見出し画像

【小説】つまらない◯◯◯◯ 46

 俺は自分のそういう感じ方をおかしなものだとは思っていないのだと思う。実際、自分の中にどんな願望があったとしても、ほとんどいつでも、自分がそんなふうに振る舞うことを現実から期待されてはいないというのは確かなことなのだ。けれど、俺はそういうことを気にしすぎてきたのかもしれない。そのせいで、できたらいいなと思うことがあっても、現実にそれをすることが自分に求められているように感じられないときには、みんなの邪魔をしないように、自分からそうしようとはしないというパターンばかりで生きてくることになってしまったところはあるのだろう。
 聡美に対してそうだったように、近付いてみたいなと思っている女の人になかなか近付こうとできないのも、近付きたいという思いがただの願望だったからなのだろう。実際に相手とのあいだにそういう雰囲気が生まれて、そうすることが求められている感じがしてくるまで動き出すことができないのだ。自分がしたいことをできていないのだから、引っ込み思案だとか、臆病だとか、欲しいものをちゃんと欲しいと伝えられない迷惑な人だとか、結局はそういうことになるのだろう。けれど、俺としては、頭でどう思っていようと、身体がそうするのがいい雰囲気だと感じないと動けないし、俺の頭と身体というのは、どうしようもなくそんなふうにねじくれてしまっているのだ。
 相手から触れられるのを避けていたのも同じだったのだろう。触れられたくないわけではなったけれど、触れられたいとも思っていない状態で、相手の手が自分に伸びてきたときに、触ってこようとする相手の曖昧な視線や態度に、居心地の悪さや不安なものを感じてしまったのだと思う。頭では触れられたくないと思っているわけではなくても、身体がなんとなく触れられるのを避けてしまうような、ねじくれた抵抗感が俺の中に根を張ってしまっているのに、その俺の中の抵抗感のようなものを感じ取って、それをなだめてとりなそうとするようにして手を伸ばしてくれないことが嫌だったのだと思う。もしくは、優しさや前向きさで、俺に自分の気持ちを手放させようとしてくるのが嫌だったのかもしれない。俺という他人に対して、自分の恋人として、自分のもののようにして手を伸ばされているように感じたのだろう。触れ合うことはいいことだよと、ふたりのためという大義名分で、俺の気持ちの頭越しに善意を押し付けるようにして手が伸びてくるのが嫌だったのかもしれない。
 俺としては、感じてくれていない感じがするから触られるのが嫌だった。それなのに、触れてこようとする相手の目の中が俺を感じてくれていないのだ。気持ちが噛み合っていないということに相手が無自覚なことが不快だったのだろう。そういう大雑把さに踏みにじられているように感じて、気持ちを閉ざしていたのだと思う。挿入してからも同じで、相手が気持ちよさそうにしなりながらも、俺の気持ちを正面から感じようとしていないから、気持ちを閉ざして空っぽな目をしていたのだ。相手が自分を感じてくれているという安心感がないと、俺はセックスの中に自分の気持ちを持ち込めないということなのだろう。
 セックスだけではないのだろうけれど、自分はいつだって相手の態度に対してどうしようもなく受け身だったように思う。セックスだって、どんなふうにセックスしたいというわけでもなく、自分とセックスしたがってくれる人に、できるかぎり気持ちよくセックスしてあげたいと思っているだけだった。人と話しているときでも、何か話したいことがあって話すわけではなく、ただ聞いてくれるのがうれしくて、何でもいいから話していたようにも思う。話すのが好きだというよりも、相手がちゃんと聞いてくれていたり、ちゃんと話してくれているのが好きだったのだと思う。電話で話していて、三時間とか四時間話し続けてしまうことも多かったし、たまに会う友達と昼に待ち合わせをして、終電まで十時間以上たいして酒も飲まずに喋っていたりするし、自分のことを話好きだと思っていた。かといって、飲み会のような席では、隣に座っている人とのんびり話す以外には、ほとんど発言しないことも多かった。大勢で騒がしく話しているときには、何か言いたくなってくること自体がなくて、話を聞いているだけで満足だった。