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美林華飯店に麻布台ヒルズができてから初めて行った

久しぶりに六本木の美林華飯店に行った。
昔もお昼の早い時間に行くとおばちゃんがいないことが多かったけれど、やっぱりいなくて、久しぶりとお喋りすることはできなかった。
昔からいるお姉さんはいたけれど、特に何とも言われなかった。
もう俺の顔を忘れていたのかもしれないけれど、おばちゃんと違って、お姉さんは特に俺ににこやかじゃなかったというか、十年くらい前まで、毎日のように昼に行っていた頃でも、おばちゃんが俺にあれこれ特別サービスをしてくれるのに微妙そうな顔をしていたし、俺だと気が付いていても、そういえばずっと来ていなかったなと思っただけだったのかもしれない。

週替りのメニューの中で、迷いつつも食べたいものを選ぶと、昔と変わらず、すぐにザーサイとサラダとスープとご飯が持ってこられた。

ザーサイもサラダもスープも昔のままだった。
美林華飯店のランチのスープは、二〇一三年から二〇一四年になるくらいの頃に、それまでは、どこまでも柔らかな野菜中心っぽいスープがベースだったのが、チキンエキスを使っているのかなという感じのスープに変わっていた。
変わる前は、飲んでいるとどんどん飲んでしまって、食べ過ぎになるのについついスープまでお代わりしてしまう味だったけれど、変わってからは、充分に美味しくはあるけれど、チキンエキス的な味のキツさと相性が悪くない月曜日の酸辣湯だとたまにお代わりするくらいの味になってしまった。

麻布台ヒルズができて、客が増えて、またランチのスープにもうひと手間かけるようになっていたりするんだろうかと思ったりもしたけれど、昔のように久しぶりの美林華飯店のランチのスープは、少し味がきつく感じるところのある、充分に美味しいくらいのスープから変わっていなかった。

けれど、そもそもスープの味が変わった、俺が毎日のようにランチを食べに来ていたときも、ランチのピークの時間帯は、いつも満席で、店を出たところから階段の踊り場くらいまで人が並んでいたくらいだったのだ。
繁盛具合が足りないからというより、かかる手間と提供できる味とのバランスとして、ランチのスープはこれでいいだろうという判断だったのだろうし、その判断はずっと変わっていないということなのだろう。

とはいえ、俺にとっては、ランチの中で、ザーサイとサラダはどうでもよかったし、スープにしても、もともとは毎日のようにお代わりしていたものがたまにしかお代わりしないものになったとはいえ、それもしょうがないことなのだろうと思って、炒め物とご飯をがつがつ食べている幸福感を得られれば、それで充分に他の店にいかなくても、ずっと美林華の週替りの何かを食べていれば満足できるという食事体験が続いていたのだ。

そして、その俺にとって一番中心的な食事体験のところは、ちゃんととんでもなくすごいもののままだった。

もちろん、その日、俺の炒め物を作った人が誰だったとか、タイミング的にどうだったとか、そういうぶれがあってのことではあるけれど、それでも、多少ぶれたとしても、やっぱり美林華の仕込みで美林華の味をやろうとしてくれただけで、どうしたってどうしようもなく特別な美林華飯店の味になるんだなというのと、それをランチタイムでも維持してくれているんだなということに、ありがたいなという気持ちでいっぱいになっていた。

その日のその瞬間の提供ということでは、ちょっと昔の平均よりしっかり目の塩気になっていたのかもしれない。
青椒肉絲も昔より一口目に感じるにんにくが強くなっていたのかもしれない。

とはいえ、昔食べていたときの感覚とのズレを探そうとしても、それくらいだったのだろうなと思う。
肉はむしろ昔より臭みが少なくなっているような感じがした。昼の回転率がより高まって、仕入れるものを少しランクアップさせたのかもしれないし、回転率良くなって、前日のランチの残りがなくなって、材料の鮮度がよくなったとか、そういう変化はあったのかもしれない。

ここ数年、俺は自炊したものばかり食べていて、その自炊は、イル・プルー・シュル・ラ・セーヌの弓田亨さんのルネサンスごはんの考え方を基本にしていたから、砂糖と味醂を使わないし、味噌汁なんかも乾物から出汁を取って、うま味調味料が含まれたものも使わないというような、そういう味に慣れると、外食していると違和感を感じやすくなるようなものばかり食べていたのだ。

久しぶりの美林華飯店で、その間俺はそういうものばかり食べていたのに、そんなにも変化を感じなかったのだ。

けれど、それはむしろ順番が逆で、美林華飯店で毎日お昼を食べていた二年と少しの間に、毎日すごいすごいと思いながら、どうしてこんなにも心地よく感じるのだろうと食べているときの感覚に浸っていたことで、俺の食べ物の味わい方が変化していったのだろう。
昼に美林華を食べながら、他の店で食べたり、たまに自炊したりしている中で、口の中でどんなふうに味がしてくれるのが一番いいんだよなという感覚ができていって、そんなふうには味わわせてくれない食べ物たちにもやもやするようになって、だからこそ、ブックオフで立ち読みした弓田さんの本に、これこそ俺がずっともやもやしていたことについて書いてある本なのかもしれないと思って、すぐに買って読んだという流れだったのだろう。

