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【小説】つまらない◯◯◯◯ 44

 そのときと今とでは違いすぎるのだ。今は聡美のことがとても好きだし、聡美にくっついていることが気持ちよすぎて、やらせてもらいたがっているふりをする必要もない。あの女の人も、俺としたかったのなら、俺のほうを見ればよかったのにと思う。自分からは何も切り出したくなかったにしろ、目が合って、多少でも俺に向かって目の奥を揺らしてくれたなら、もう少し近付いていろいろしただろうにと思う。
 今だって、やめようと思えばやめられるのだろう。けれど、目が合ったままでは無理だなと思う。こんなふうに視線が絡み合っていると、相手に引っ張られて気持ちが前のめりになってしまって、やめようなんてまったく思ってもいないことを口に出せるような余裕がなくなってしまう。こんなふうにセックスできてしまっているのが、自分にとってあまりにも特別な時間で、頭も身体も温かく痺れてしまって、どうしようもなくなってしまう。
 けれど、この聡美と俺を強くつなぎあわせている引き付け合うものは、だんだんと消費されていってしまうものなのだ。聡美が今くれている、俺をしっかりつかまえてくれている視線は、いつかだらんとゆるんだものになってしまう。
 何回目のセックスなのかはわからないけれど、このまま付き合っていれば、ある日気が付くことになるのだ。いつもどおりな感じで脚を開かせて、腰を押し付けて、覆いかぶさって動き始める。しばらくしてお互いの快感が徐々に高まってきて、そのうちに、なんとなくぼんやりしたものが自分の目の前にかぶさってきて、気持ちが相手にうまく入り込めていけないのを感じて、おかしいなと思う。そして、ぼんやりしているのは相手の目なのだということに気が付く。相手の目がぼんやりとしていて、俺がぼんやりと見られているのだということに気が付く。相手は俺を見てくれているし、反応もしてくれている。けれど、これまでよりも自分が放っておかれているような感じがする。相手は気持ちよさそうにしてくれていて、俺はいつものように刺激を途切れさせないように調整して、セックス自体はそれなりな感じで進んで、そして俺が射精すれば終わりになる。相手は満足そうにしていて、俺は何も言わない。そして、たいして何かを考えるわけでもなく、すぐに眠ってしまう。
 そんなふうにセックスをしたのと前後して、その人はある日思うのだろう。ふと気が付いたら、俺に対してずいぶんとリラックスできている。そして思うのだろう。この人といることが私にとって自然なことになったんだな。最初はどういうふうに接すればいいのかわからなくて困ってばかりだったけれど、いつの間にか、何も不安に思ったりせずに当たり前のように一緒にいられるようになったんだな。そんなふうに思うのだろう。そして、そう思っているとき、その人は幸せを感じているのだと思う。
 この人とはこんなふうに接していれば大丈夫と思えるようになって、俺に対してリラックスできるようになったことで、セックスの中でもリラックスできるようになったということなのだろう。それまでは、俺がどう反応するか不安になりながら、緊張感を持って俺の反応を確かめていたのが、もう不安に思う必要はないと思えるようになったのだ。だから、これで大丈夫かという問いかけが俺に向けられなくなって、もう大丈夫なものが今もちゃんと大丈夫なことを、うれしいなという気持ちで見守るような視線になったのだろう。相手の反応を確かめることに強迫されて前のめりだった意識が、自分の気持ちに深く背を預けるようにだらりとした楽な状態になってしまったのだ。それによって、その人自身が目の奥に引き下がってしまったように感じられるようになるし、俺の目の奥は探られなくなっていく。そうなってしまえば、視線がぶつかり合ったようになることはなくなっていくし、目が合っていても、引き付けあったまま目を逸らすことができない状態にはならなくなっていく。
 何が変わったというわけでもないのだ。ただ相手の目がゆるやかになったというだけで、俺のすることにはしっかり反応してくれているし、気持ちよさそうにもしている。けれど、以前ほどは俺をまっすぐには見ていないし、見詰め返してくれていても、俺が今どんな気分なのかということを確かめてくれている感じがしてこない。それでも、気持ちよさそうにしている相手に求められるまま、セックスは続いていく。実際に気持ちよかったのだろう。むしろ、俺がどう反応するかわからなくてずっとそれを確かめながらしていたときよりも、自分の気持ちよさに集中できる分、気持ちよさは大きくなったのかもしれない。そんなふうになってから「今までで一番気持ちいい」と言われたことが何度もあった。そして、俺はその気持ちよさそうな姿を見ながら、自分の中が空っぽになっているのを感じるようになる。相手が自分を確かめようとしてくれていないときに、俺は相手の何を感じればいいのかわからなくなってしまう。