かといって、何人かで話していても、そのうちの何人かが自分と親密だったりすれば、俺もいろいろと思ったことを返したりしていた。俺に対して何かあるなら聞きたいというふうに思ってくれている人にしか、何かを話す気になってこないのだろう。もう高校生くらいの頃にはそんなふうだった気がするけれど、友達であれ、仕事であれ、相手が自分に対して多少でも前のめりな感じで話を聞いてくれていないと、自分の気持ちとは切り離したトーンでしか話をしてこなかった。相手が俺の意見を聞きたいわけではなさそうだったり、形だけ話を向けているように感じたときは、どうでもよさそうに話したり、単純に自分がそう思っただけで、自分としてそうしたいわけではないというニュアンスをつけて話していた。
 そういう態度の切り替えは、セックスでも同じだったのだろう。こちらを感じようとしていない相手には、気持ちを向けられなくて、相手が自分をさほど感じてくれていない気配を感じるだけで、自分の気持ちを自分の中に留めてしまって、ただ目の前の状況に合わせているだけになってしまっていた。何でもそうで、セックスでもそうで、恋人と過ごす時間全般もそうなのだ。求められるからそうしているだけなのだろう。仕事を延々とやっていられるのだって同じことなのだと思う。やったほうがいいことはいくらでもあって、それをやってあげることができるから、言われもしないままにやっていたのだ。それにしたって、他の人が面倒くさがって放置されている案件を拾って片付けていた。人の仕事を奪うのは、求められていないことだからしないし、飲み会でもお酌したがる人がいれば自分からはしようとしないし、飲み会で喋らないのも、他の人が喋りたがっていて、自分が喋ることを求められていないからなのだろう。
 そして、求めてくれるからといって、ただ気持ちよくセックスしたいというふうな求められ方では、自分が求められているとは感じられなかったのだろう。何でもいいから求められたいのではなく、俺を求めてほしがっているのだ。飲み会の会話でも、「何か面白いこと言ってよ」とか「何か芸をしろ」とか、俺と自分との関係性を勘違いした見当はずれなことを言ってくる人には、上司とか先輩であっても「いやいや」と言って流したり、無視したりしていた。けれど、大学の学生寮にいたときに、とても好きな先輩が、先輩の部屋に数人で集まっているときに、うれしそうににやにやしながら「正田なんかやってや」と言ってきたり、共同浴場で出くわしたときに「高校の校歌歌ってや」と言われたりしたときには、俺もにやにやしながらバカなことをやっていた。
 結局、俺を楽しもうとしてくれている人の言うことは何でも応えたいなと思っているし、そうでないなら、気持ちを持ち込まずにしらけた顔でその場をやり過ごしていたということでは、俺は一貫していたのだろう。セックスにしても、求められている感じがしていなかったから、しらけた感じで気持ちを持ち込まずにやっていたということなのだと思う。
 そんなふうだから、セックスがうまくいかなくなっても、セックス以外の時間は楽しくやれていたのだろう。一緒に出かけて何かを見ながら話しているのも、ご飯を食べながらご飯についての話をしているにも、部屋にいて話しているにも、相手は俺との話を楽しんでくれていた。相手が楽しもうとしてくれれば、俺も相手が楽しめるように話をしていられた。セックスのことはあるにせよ、それはどちらにボールがあるわけでもなくて、お互いがお互いにうまくセックスできないことをもうしわけなく思っている状態だったというのもあるのだろう。片方が相手に対してセックスできないことを不満に思っていたわけではなかったから、セックスを巡って関係がぎくしゃくすることもなく、それ以外のところでずっと楽しく話していられたのだ。
