ったりできるのなら、作ってくれるのもうれしいだろうなとは思う。けれど、特にこだわりもなく、いかにもどこかの時短レシピを見たまんまな感じで作るのなら、わざわざ作ってくれなくてもいいなと思ってしまう。自分にしても、特にそこまでのこだわりがあるわけではないとはいえ、食べてしまえばいろいろと思ってしまう。ひとりで作ってひとりで食べているときでも、誰とも話さないだけで、できたものの塩梅について、もっとどういうふうにしたほうがよかったかなとか、思ったより風味が弱いけどどうしたらいいんだろうかとか、そういうことを探りながら食べていたりする。
 だから、作ってもらったとしても、作ってくれたこと自体には感謝するけれど、特にどういうふうに作りたかったというわけでもなく漫然と作られて、美味しいとだけ言ってほしいのだと、こちらとしても困ってしまうのだ。美味しくても、なんとなく食べ飽きる感じの味だったりしたら、食べ飽きないようにするにはバランスが悪いんじゃないかと言ってしまうのだと思う。味付けに味塩こしょうを使っていたりしたら、俺にしろ、聡美にしろ、味塩こしょうを使ったほうがいいくらい切り詰めないと生活できないような所得ではないのだし、味塩こしょうだとどうしてもこういう味になっちゃうし、塩くらいはまともなのを買ったほうがいいし、胡椒がいるのかどうかを考えてから使ったほうがいいし、胡椒の風味が欲しいなら胡椒も別に買えばいいんじゃないかと言ってしまうのだろう。
 俺がそういうことを言ったときに、聡美はどういう反応をするのだろう。俺としては、ただ思ったことを言っているだけなのだし、俺がそういうふうに感じる人なのだということをわかってくれるだけでいいのだ。俺の言うとおりにしてほしいわけでもないし、俺が言ったことに何か思ったなら、それを返してくれればいい。けれど、せっかく美味しいと思ってもらいたくて自分なりに頑張ったのにと思って不機嫌になられると、こっちとしてもうんざりしてしまうだろうなと思う。
 他人が作ってくれたものに対しては、作ってくれたことに感謝するだけにして、いつも美味しいとかポジティブなことだけ言ってすませておくのが穏当だったりするのだろう。料理すること自体には興味がないけれど、作って食べさせてあげることはしてあげたいという人に対して、バランスがどうのこうのと言っても、相手はそういうつもりで作っていないのだから、言うだけ無駄な場合も多かったりするのだと思う。けれど、俺としては、ただ料理を作るという役割を果たしてくれたことに感謝するだけではなく、その人がそういうふうに作ったことに、何かしら反応してあげたいなと思うし、むしろそうしないといけないんじゃないかと思っている。だから、作ってあげたかったから作ってあげたみたいに作られたなら、こっちとしてはいろいろ思っても何も言えなくて、それはちょっとしんどいのかなと思ってしまうのだ。
 それは、職場でも感じることだったりする。仕事には何も興味はないけれど、決められたことを自分なりに頑張ってこなして、他の人にちゃんとやっているのを認められたいというくらいにしか思っていない人と仕事をするのは、俺にとってはいつも少しうんざりすることだった。そういう人とは、具体的な仕事の話をしていても、相手が仕事ではなく職場の話しかしてくれないから、どうしたところで話が噛み合わないのだ。そして、こちらが相手の作業してくれたものについてあれこれ思ったとしても、それを言っても細かいことにケチをつけられたというふうにしか思ってもらえないんだろうなと思って、できるかぎり嫌な顔をされないように最低限しか言わないようになっていく。そういう言いたいことも言えない窮屈な感じが、俺はいつも嫌だった。
 食べ物のことにしても同じことで、俺としては、ただ俺が食べるのが好きなだけで、食べるのが好きな人なりに思うことがあるから、一緒にいる人にはそれを受け取ってほしいというだけのことなのだ。文句をつけたいわけではないし、こういう方向性の美味しさしか認めないというような態度はとったりしないつもりだし、むしろ、美味しくないものを食べていても、こういう美味しくなさもあるんだな、何のせいで美味しくなくなっているんだろうかと、興味を持って食べている。ただいろいろ思うというだけなのだ。
 それぞれ違った価値観で違った生活をしてきたのだし、お互いの価値観や感じ方の違いを楽しんでいればいいはずだろう。ケチをつけられたくないとか、ケチをつけていると思われたくないとか、そういうくだらない気持ちのために黙ったり、我慢したりしているのはバカバカしいことなのだ。思ったことを言ってくれればよくて、言ってくれたことを面白いなと思えたらうれしい。俺が思っているのはそれだけなのだ。
 今までの付き合ってきた人たちは、俺のそういうところに慣れてくれた。食べ物のことでなくても、俺がああだこうだ言っているのは、自分を責めていたりバカにしているわけではないことをだんだんわかってくれた。けれど、みんながみんな、ずけずけ言われて最初は嫌だったと言っていた。自分でも嫌な気持ちにさせてしまったし、もっとましな言い方があったんだろうなとは思う。けれど、付き合った人たちとは、どの人ともだんだんと何でも話せるような関係になっていった。俺の機嫌を取ろうとする必要がないことも、自分の機嫌をとってくれないけれど、その代わり、何を言っても嫌なふうに思われないということも、だんだんわかっていってくれた。それはよかったことなのだと思っているし、聡美とも、そういうところは、これからそういうふうになれたらなと思っている。
 聡美がグラスに手を伸ばして、ゆっくりと少しだけビールを飲んだ。冷蔵庫に残っていたスコットランドの缶ビールだった。あまり高くない中では、かなり美味しいIPAだけれど、聡美も一口飲んで美味しいと言っていた。
 何週間か前に、聡美は友達に誘われて新しくできたビール工場に見学に行って楽しかったという話をしていた。少なくても、ビールについては問題ないのだろうなと思う。というより、お店で食べるのだって大丈夫だし、誰かが作ってくれたものを一緒に楽しむということは大丈夫なのだろう。
 他人がやってくれたものを楽しむのと、自分が何かをするというのとで、価値判断の基準がまったく違っていたりする人がいるけれど、聡美はどうなんだろうなと思う。できないなりに頑張ってやったからといって、頑張りだけを認めてほしくて、いいところにだけ反応して、よくなかったところは黙っておいてほしいというような人だとしんどいなと思う。そんなだったら、何もしてくれなくていいと思ってしまう。聡美としてはいろいろしたいのだろうけれど、俺としては、お喋りとデートとセックスが楽しければ、それだけで相手と一緒にいることに充分満足できるのだ。


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