 それは俺が感じるべきものを見失ったからそうなったことなのだろうか。そうではなく、むしろ、実際に俺が感じるべきものが相手の中からなくなってしまったからそうなったことなのだと思う。相手からしても、自分を俺に見せているという感覚は弱まっていたのだと思う。もう充分に俺は自分を知ってくれていて、もう自分をよくないふうに誤解しないと信じている。俺が思っている自分を自分と思ってくれていていいから、もうこれが自分だと俺に示してやる必要がないのだ。そんなふうに、存在をまるまる許されているような安心感が強まることで、相手の目の中を確かめる必要がなくなっていくのだろう。俺から見詰められていても「もうわかっているでしょ?」というような感覚で表情を返していたのかもしれない。たしかにそうなのだろう。もうわかっているし、セックスだって今までしてきたのと同じようなことをするのは確かで、俺の顔だっていつも見ているのと同じ顔なのだ。見飽きているというよりも、見る前にすでにわかっている気になっているのだろう。だから、しっかり感じようという体勢に入ることもなく、ただいつもどおりのようにして視線を向けてしまう。もうお互いに気持ちがいいこともわかりきっているから、気持ちいいかということを問いかける気持ちも薄れていく。もう俺が自分を好きなのも、俺が自分で気持ちよくなっているのもわかっているから、好きになってほしいとも、気持ちよくなってほしいとも伝える必要もない。俺の視線に対して、それを見返す動機が自分の中になくなってしまうから、ぼんやりとした、見守るような視線を俺に向けていたのだろう。
 もちろん、安心させてしまったのも俺なのだし、俺の付き合い方が緊張感が消えていくような付き合い方だったというのはあるのだ。付き合いだしてから別れるまで、俺は相手のことを好きな度合いが下がったことがなかった。いろんなことがあるなかで、いい気分になったり、嫌な気持ちになったりしながら、相手のことはどんどん好きになっていった。付き合っていたのが、みんなまともで素敵な人だったのもあるけれど、その人のいろんなことを知っていくほどに、より深く相手のことを好きになっていけた。それは相手にも伝わっているし、相手からすると、俺の機嫌をうまく取れているから優しくしてくれているのではなく、自分のことを根本からよいものと思ってくれているから、多少の行き違いがあっても、それにいちいち怒ったりしないで、いつも自分のことを理解しようとしてくれているのがわかってくる。自分の行動ではなく自分の人格で愛してもらえている気がしていただろうし、それはとても安心できることだったりしたのだと思う。俺も安心してくれるようになったことはうれしいとも思っていた。それまでにいろんなことを話してきたし、いろんなことを一緒にしてきたし、お互いにちゃんと気持ちで接していたから、だんだんとわかりあえてきたのだ。
 実際、俺が相手の目がぼんやりしているのに気が付くのは、いつも何の問題もなく楽しく過ごせるようになってきた時期だったように思う。だから、俺はおかしいなと思いながら、何も言えないままになっていた。おぼつかない気持ちで射精して、満足そうな相手を軽く抱きながら、まぁいいかと黙っていた。セックスしたあと、相手はうれしそうにしてくれていて、部屋の明かりを消して自分へ身体を寄せてくるのがいつもよりも安らかな感じがして、俺もその安らかさに引き込まれるように、けだるい心地よさに包まれていった。それは嫌な感覚ではなかった。
 けれど、また何日かして、セックスが始まって、上から相手を見詰めたとき、やっぱり相手の目はぼんやりしていて、俺はぼんやりした目と目を合わせながら、どうしたらいいんだろうと思うのだ。そして、俺はどうすればいいんだろうと思うたびに、どうすればいいのかわからないままになってしまった。ただ相手の反応の続きになるような動きを繰り返していただけだった。
 ぼんやりされてしまうと、俺は相手の姿から、相手にとってのこの瞬間がどういうものなのかを感じられなくなって、目の前から相手がいなくなってしまったような感覚になってしまう。そして、いつもと同じように身体を動かしていれば、俺が取り残された気持ちになっていたとしても、充分に気持ちよくなれてしまうんだなと思って、つまらない気持ちになっていく。入れているだけじゃないかと思って、それだけで何を気持ちよさそうにしているんだろうとバカバカしくなってしまう。しばらく舐めて一度か二度いって、そのあとはただ入れて、しっかりあたるようにして、いくつかのエリアを繰り返しこすっているだけなのだ。愛し合うふたりのセックスという物語が相手の頭の中にできあがってしまえば、俺なんて必要がなくなって、しがみつくことのできる俺の見た目をした肉のかたまりと適度な刺激があれば充分になってしまう。このセックスはふたりの関係を彩る些細なイベントの一つでしかないんだなと思いながら、俺がまったく冷めた気持ちでいても、そんな俺を気にもかけずに気持ちよさそうにして、いかにも簡単なふうに何度もいって、そのうちに、俺にもいくようにと声をかけてくる。気持ちを自分の中に閉じ込めたまま、精液が排出されていくのをじっと黙って感じていると、身体から気持ちのいい痺れが抜けていくのと入れ替わるように、重苦しい空っぽさが自分の中に充満してくる。その空っぽの気持ちは、空っぽで中身がないから、どこにも誰にも向けられない。そして、終わったあとの相手の中には、俺とはまったく別の心地よさそうな気分が充満していて、それにまた虚しくなってしまう。
 ある日、そんなふうにして、相手の自分を見る目がぼんやりしていることに気付くことになるのだ。俺は相手を見詰めながら虚しいなと思っていて、そして、覆いかぶさっている俺がそんなふうに思って空っぽな目をしているのに相手が気付いていないことに、より虚しくなる。そういうことが、この十年で何度もあった。



(続く)



(全話リンク)


この作品よりあとに書いたものなので、こちらのほうが面白いです

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