 ずっと楽しくやっていたのだ。ただセックスをしないようになっていただけだった。そして、少しのあいだしないでいるだけで、しないことが普通になって、余計にするのが難しくなっていった。気が進まないけれどしたほうがいいんだろうと思っている状態から、すぐに相手といてもセックスのことを考えもしない状態になってしまう。何週間ぶりかでしてみたとしても、気持ちがそこまで盛り上がることもなく、しっかりした一体感もないまま終わって、身体としては気持ちよかったことにお互い気持ちよかったねとだけ言って、後ろ暗く満足するだけのものになっていく。ケンカしたり、何か言い争いになってお互いを傷付けたりということでもないと、緊張感は戻ってこなくなる。よくあることなのだろうけれど、ケンカすれば、ケンカの中で行き違っていたときに感じていた、うまく伝えられないけれど、それでもあなたを大事に思っているし、あなたとうまくやりたいと思っているという気持ちが、セックスでのお互いの視線に乗って、気持ちを伝え合うようなセックスになったりもする。そうでもしないと、セックスが噛み合うということもなくなっていってしまう。そして、それが別れるまで続くのだ。
 きっとそれはよくあることなのだろう。ある日セックスをしていて、気持ちがうまく入り込めなくなっているのを感じて、それからセックスをするのが億劫になって、してみても以前ほどはのめりこめなくなって、だんだんしないのが当たり前になってしまう。そういうことは、多くのカップルのあいだで起こることなのだろう。別に何がどうだということもなくて、俺は付き合っている人とセックスレスになりがちだというだけなのだろう。
 けれど、俺に起こったことは、付き合っているとそのうちセックスがマンネリになって、だんだんセックスレスになってくるという、あまりにもありふれたパターンにそのまま当てはまるようなことでしかないのだろうか。セックスのやり方なら、俺は何年も前からマンネリだったけれど、自分のマンネリさ加減にやる気を失ったというわけではない。だったら、お互いの身体への新鮮さがなくなってセックスレスになるパターンなのだろうか。俺としては、相手の身体に飽きたとか、なんとなく気分が乗らない感じがしたということもなかった。そんなふうに相手が自分の目の中を確かめていないと気が付いた時点では、俺は相手とセックスするのが好きだったし、そのときも気持ちよくセックスしようとしていた。俺はそんなつもりで、そして、そもそも相手が今までで一番気持ちよかったと思ったときから始まるセックスレスだったのだ。マンネリなんかではないのだと思う。
 目の合い方が変わったのが問題だったわけではないのだと思う。目がしっかりと合っていることで伝わり合っていたものがなくなったのだ。それまであった、相手が自分を感じてくれているという感覚がなくなってしまった。相手が自分をしっかりと感じている感触がなくなっているのがはっきりと自分の中に伝わってきて、その欠落感をどう受け止めればいいのかわからなくなったのだ。もともとあまりこちらを見なくて目が合うことが少なかった人もいたけれど、その人の場合も、前と同じくらい見てくれていないままで、ある日、俺を感じてくれている感触が伝わってこなくなる。そして、それなのに相手はうれしそうに満足している。その欠落感はとても強いもので、俺はそこで止まってしまった。それをそのままにしているのだから、俺が相手のせいにして、ふたりにとってよくない状態を諦めてしまったともいえるのだろう。そうなのだろうなと思う。諦めたことは俺が勝手にそうしたのだし、全部俺のせいといえばそうなのだ。
 きっと、俺と同じような気持ちになって、そこから肉体同士の隔たりを回復できなくてセックスレスになっていった人もたくさんいるのだろう。それは、相手が自分を感じてくれなくなったことによる拒絶感を始まりにしたセックスレスだったのだと思う。会うたびにもっと相手を好きになっている段階だったのはお互いに同じで、いつからか目の奥を見ようとしなくなったのは相手だった。少なくても、相手にはただの新鮮さとかマンネリの問題だったとは思われたくないなと思う。別に恨んでいるわけではない。けれど、俺からすれば、マンネリや新鮮さでセックスレスになったのだったら、どんなにましだっただろうと思ってしまうのだ。



(続き)


(全話リンク)


この作品よりあとに書いたものなので、こちらのほうが面白いです

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?