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【小説】つまらない◯◯◯◯ 32

 聡美の手が頬に触れてきて、鼻のほうに動いてきた。なんとなく鼻に触れられたくない感じがして、聡美の手を避けるようにして閉じた股の上に鼻先を押しあてた。大きく息を吸い込むと、「何してるの」と言って、聡美が両手で髪を優しく撫でてくる。また深く吸い込んで、吸い込んだものの匂いを感じようとする。けれど、服の匂いしか感じられなかった。もう一度吸い込んで息を止めて、頭をまわしてまたテレビに顔を向けた。ゆっくりと吸い込んだ息を吐いたけれど、やはり何も感じなかった。
 服越しでなくても、直接舌を差し込んでいるときでも、聡美の性器はほとんど匂いがしない。単純に体質の問題なのだろうけれど、もしかするとできるかぎり自分の身体から女の臭いを消そうと念入りに洗っているのかもしれない。
 実際に聡美がどうしているのは別にしても、自分の体臭とは別に、自分の男の臭いとか自分の女の臭いを区別して、それをどうこうしようというようなことがあるのだとしたら、なんとなく不気味だなと思ってしまう。俺は自分の体臭すらまともに気にしたこともない。足と股間くらいはしっかり洗うようにしているけれど、それ以上は気にもならない。男なんてたいていそうなのだろう。男の人は臭いがきつい、自分ではわかってないだろうけれど、あなただってしっかり匂いがある、と昔付き合っていた女の人が言っていた。自分は臭いが強いほうではないらしいけれど、女の人からすれば、男の臭いというだけで充分に臭っていることになるのだろう。男は無遠慮に自分の身体から臭いをまき散らし、女は自分の身体が女くさく臭うのを周到に隠そうとしながら、そんな大勢の男女が、相手の臭いが自分の臭いと混ざり合うまでは、お互いの臭いを蔑んだり、自分の欲望を掻き立てる材料にしながら、無言のうちにすれ違い続けている。世界をそういうものに思うこともできるのだろう。
 俺は匂いに想像力を喚起させられることが少ないから、他人の匂いが自分を包んでも、ただ漫然とその匂いを感じているだけだったりする。満員電車で身体を押し付け合っている男の匂いや、すれ違うときやエレベーターに残っていた女の人の匂いを感じながら、こんな匂いの人なんだなと思っているだけだった。その匂いから何かを想像したりもしないし、臭いものは臭いと思っていたけれど、あまり好きな匂いも嫌いな匂いもなかった。
 けれど、匂いだけではなく、何だってそうなのだろう。俺には想像力がなさすぎて、世界をどういうふうなものに感じているわけでもないような気がする。それは、俺の中にはたいして憎しみが蓄えられていないからというのもあるのだろうと思う。誰かに自分の邪魔をされたり、望まない場所に追いやられた記憶が一つもないし、実際ほとんどなかったのだろう。そんなふうでは誰を憎めるわけもないのだ。何かを悪だと想像する動機も、何かを善だと想像する動機もなくて、だから、何かを前にしていてもぼんやりとそれを見ているだけで、何も想像しようとしないのだろう。ただ、醜いなという嫌悪感と、他人に傷付けられ壊れてしまっている人たちが醜く顔を歪めて生きていることへの憐れみや、自分の機嫌を調整するために他人に暴力をふるう自分に開き直っている人たちへの敵意と、みんなそれが自分の仕事だからと不正義や不誠実が延々と繰り返される、そういうしがらみのあまりの強大さにうんざりしてしまうとか、そんなくらいの感情が浮き沈みするだけだった。けれど、そういう感じ方にしたって、ありきたりなものなのだろう。特に憎しみを向けたい相手のいない、他人と少し距離を広めに取りながら生きている人間が日常の中で絶え間なく感じているものというだけなのだろう。被害者にはならなかった人間から被害者同士がせっせと傷付け合っている光景を見た場合の日々の感想というだけなのだ。
 どうしたところで、俺にとって世界はどういうものというわけでもないのだろう。けれど、それも当たり前なのだ。俺は世界からどんな仕打ちも受けていないのだ。いろいろあるんだなという以外の感想を持てるような、自分に何があったと思うほどのことは何も起こっていないし、女の人たちのように他人からの暴力でひどく傷付けられる経験もなかったのだ。
 俺はたいした苦労もない日々を送ってきた。普通にしているだけでそれなりに楽しいことがあったし、いつも近くに自分を面白がってくれる人がいた。努力もたいてい報われてきた。それなりに打ち込んでやっていれば周囲は褒めてくれるし、誰かと一緒に仕事をしていれば、その相手が自分を信頼してくれて、俺のことを多少は特別に思ってくれるようになったりもしていた。自分の無力さにうんざりすることは多かったけれど、無力さに悩んだりもしなかった。何かをやればやったぶんだけ消耗するというだけで、何かをすればそれは何かになるし、かといって自分の思いどおりになるわけではないというだけだった。そして、女ではないから、日常的に暴力的な視線を受けることもなかった。男としても、不潔なわけでも気持ち悪がられる容貌なわけでもなかったし、自分が何かまずいことをしないかぎり、嫌なことが勝手にやってくることはなかった。自分を曲解してくる人を遠ざけていてもたいして差し障りがなかったし、自分を攻撃してくる人もいなかった。誰かに言いがかりのように突っかかられた記憶もないし、軽く扱われることもほとんどなかった。俺をバカにしている人も、表立ってはバカにしてこなかった。苦痛が少ないことは、俺にとって当たり前のことでしかないのだ。はっきりと傷付けられてきた人とは感じ方が違ってしまって当然なのだろう。
