見出し画像

目が合うとそのまま見詰め合ったままになってくれるタイプの女の人とのセックスの特別さ

目が合うとそのまま見詰め合ったままになってくれるタイプの女の人とのセックスの特別さというのがある。

目を閉じがちにセックスして、そんなに目の中を見詰めてくれる瞬間もないまま終わる人とも、どっしりとした一体感のあるセックスをできたことは何度もあったし、目を見てくれないと嫌だということではないのだ。

セックス中に相手をあまり見ないのも、相手が見てくるからとずっと見返したままにするのも、その人の癖とか、相手に合わせてやっていることで、その人にとってはどっちでもいいことだったりしている場合も多いのだと思う。

それでも、10分でも20分でも見詰め合ったままになってくれている人たちとのセックスというのは、そういうわけでもない人たちのセックスとは、それなりにセックスしている感が違っていたりするのだ。

目が合うとそのまま見詰め合ったままになってくれる人が、何度もセックスした人たちの中で何人かいたけれど、もちろん、そのひとりひとりで、見詰め合っているときの感覚は微妙に違っていた。

とはいえ、それでも、ずっと見詰め合って、ずっと目の中の動きを見られたままで、相手に対してどんな表情を向けているのかをずっと確かめられ続けて、相手の表情へのこっちの気持ちの反応もずっと全部見られていることによる、日常ではありえないくらいの気持ちの隠せていなさと、ずっと気持ちを感じ合い続けていることによる相手とのゼロ距離感で強迫されているような一体感というのは、自分の気分をいつものセックスとは違う状態に運んでくれていた。

俺が経験した中では、ずっと見詰め合ってくれていた人たちは、はっきりと男女対等な感じでがつがつと求め合うようなセックスをしてくれる人たちと、自分はどういうセックスをしたいというのは特にないとでも言うように、完全にこちら任せにしたうえで、俺がどうセックスしてくれるのかをじっと感じ続けている人たちとに、はっきり別れていた。

対等な感じでがつがつお互いの体を求め合えるのが最高なのは当然だけれど、こっち任せにだらんとされながらセックスされたとしても、こっちがすることをずっと見詰め合いながらじっと感じ続けてくれているのも、いつも本当に最高だったなと思う。

そういうひとたちは、自分から動こうとしないだけでなく、気持ちよくなることにも集中していないまま、漫然と気持ちよくなってくれているのだけれど、だんだんと高まっていってくれるというのも、いつもとてもいい気分で、相手は完全にマグロだったりするのに、いつも充実感を強く得られるセックスになっていた。

それはどういう充実感だったんだろうなと思う。

特に、社内恋愛というか、同僚になってずいぶん経ってから、二人で飲むようになって、何度もふたりきりでのんだけれど、いまいちそんな雰囲気になってこないからと、俺がいつまでも告白的なことをしないままにいていたら、終電を逃したときに、「もういいからうちにこよ」と言われて、セックスすることになって、セックスしたら付き合っていることになっていた彼女とは、お互いのことを知りすぎているし、そこまでにお互いにもやもやしたものがありすぎたのか、最初のセックスから、お互いの気持ちがあまりにも引きつけられあっているような、初めてからこんなセックスができてしまうなんてどういうことなんだろうというような気持ちになれるセックスになっていた。

そういう引きつけ合う感覚は、やっぱりその彼女(聡美さん)だからこうなるものなんだろうなという気がした。

俺はセックス中とかその前後は、いつも相手の顔を見ていたから、どの人ともちょくちょく目が合ってはいたけれど、目が合ってじわっとお互いの気持ちが流れ込む感じがしても、数秒でなんとなく視線が流れていくことがほとんどだった。

同じように俺を見詰めてくれているようでも、人によって目が合ってからの視線のやり取りの進み方はずいぶん違っていた。

お互いに強い好意があれば、見詰め合っているだけで、引きつけ合うようになっていくというわけではないのだ。

もっと単純に、お互いの目の奥が、見詰め合いながらずっと動き続けていたからそうなっていったということなのだろうと思う。

相手の目の中が静止画のようにして自分への好意や喜びを示してくれていたときには、それを見ながらいろいろ感じられるとしても、ずっとはそれを見続けてはいられない。

静止画ではなく映画のように動き続けているから、一時間、二時間と、ずっとそれを見ながら、特に何を考えるわけでもなくそれに浸っていられるのだろう。

実際、聡美は、一緒に少しにやりとできるように、わざといかにも気持ちいいような表情をしてきたりもするけれど、そういう表情のキャッチボールをしているとき以外は、はっきりとどういう表情だといえるような表情は浮かべていなかった。

俺に対してどう思っているというメッセージではなく、俺と見詰め合っていてどういう気分で、俺にかわいいと言われたり、身体で身体にいろんなことをされるたびに、それによってどんな気分にさせられたのかというのをずっと顔に浮かべてくれていた。

そんなふうに、自分の気持ちをメッセージのようにした視線を相手に向けているのではなく、相手の目がこちらの目の中を探ってくれていて、そこで感じたもので目の奥を揺らし続けているから、その揺れているものに目を奪われ続けることになっていたのだろう。

気持ちを視線に込めて相手に伝えるなら、伝わって終わりになってしまうけれど、自分が感じていて相手も感じてくれていると、お互いに相手が感じ終わるのを待つようにしながら、いつまでもやめどきがないまま見詰め合い続けることになる。

そして、セックスでは、今どんな気持ちかということをお互いに感じ合っている状態が、動き続ける腰のせいでいつまでも続くことになって、それが引き付けあっているような感覚になっていくのだろう。

そして、そんなふうに相手のすべての動きをずっと感じ続けたままになっていると、ふいに自分が相手のありのままをそのまま感じられているような気分になってくることがあった。

相手の声や肌がどんなふうなのかが、普段よりもはるかにくっきりと感じられて、相手が何か反応するたびに、表情や仕草がそんなふうであることに気持ちを動かされるようになってくる。

目の中に引きつけられることで相手を感じすぎていて、その感じすぎている状態が続くことで自分の中が空っぽになって、それによって空っぽの中に相手の感触がそのまま流れ込むようになるのだろう。

そういう状態に入り込めたとき、俺はいつも、自分が普段どれほど目の前にあるものをちゃんと感じられていないのかと驚いていたのだと思う。

好きな人の顔ですら、そんなふうに自分のことを見てくれていたんだなと、その人の自分への本当のところを気付かされたような気持ちになってしまうのだ。

日々一番向かい合っているはずの相手ですらそうなのだから、本当に何もかもまともに感じられていないのだろう。

目の前の相手をそのまま感じられているような感覚というのは、ただ目が合っているだけでそうなっていけるようなものではないのだと思う。

目が合った瞬間に何かを感じたことでそうなっているのではなく、目を合わせて、感じ続けている状態になることで、感じ取れ方が変わっていくことで、いつの間にかそうなっていることなのだと思う。

そうした意識の変化が、あのセックスしている感が違うものになっていく、その土台のようなものになっていたのだろう。


(続き)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?