けれど、そうやって砂糖や味醂なしの食事に慣れきった舌になっていても、美林華飯店の炒め物なんかのソースの甘味は、まったく違和感もなくただただ全体に心地よく溶け込んだ甘さにしか感じられなかった。
甘さに口が疲れることもなく、甘さとそれに釣り合わせた塩気や旨味によって全体として風味がひとまとまりになりすぎてしまう感じもなく、じっくりと口の中で味を感じている邪魔にならない甘味のバランスとはこういうものなのだなと思って、普段甘みを添加しない自炊の料理に心底満足しているからといって、自分は料理が甘いこと自体には何もネガティブなことは思っていないんだなと思えたし、より美林華飯店のすごさを感じられたくらいだった。

もっといろんなことに昔はもっとどうだったのにと思ってもおかしくなかったはずなのになと思う。
けれど、美林華の料理を食べている感触というか、甘さとか油が口の中でどれくらいまとわりついてくるかとか、塩気の濃度によってしっかりと具材の風味を感じられつつ、あまりべったりと美味しさを押し付けてくることなく、ふんわりと全体をまとめてくれているスープの感じとか、そういう感触の何もかもが、記憶にあるままのように感じられた。
近年の何もかもの値上がりに飲み込まれてしまわずに、少しの値上げで同じレベルのランチを食べさせてくれ続けてくれているなんて本当にありがたいことだなと思った。

店を出たときに、けっこう並んでいるのかなと思っていたけれど、昔と変わらず、二階から一階に降りる階段の踊り場くらいまでの列だった。

それ以上だと待たされすぎるから、並ぶのを諦めるということなのかもしれないけれど、もっとみんな来ればいいのになとは思った。

けれど、俺が行っていた頃は、十三時半を過ぎれば空いていたけれど、麻布台ヒルズができてからは、もうちょっと混雑している時間が長くなったりはしているのかもしれない。

ピーク時間帯にしても、単純に、普通のオフィス勤務者たちのランチとしては、列の長さが一定以上になると、みんなそこには並ぼうとはしないということなのかもしれない。
俺が行くようになった頃のピークの、二階までの階段を地上まで降りきるまでは並ばなくて、踊り場か、踊り場と一階の間くらいまでが、ランチタイムで店に並ぶ行列の限度ということなのだろう。

けれど、肉がより臭みのないものになっていたのもそうだったのだし、仕入れたり仕込んでいるものの回転率がよくなったというのはそれなりに大きな変化だったりしているのかもしれない。

実際、スープは味は変わっていなかったけれど、昔は早めの時間帯に行くと、デザートの杏仁豆腐が、前日の残りなのか、少し水が浮いている状態になっていることが多かったけれど、その日も開店してから二番目の客だったけれど、杏仁豆腐はできてさほど時間が経っていなさそうなぴかぴかな状態だった。

とはいえ、杏仁豆腐にしても、近年よくあるような、甘くて濃厚でクリーミーでとろみがあるようなものには変わっていなくて、あくまで食後に今日も美味しかったなと思いながらのんびり口を落ち着けるのにちょうどいい塩梅のままだった。

デザートと一緒にホットかアイスか選べるコーヒーにしても、昔と変わらず、美味しいコーヒーが好きな人だったら、なくてけっこうですと断りそうな、こだわりのなさを強く感じさせるコーヒーのままだった。

麻布台ヒルズが美林華飯店の斜め向かいくらいのところにできるのだと知ってから、どれくらい美林華飯店に影響が出るのかなと思っていたけれど、思っていた以上に何も変わらないものなんだなと思った。

俺が泉ガーデンタワーのオフィスで働いていた頃、週に五回とも美林華飯店で食べて、それでも次の週も月曜日は美林華飯店に行って、週替りのメニュー五種類を見ながら、今週も五日とも美林華かなと思っていた頃の満足感はそのままだった。

毎日食べても飽きないというか、むしろ、ほぼ飽きてしまっているとしても、飽きているせいであまりにもどういう味の料理なのかくっきりと感じられていたとしても、食べれば食べるほど美味しく感じられる、美林華飯店の味に慣れれば慣れるほど美味しく感じられる味の仕方はそのままだった。

そういう味わいであることで、食べに来ている人たちの多くが、美味しいとは思っていても、いくらたっぷりのおかずでご飯をお代わりしながら延々とうまいうまいと味わっていても、お腹いっぱいになってきても最後の一口まで食べるほどにより美味しく感じるような異様に美味しい料理だということに気が付いてもいないし、それに驚いたり感動したりしながら食べているわけでもなさそうな雰囲気なのも昔のままだった。

けれど、毎日お昼を美林華飯店で食べていた頃、ごくたまにだけれど、他の客たちが喋っていて、異様に美味しい店だと思っている感じで美林華飯店のご飯のことを喋っているのが聞こえてきたりもした。
今だって、きっと食べているあいだずっとすごいなと思いながら食べている、週に何度も美林華飯店に来てしまう常連たちがいるのだろう。

美林華飯店に教えられてしまった、どんなふうに美味しいとこんなにも心地良いという感覚は、そうそう近所の他の店では満たしてもらえるものではないのだ。
そういうものに出会えて、たくさんの充実した時間をあの店の中で過ごせて、本当に幸福なことだったなと思う。



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