 聡美に今までどんな嫌なことがあったのか、俺はまだほとんどを知らないのだろう。不倫で付き合っていた男は、優しいときは優しいけれど、それ以外はめちゃくちゃというよくあるパターンだったのだろうけれど、少し話を聞いている感じでも、いかにもろくでもなさそうな感じだった。もっと幼いころに変態に付きまとわれたとか、親族におかしい人がいたとか、そんなことも言っていたけれど、具体的には何も聞いていないし、まだ話していないだけで、それ以外にもいろいろあるのだろう。
 もちろん、ろくでもない男にも近付いたり、近付かれたりしてしまう女の人というのも、さほど珍しいものでもないのだろう。ろくでもない男に近付かれて嫌な思いをした経験だって、多くの女の人にあるものだろう。聡美にあった不幸が、そういうよくあるくらいの不幸なのか、よくある以上の不幸だったのかはわからない。不幸すぎたということすら、女の人にはよくあることなのだろう。けれど、どうであれ、聡美にとって聡美は不幸すぎたのだ。
 聡美は自分のことを不幸だと思っているのだろうなと思う。話を少し聞いているにも、嫌なことがたくさんあった人なんだなと思う。聡美が自分のことを不幸だと俺に訴えたのなら、俺はそれに同意するのだと思う。そして、聡美は不幸でなくなりたいと今俺に訴えているのだ。
 聡美にとっては、幸せとは不幸ではないということなのだろう。幸せにしてあげるなんて、幸せはこういうもんだとわかりきったように喋っているのにしても、自分を不幸せだと思っているから、そうじゃない状態になれたらそれが幸せだと単純に考えているからなのだろう。傷付けられてきたから、傷付かずにすめばそれが幸せなのだ。不安がないとか、脅かされていないとか、寂しくないとか、自分の居場所があるとか、そういうことが聡美の言う幸せなのだろう。
 幸せにしてあげると言われるから意味がわからなくなってしまうけれど、聡美が幸せになりたいのだ。俺を幸せにしてあげることで、自分も幸せになれるということなのだろう。一緒にいて、いろいろしてあげて、何でもしてあげて、誰よりも幸せにしてあげる。幸せにしてあげることは、幸せにしてあげていることで、幸せにしてあげられていれば寂しさを感じることはない。そして、一緒にいてくれない人は幸せにしてあげられない。幸せにしてあげられる人がいたら寂しくない。そういうことなのだろう。そして、俺を幸せにするためにできるかぎりのことをしてあげるつもりがあるのだ。してあげたいことはたくさんあるし、してあげたい気持ちもたくさんある。絶対に面倒くさがらないし、絶対に自分のことよりあなたのことを優先し続けられる自信がある。だから、私は私を好きになってくれた人を誰よりも幸せにしてあげられる。そういうことなのだろう。
 幸せとは何かということは、映画でも本でもよくテーマにされていることだけれど、聡美からすればそういう話はただただバカバカしいばかりなのだろうなと思う。不幸じゃなければ幸せなのに、どこの温室育ちが暇にあかせて頭の悪い話をしたがっているんだとしか思えないのだろう。
 けれど、そういう温室育ちの俺にとっては、自分が幸せか不幸かなんて考えるきっかけもないことだったし、無理やり考えるとしても、とりあえずどうしたって俺は今まで幸せにやってこられたのは確かなのだろうとは思うけれど、それ以上はどうにも真面目に考える気になれなかったりする。どれだけ聡美の中で自分が不幸だということが切実な問題だとしても、俺にとっては自分が幸せか不幸かなんていうことはどうでもいいことだった。むしろ、幸せと言われると心が重くなってくる。
 幸せにしてあげると言うけれど、だったら俺は幸せにしてもらう人として幸せにしてもらう準備をして待っていてあげないといけないということだろうか。もちろん、そういう役割のもたれかかり合いで世の中の人間関係の多くが成り立っているのだということはわかっている。けれど、一緒に何かをしたいというのなら喜んでそれに付き合うけれど、自分の役割をちゃんとこなせているという相手の自己満足に付き合わなくてはいけないのなら、それはあまりうれしいことではないなと思ってしまう。
 聡美は疲れきってしまっているんだろうなと思う。元気なら幸せになりたいだなんて思ったりしないはずだろう。けれど、傷付くことに疲れ、寂しさに疲れ、報われないことに疲れ、それでも頑張っていたのだ。肉体的精神的な疲労に対しては、今までがむしゃらに頑張ってうやむやにしてきた。けれど、それは人生に対しての疲労を着々と貯めこんできたということでもあるのだろう。聡美は今から人生の休息期が始まると思っているのかもしれない。もし、疲れたからそろそろ幸せになりたいというようなことなら、幸せといっても、疲れないような場所を確保したいというような意味でしかないのかもしれない。苦痛がないことが目的で、何かがあることが幸せということではないのだろう。何かが欲しいとしても苦痛がない場所が欲しいだけで、その場所で起こる楽しげな出来事なら何でもよかったりするのかもしれない。
 けれど、苦痛がないとか、裏切りがないとか、何かがないだけなら、それは何もないということなんじゃないかと思う。何かがないために一緒にいるのなら、そういう幸せな何もなさの中で俺は何をすればいいんだろうか。俺は何もないための相手が欲しいわけではないのだ。その人のその人らしさを感じていたいと思える人と、お互いの自分らしさを感じ合うために一緒にいたい。けれど、聡美は苦痛を感じないために俺と一緒にいたいのかもしれないし、そうすると、俺はできるかぎり苦痛を感じることがない範囲をはみ出さないように接してあげないといけないのかもしれない。


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